頑固爺が子どもの頃、自分と親の名前の次に覚えた漢字は、撃墜、轟沈、真珠湾、航空母艦、戦闘機、大東亜戦争などの戦争関連である。当時講読していた「こども新聞」には漢字に振り仮名がついていたので、難しい漢字でも読めたのである。
当時の世界地図では、本土と朝鮮半島、台湾、樺太の半分が赤く染められており、太平洋の三分の一ほどが赤い枠で囲まれていた。満州は何色だったか記憶にないが、ことによったらピンクだったか。軍国少年の私は地図を眺めては「日本は大きいなぁ」と胸を躍らせ、「一億一心」「鬼畜米英」「欲しがりません、勝つまでは」などのスローガンを口にして、気分が高揚するのを覚えたものである。
そして敗戦。軍国少年はサンキューとかグッドモーニングなどの英語を片仮名で覚え、ジープに乗ったアメリカ兵に手を振った。「鬼畜米英」はどこかに消えた。なぜそう簡単に頭が切り替わったのか、今思うと不思議である。(笑)
新聞を読んでも(こども新聞ではない)、プロ野球の結果と漫画だけしか関心がなかった。軍国少年は川上哲治の赤バット、大下弘の青バットに熱狂する野球少年に変化した。
中学に入って習った日本史は明治維新で終わった。多分、教師は戦争の部分を避けたのだろう。お蔭で自虐史観を習わずに済んだ。今の教科書では日本の敗戦をどう教えているのか。ことによると、未だに70年前のGHQの指示を忠実に守り、「日本は悪いことをしました」となっているのではないか。
前置きが長くなったが、ここからが本論である。
第二次大戦を日本の視点で見ると、白人優越秩序への挑戦だった。戦争の直接的誘因は石油の対日禁輸だったが、その根源には日本の躍進に対する警戒感と有色人種蔑視の思想があった。
不幸にして日本の指導者たちに戦略的思考が欠如していたため、その挑戦は白人列強によって潰された。しかし、日本の挑戦は有色人種諸国に勇気と希望を与え、戦後東南アジア諸国とアフリカ諸国が続々と独立を果たす契機となった。日本の理念だった「大東亜共栄圏」はASEANとして実現された。
有色人種国すなわち後進国の独立は、その国民に自立精神と誇りを与え、経済的発展と生活水準の向上をもたらした。後進国の躍進は、新しい消費市場の創出となり、先進国の輸出が増加した。後進国の独立と経済的発展は、先進国にも恩恵を与えたのである。
一方、敗戦国の日本も軍備にカネを使う必要がなくなり、経済発展に注力できるようになったことで、国民の生活水準が急速に向上し、世界有数の経済大国にのし上がった。
こうして世界史の大きな流れを俯瞰すると、日本の敗戦はそれまで抑圧されていた有色人種たちを白人諸国のくびきから解き放ち、世界の経済発展をもたらす契機となったことがわかる。すなわち、日本の挑戦は人類の発展に大きく貢献する結果を生んだのである。
以上が頑固爺の歴史観である。歴史にはいろいろな側面があるから、自虐史観を否定するものではない。しかし、自虐史観は日本人を卑屈にして、不必要な贖罪意識を抱かせる。
未来の日本人には、日本人であることに誇りを持てるような歴史観を持ってほしいと願うのである。