犀太郎の歴史浪漫

歴史研究や歴史・時代小説など、気ままに書き綴っています。

月刊『遠州』に「加賀藩と小堀家」

2012-06-25 12:58:01 | 日記
  月刊『遠州』に「加賀藩と小堀家」


石川郷土史学会会員の横山方子さんが遠州流茶道の月刊『遠州』に、3回にわたって「加賀藩と小堀家」を連載し、小堀遠州及びその子孫たちと加賀藩のかかわりについて、もろもろの史料を引用しながら鋭い考察を加えておられます。
同誌4月号の「(上)金沢城玉泉院丸」では、小堀遠州が加賀藩大津屋敷の庭園を見て、琵琶湖や比叡山の借景を示唆して帰ったエピソードなどが紹介されています。
5月号の「(中)利常と遠州、正春」では、遠州の異母弟・左馬助(正春)が利常の機嫌をそこねてしまったにもかかわらず、進退極まって頼みごとをしたところ、利常が頼みに応じてくれたという話などが紹介されています。
また、6月号の「(下)新十郎と孫兵衛の子孫たち」では、左馬助の二男・孫兵衛が初めて加賀藩に仕えたほか、遠州の孫にあたる新十郎が加賀藩に仕え、以後、子孫たちが加賀藩に仕えたことが紹介されています。
ところで、昨年、小堀遠州の甥・孫兵衛と孫の小堀新十郎一族の墓が金沢の野田山墓地で発見され、話題となりました。
この論文は、小堀遠州と加賀藩のかかわりを考える上で、貴重な論考といえるでしょう。



小堀遠州画像

石動山の戦乱を描いた「流雲の賦」

2012-06-20 19:15:01 | 日記
  石動山の戦乱を描いた「流雲の賦」

先日、同好会の旅で訪れた石動山で見かけた村上元三さんの碑。
それが気になって、ネットで検索し、石動山の戦乱を描いた村上元三さんの小説を入手しました。
一つは、『小説サンデー毎日』昭和46年5月号に掲載された「能登国野干物語」が収録された「新選代表作時代小説(8)おもかげ行燈」(光風社文庫)。

こちらは、冷泉大納言為広がかくまわれた能登の畠山家を守護した狐の話です。

もう一つは、「流雲の賦」上・下(中央公論社、昭和50年9月刊)です。




上巻の帯には、「南北朝・戦国・江戸と続いて、常に戦乱の渦中におかれた能登国石動山天平寺。その寺社を護り、信仰の灯をともし続けた谷部家の人々の波乱万丈の生涯を描く」とあります。
丹念に取材した著者の力作であることが伺えます。
一方、下巻の末尾に、
「石動山を訪ねたのは、山百合の匂っている日、まだ根雪の見えるとき、そして暑い陽ざしの下、時候はいろいろであった。
 山頂から眺めると、雲が這い、山の頂を掠めて流れ、むかしからの石動山の歴史を、語りかけてくるように思われる。」
と、著者の感慨が記されています。

私は、これを読みながら、壮大な歴史ロマンの世界に引き込まれていったのでした。

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ちなみに、石動山の大宮坊の脇で見かけた村上元三さんの句碑はこちら。




南砺市界隈の寺院めぐり

2012-06-01 21:12:59 | 日記
  南砺市界隈の寺院めぐり

5月27日(日)、北陸3県歴史研究会の研修旅行があり、参加しました。
マイクロバスで富山県へ。
井波の瑞泉寺に通じる八日町通りを歩きます。


途中、わき道に入り、浄蓮寺境内にある黒髪庵へ。


この黒髪庵の翁塚は、芭蕉の門弟だった瑞泉寺11代の浪化上人が建立したものだそうです。中に、芭蕉の遺髪が納められているそうです。


再び、八日町通りを歩き、瑞泉寺の門前へ。


瑞泉寺は、真宗大谷派井波別院で、本堂は、畳450枚、25間四方もあり、日本で4番目に広い木造寺社建築だそうです。
今は、ちょうど平成の大修復の最中で、屋根の傷みが出てきたため、ガルマニウム鋼板で葺き替えているそうです。この葺き替えに使う鋼板が5万枚とか。すごい規模ですね。




続いて、向かったのは、城端の真宗大谷派城端別院・善徳寺。
こちらには加賀藩13代藩主・前田斉泰の子・亮麿(すけまろ)が住職として寺に入った際に建てられた式台門が現存しています。向こうに見えます。


庭園には、樹齢360年というしだれ桜の一種、糸桜の大木があります。花見の時期はきっと見ごたえがあることでしょう。
そういえば、花見の時期には、先ほどの式台門を特別に開けて、市民が入場できるようにしているそうです。粋なはからいですね。


住職の部屋を見せて頂きましたが、大変に格式の高いものです。




次に、福野の真言宗弥勒山安居寺へ。


住職さんに説明をして頂きました。




こちらにある絵馬は、加賀藩3代藩主・前田利常が正室の珠姫の安産を祈願して奉納したものだそうです。
もとは豊臣秀吉が築いた聚楽第のふすまだったというから驚きです。絵馬の下に戸車が残っています。







この地域は、江戸時代は加賀藩の治世下にあっただけに、加賀藩ゆかりのエピソードも多く、加賀藩に関心を持つ者にとっては、とりわけ印象深い旅になりました。