たまたま書店で「別冊正論35 堕ちたメディア」という雑誌形式の刊行物を見つけた。表紙には“なぜここまでメディアは堕ちたのか。月刊「正論」がこれまで取り上げてきた「メディア問題」を通じて、その病巣をあぶりだす”とある。頑固爺は最近のメディアの報道態度に疑問を感じていたので、これは面白そうだと早速買い求めた。
ところが、“そうだそうだ、その通りだ”という満足感・一体感は最初の30ページだけで、残る250ページの感想は、“あっ、やられた”である。そのわけは、大部分が過去の「正論」に掲載された論考の再掲載だからである。なかには読んだことがあるものもあるし、読んだことがなくても、その後の状況変化を考えながら読む必要があることは、読者に失望感を与える。
表紙にある惹句を改めて読んでみると、“月刊「正論」がこれまで取り上げた”とあり、これで過去の論考の再掲載だと気づくべきだった。おまけに、再掲載分については、それぞれのタイトルの下に小さく“月刊「正論」平成〇年〇月号掲載”と書いてあるから、自分の不注意を悔やむばかりである。別冊「正論」は初めて読んだが、過去34回の別冊はこのようなものだったに違いない。
ところで、頑固爺が“してやられた”のはこれが最初ではない。「WILL 10月号別冊」の“さようなら、韓国!”特集も同工異曲だった。その内容はほとんどが過去の「WILL」に掲載されたものだった。ことによると、「WILL」の別冊は「別冊正論」の成功を真似したのかしれぬ。今、書店には「月刊HANADA」の別冊“韓国という病”が陳列されているが、これも再掲載の集大成だろうか。
再掲載の原稿料はゼロかもしくはごく僅かだろう。コスト安の刊行物で儲けることは結構だが、過去の論考の寄せ集めであることをわかりやすく告知すべきである。不注意な読者をうまく騙しても、保守派論壇誌のファンを減らすことになるリスクも考えるべきである。