頑固爺の言いたい放題

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邪馬台国と魏の友好的外交関係

2011-12-30 09:50:53 | メモ帳

 

 『魏志倭人伝』では、卑弥呼が魏に遣使したのは景初2年(238年)6月となっているが、松下見林と新井白石そして内藤湖南は、景初2年は景初3年の誤りだと推定した。

 

理由は、景初2年6月には魏は公孫淵と大激戦の最中だったからだとする。戦闘は景初2年8月に公孫淵が処刑されて終わった。大激戦の場所は卑弥呼の使者が魏の都である洛陽に行く途中であり、そんな時に遣使一行が行けるはずがないではないか、というのが間違いとする根拠であり、それ以来「景初3年」説が通説になっている。

 

これに対し、古田武彦氏は異を唱え(「卑弥呼」ミネルヴァ書房 2011年9月)、次の疑問を呈示する。

(1)なぜ倭国の奉献物が貧弱だったのか。

(2)なぜ、中国側の倭国に対する下賜品が莫大だったのか?

(3)なぜ魏は倭の使者たちを洛陽まで同道したのか?

(4)景初2年12月に皇帝の詔書が書かれたにもかかわらず、下賜品が実際に届けられたのが翌々年だったのはなぜか?

 

「魏志倭人伝」を読むと、帯方郡にやってきた邪馬台国の遣使の奉献物は、生口(奴隷)10人と班布少しばかりで、いかにも貧弱だ。しかも、洛陽までつきそいを頼んでいる。半年後の12月に魏の明帝は卑弥呼に詔書を送って、6月の遣使に丁重な謝辞を述べるとともに、卑弥呼を親魏倭王と呼び、金印紫授と莫大な下賜品を与え、正使の難升米に「率善中郎将」、副使の都市牛利に「率善校尉」という称号を与えている。この対応は一方的であり、不自然だ。

 

この疑問は、古田氏の主張を読むと解消する。

 

遼東半島に勢力を伸ばした公孫淵は、魏と敵対していた呉(魏の南に位置した)と通じており、呉が参戦すると魏は挟み打ちになる恐れがあった。これを邪馬台国の松浦水軍が邪魔したから、魏は制海権を握ることができたし、さらに魏の軍隊が渡海して遼東半島に上陸した時(魏志序文)も、松浦水軍が助けたと思われる。この松浦水軍を率いたのが、邪馬台国の都市牛利である。魏が邪馬台国に恩義を感じていたことが、魏の卑弥呼の遣使に対するアンバランスな扱いの背景にある。遠路の貢献が魏朝の正当性を示すことになることもあるだろう。

 

卑弥呼の使節は戦争の最中に帯方郡経由洛陽を訪れたのである。戦争中だったから、帯方郡から洛陽までの旅に魏軍のつきそいを頼んだのである。そして、戦争中だったから、卑弥呼の使節は大量の献上物を持ち運びできなかったのである。

 

ところが、魏の明帝は景初三年(239)の1月に急死した。だから、約束してあった贈り物を送ることが翌年の正始元年(240年)まで延期されたのである。

 

こうして、魏と邪馬台国は友好関係にあったから、卑弥呼は苦戦していた奴狗国との戦いに魏の援軍を求めたのだろう(247年)。

 

卑弥呼はその247年に死亡した。戦死なのか殺害されたのかは不明である。

 

その後、倭国は戦乱状態になったが、卑弥呼の宗女、壱与が即位して戦乱が静まった。壱与は魏に貢献したが、その貢献物は景初二年の時とは格段に豪華になっている。ということは、景初二年の貢献はやはり戦争中だったと言えるのではないか。

 

学者たちは、簡単に卑弥呼の遣使が「景初2年」だったことはありえないと判断したが、古田氏の指摘するように読み解くと、「景初2年」は正しいとする方がつじつまが合うように思う。

 

 

 

 

 


番外編 三内丸山遺跡

2011-12-03 17:05:09 | メモ帳

 青森の三内丸山遺跡を見学してきた。新幹線の新青森駅から車で10分かからない便利な場所にある。

 

遺跡の解説は検索して出てくるHPの数々に譲るとして、感想だけ述べることにする。。

 

(1)  整然と並んだ6個の直径2メートルの穴。そこに残っている栗の木の根から判断して、柱の高さは20メートルぐらいあっただろうと推測されている。縄文人はどんな道具を使って、そんな大木を切ったのだろう? 石斧では無理だと思うが

 

(2)  この遺跡の人口は数百人だったと推測されている。しかし、人々は狩猟・漁労・採集で食糧を得ていたはずだ。せは、なぜ集団生活をする必要があったのか。

 

(3)  彼らはどんな言葉をしゃべっていたのだろう? みな名前を持っていたのだろうか?

 

(4)  当時は今より温暖だったと学者はいう。それにしても、もっと南の方が温暖で暮らしやすかったのではないか? なぜ、青森なのか? 青森だけでなく、北海道南部にも縄文遺跡があるという。

 

(5)  ここに住んでいた人々はどこに消えたのだろう?

 

4-5千年前という途方もない昔に想いを馳せると疑問が尽きない。それがロマンなんだろう。