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頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

第二次世界大戦に対する認識の変化

2020-01-24 17:14:40 | メモ帳

第二次世界大戦(以下「戦争」)は70年以上も昔に済んだことだし、嫌なことは思い出したくもないという意識から、頑固爺はこれまで「戦争」に関する情報から目をそむけてきた。

しかし、米国で50年経って公開される情報に興味深いものが多々あることに気づき、「戦争」を体系的にまとめた著作を探していたところ、 “太平洋戦争の大嘘”(藤井巌喜著、ダイレクト出版刊、初版2017年11月)(以下、「本書」)を見つけた。

ということで、「本書」に書かれている事柄の内、興味深い点を拾って論じるが、その前に私の「戦争」観を説明しておきたい。

【大本営発表の崩壊】
子どもの頃、私が好きなラジオ番組(もちろんTVはなかった)は大本営発表だった。♬ジャンジャンジャガイモサツマイモ(これはイントロに悪童がつけた歌詞)に続いて、「♬守るも攻めるもくろがねの・・・」という軍艦マーチの勇壮で軽快な音楽が始まると、心を躍らせて耳を澄ませたものである。

ところが、勝っているはずなのに米軍の爆撃機B29が頻繁に爆弾を落とすようになり、「これはヘンだぞ」と思っているうちに、サイパン島、硫黄島、沖縄が次々に陥落し、原爆が落されてジエンド。

終戦後、私の好みのラジオ番組は「真相はこうだ」になった。どんな嘘が暴露されたかの記憶はまったくないが、推理小説の謎解きのような快感があったと思う。

その頃、東京裁判があり、東条英機など名前を知っていた政治家・軍人が戦争犯罪人として処刑され、私は「犯罪人として処刑されるのは、悪いことをしたからだろう。日本は悪い国だったんだ」と受け止めた。

後年知ったことだが、連合軍総司令部 (GHQ) は日本人に贖罪感を植え付け、精神的に骨抜きにする宣伝工作を実施していたらしく、「真相はこうだ」はそのツールの一つだったらしい。私に限らず、私の世代はその“精神構造改革”政策にうまく乗せられたのである。

私の父親は軍人で、終戦の時には陸軍大尉だったが、運よく内地勤務だったので生き延びた。その父親は戦争に関して、私になにも語らなかった。当時、両親は家族のための食糧確保が最大優先事で、戦争の回顧どころではなかったと思う。だから、両親が“精神構造改革”政策をどう受け止めていたかはわからない。この事情は私の家だけのことではなく、大人たちはみな虚脱状態で、餓死から逃れるのに精一杯だったと思う。

さて、1970年代に見た映画“Tora Tora Tora”では、日本の真珠湾攻撃は米国から見れば、卑怯な不意打ち(sneak attack)だったと描かれていた。在ワシントンの日本大使館が宣戦布告文書作成に手間取り、連合艦隊の空母から発進した爆撃機が爆弾を落下させる時に間に合わなかったという場面が今でも目に焼き付いている。

しかし、たとえ間に合ったとしても、宣戦布告30分後とか1時間後だったら、“不意打ち” であることには変わりはなく、ルーズベルト大統領が“Remember Pearl Harbor!”と叫んで、米国民の戦闘意欲を掻き立てる行動は変わらなかっただろう。つまり、真珠湾攻撃は国際社会に“卑怯な日本”というイメージを生む悪手だった。

真珠湾攻撃の是非はさておき、日本のマスコミは日本の開戦を“大東亜共栄圏”を樹立する“聖戦“と位置づけていた。そして、最初は面白いくらい戦果を挙げていたから、子どもだった私だけでなく、国民はみな「戦争」に熱狂した。

それが、敗戦と東京裁判で暗転した。というのが、私の「戦争」観である。しかし、後年、米国は日本軍の暗号通信をすべて読み解き、連合艦隊の動向を察知していたという裏話を知った。では、なぜルーズベルトは日本が真珠湾を攻撃するのを黙認したのか。

ここまでが、今回のテーマ「第二次世界大戦に対する認識の変化」の前置きである。次回は「本書」を引用して「戦争」を再評価する作業を試みる。