犀太郎の歴史浪漫

歴史研究や歴史・時代小説など、気ままに書き綴っています。

研究発表「斉広と定信」

2011-11-28 12:25:25 | 日記
   研究発表「斉広と定信」

石川郷土史学会の月例研究会が11月26日(土)、県立図書館で開かれ、会員の
加納嘉津政さんが「斉広と定信~兼六園命名のこと~」と題して、発表しました。

楽翁(松平定信)像


加納さんは、兼六園命名の人とされる松平定信(白河藩主)と加賀藩主・前田斉広について、当時の歴史的背景などを詳細に説明し、その謎に迫りました。


兼六園にある「六勝の碑」


この碑面にあるように、「兼六園」の名は、白河藩主・松平定信が「洛陽名園記」から引用して名付けたとされていますが、それを立証する史料に乏しく、今後の解明が待たれるということです。





金沢城大学(3)加賀藩の参勤交代

2011-11-24 16:48:11 | 日記
   金沢城大学(3)加賀藩の参勤交代

金沢城大学、3回目のきょうは、「加賀藩の参勤交代」。県立美術館ホールで開かれました。講師は、忠田敏男さんです。


忠田さんによりますと、加賀藩の大名行列は、①北国街道を信州に向かい、中山道を経て江戸に入ったコース、②北国街道を南に向かい、関ヶ原から中山道に入るコース、③東海道を通るコースがあり、①が一番多かったそうです。
①は大体12泊13日が普通で、ざっと2000人が馬200匹とともに江戸まで歩いたそうです。そうすると、旅の費用は、片道2億円以上もかかったとか。とてつもない費用に驚きます。
このほか、興味深いお話が盛りだくさんで、予定の時間を大幅に超過して、終了しました。
忠田さんは、1993年に『参勤交代道中記~加賀藩史料を読む』(平凡社)を出版し、参勤交代の研究成果を発表しています。


また、その後、2007年には、『加賀百万石と中山道の旅』(新人物往来社)を発表し、中山道を経由した加賀藩の参勤交代を詳細に紹介しています。

興味のある方には、一読をお勧めします。




銭屋五兵衛の講演会

2011-11-19 14:54:29 | 日記
   銭屋五兵衛の講演会

金沢海みらい図書館で、11月19日(土)、「文学で語られた銭屋五兵衛」という講演会が開かれました。
講師は、『銭屋五兵衛と北前船の時代』という著書もある木越隆三さん。



銭五は、明治の初期まで、「奸商」という評価が多かったが、明治20年以後は、一転して、「海外密貿易の先駆者」といわれるようになった。

銭五は、多くの文学に描かれている。舟橋聖一「海の百万石」、村上元三「海を飛ぶ鷹」、津本陽「波上の館」、南原幹雄「銭五の海」など。
犀星も「海の僧院」、「手毬」という作品で描いている。

この他、森鴎外の「歴史そのままと歴史離れ」にも言及があり、参考になる講演でした。




金沢城大学 (2)兼六園の紅葉と実

2011-11-10 17:07:32 | 日記
金沢城大学 (2)兼六園の紅葉と実

県立美術館ホールで開かれた「金沢城大学」に行って来ました。
2回目のきょうは、金沢城・兼六園研究会の城森順子さんが「兼六園の紅葉と実」と題して、秋を中心に兼六園にはどんな花が咲き、どんな実がなるのかというお話をして下さいました。
そのあとは、グループに分かれて、兼六園に入り、金沢城・兼六園研究会の人の案内で、この季節の花などを見てまわりました。


この時期、兼六園では、十月桜や冬桜、コトジ(椿)などの花が咲き、カリンやマユミ、ムラサキシキブなどの実がなっています。

マユミの実


さざえ山からの眺めは素晴らしいです。でもまだ紅葉には早かった・・・。


瓢池に来たら、なんと、幻の鳥、カ・ワ・セ・ミが!
望遠レンズを持って来なかったことを後悔しました!