恥を知れ

サディスティック・サディーの生かさず殺さず日記

3/20

2024-03-20 04:05:40 | music

帰り道はよくピアノのCDを聴いてる
なんとなくクールダウンというか
一日のダメージに癒やしを求めてるのかもしれない

キレイな音だなあ
まあキレイじゃないピアノの音なんてそうそうないけど
なんて考えながら歩いててはたと気付いた

いやあったわ
昔散々聞いたわ

私のピアノの音なんであんなに汚かったんだろうな
今思い出してもちょっとオエッってなるくらい

物自体は特別高くもないけど安くもなかったから
曾祖母が買ってくれた
部屋の中での配置とか反響とかもね
言われたことはあるけど
やっぱり弾く人の技術とか心持ちとか
聴く人の気持ちとか
そういうのでこんなにも違うんだなって

押せば鳴る楽器なのにね
不思議だね

同じとこばっか弾くなイライラする
って言った兄の気持ちが今ならよくわかる
苦手なとこ反復練習するのは仕方ないことなんだけど
あんなクソみたいな音で受験勉強中に聞こえてきたらノイローゼなるよね
それがきっかけで家族がいる時間に練習しなくなったというのは完全なる言い訳で
自分でもなぜピアノを続けているのか随分前からわからなくなってた

ひとりの時間に好き勝手弾くのはきらいじゃなかったけどね
1時間でも2時間でも弾いてた
練習って思うと嫌になるから
ただただ感情を吐き出すためだけの
雨だれ 月光 悲愴
今思うとどれだけ醜い音だったことか
別に感情の赴くまま弾くのは悪いことじゃないけど
なんかお前もうちょっとさっていう
当時は自分でも言葉にできないモヤモヤした不快感だったけど
キレイな音を認識できるようになった今改めて思う
私のピアノの音めちゃくちゃ汚かったな
今思い出してもちょっとオエッってなるくらい

後に音楽家のインタビューとか読んでびっくりしたんだけどさ
幼い頃に誰々の何々を聴いて感動してとか
そういうきっかけの人が本当にいるんだなと
低レベルな比較をして申し訳ないが
自分の幼い頃にそういう感性は一切なかったから
友達がピアノを習ってるのを見ていいなうらやましいなっていう
子供によくある
少なくとも当時の私の周りにはよくあった
軽薄で幼稚な動機
音楽への感動とかあんなふうに弾きたいとか一切なかった
クラシック音楽に初めて感動したのは少なくとも中学生
音楽の授業でヴィヴァルディの春を最後まで聴いて
あの有名なのどかなメロディの続きはこんなかっこよかったんだと
それも自分のピアノがんばろとはならなかったし
むしろ当時はプロのピアノ演奏聴くの好きじゃなかった
テレビに出てくるようなうんと有名な人なら別世界と思ってまだ見られたけど
これお手本だから聴いといてっていうのが一番苦手で
だってプロの演奏だよ私がそんなふうに弾けるわけないじゃん
絶対できないのにこれと比較されるのかあ嫌だなあ聴きたくないなあ
って今振り返って言語化してみるとそんな感じ
リスペクトなさすぎて震えるw
別に先生も同じように弾けるなんて思ってるわけないんだけど
言語化できてないから自覚もなく
そもそも先生に何か聞かれて答える以外のコミュニケーションがなかったから
自分の意見を伝えるという発想もなく
最初から最後までただただやる気のないぼんやりした生徒だったな
なんでこいつレッスン続けてるんだろうって先生が一番思ってたろうな
ちなみに私が始めるきっかけになった友達はとっくにやめてた
私も動機と同じくらいの軽さでサクッとやめてたら
こんなにこじらせることもなかったのかな
いつもそうだ
やめそびれてグダグダになる
ピアノも人生も
しかもどんどん下手になってく
終わらせるのが
困ったもんだ

レッスンは受験を理由に高2でやめた
高3の終わり頃ちょっと病んで引きこもってたら
母が月間pianoという雑誌を買ってきてくれて
そこで初めてピアノをこんなバラエティみたいに楽しいんでいいんだと衝撃を受けた
終盤はもう苦しい(のにやめそびれてる)だけで
自分でもよくわかんないことになってたピアノの見方が少し変わった
なぜあの時あれを買ってきてくれたのかわからない
ピアノが好きだとでも思われてたのかな
全然違うのに
でもおかげで嫌いにならずに済んだ
雑誌の中にいる純粋に楽しんでるキラキラした人たちを見るのは辛かったけど
載ってる楽譜を片っ端から弾いた
あれも大概きったねぇ音だったな今思えばw
ただ心の澱をぶちまけるようなさ
でもそれで救われた時間もなんぼかあった
今まで出会った本当に好きな弾ける曲だけ抜き出してファイルブックに入れた
家を出る時持って行った
今でも持ってる
もうピアノはないけど

ピアノを聴いて美しいと感じられるようになったのは大人になってから
弾かなくなってから
弾かなくなったからこそ
一人暮らしの部屋で聴いたショパン
日曜日の昼下がり マグカップの紅茶
暮れかける空の色 木立のシルエット
クラシックをいいと思う自分ちょっとかっこいいかもとか思ったり(アホ)
自分の稼いだ金を払って行くから眠くならないし
Kitaraという場所が好きだったし
ちょっとおめかしして出掛けるの楽しかったし
軽薄で不純な理由も多かったけど
行くからにはこの時間を楽しまねばと全身全霊で集中して聴いてたら
いつしか音が光って聴こえたり
(共感覚はないのでただの夢見がち)
あまりの美しさにボロ泣きする夜もあった

あと今まで読んだものや視聴したもの
言葉で教えてくれた人たち
音楽を聞いて感動するってこういうふうにやればいいんだ
って感動の仕方というか作法を知って安心したり
安心して感動していいんだ
って心理的安全性や環境が整ってきたり
なにしろ怒られ方とか美しいものを見て泣きたくなる感情とか
全部言葉で教わるまでわからなかったくらい発達ゴミな人間ですからね
今まで出会ってくれた知識に感謝

こじらせていた尊大な羞恥心や臆病な自尊心も加齢とともに薄くなって
昔は自分で弾いたことのある曲が苦手だったりしたけど
今はさすがに大丈夫
ショパンのエチュード聴いても
あっはは全然違う
こういう曲だったんだなあ
こういう表現をしたかったんだなあ
あんなクソみたいな演奏して申し訳なかったなあ
ごめんねショパンと先生
って笑い飛ばせる

そう思えばよくここまで成長したな私
あんなに情緒ゴミだったのに
キレイな音汚い音という認識もなく
音楽に感動するという概念も知らないまま
惰性だけでぼんやりピアノ弾いてなんか苦しいとか思ってた人間が

ピアノがある環境は当たり前じゃないし
ピアノを弾ける時間も無限じゃないよって
あの頃の自分に言えるなら言ってやりたい気もするけど
それで何かが変わるような奴じゃないのは自分がよくわかってるから
せめてこのやるせなさを忘れずに
味わって今を生きてくしかないんだね
やる楽しさはもう難しくなってしまったけど
見る楽しさ聴く楽しさはこれからも得られるのだから


 

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