お気楽 Oh! My Way

勝手気ままな日々。散らかり気味な趣味はインドア派。

天秤の、もう片方

2007年06月18日 | 小説と創作


それは史上最悪の魔が差したときだった。
僕の中に天使と悪魔が生まれた。
お互いに牽制し合う彼らは、やじろべえの端っこにつかまっているかのように、振り落とされてなるものかと、どっちも譲らなかった。
でもそうやって世界の均衡が保たれるなら、それでもいいかと思う。こう見えて、神様だって結構憎まれ役なのだ。

僕が第八十一代神様を世襲したのはそんなときだった。
「天使と悪魔の争いが始まればもう一人前だ」と先代はいって、早々に隠居した。
もちろん神様は消滅することはないから神様はひとりじゃない。
死なないのになぜ跡を継がされるかって?
そりゃあだって、神様をやるのは気が重いから。

世の中不平等だって嘆く人がいるけれど、その通り。
誰かは裕福で、誰かは貧乏。
誰かは才能に溢れ、誰かはしょぼい。
差がないことには優劣を表す言葉が生まれるはずもないからね。
神様の中に「天使と悪魔」がいる限り、善意と悪意は平等で、幸運と不運は平等に存在する。
自分がちょっぴり不幸だと感じたとき、誰かはちょっぴり幸福なんだと思ってほしい。

たとえばさ。こういうこと。
恵美子ちゃんのお母さんは五歳の時にいなくなった。
突然荷物をまとめてどこかへと出かけたっきり帰ってこない。
恵美子ちゃんはお母さんにしかられたとき、「お母さんなんて嫌い」といったから帰ってこないんだと思っていた。
何ヶ月か経って恵美子ちゃんは道ばたでお母さんを見かけた。
自分と同じくらいの女の子を連れていたのだ。
女の子は自分が着たこともないようなかわいらしいワンピースを着て、お母さんと手を繋ぎ、楽しそうにお話をしながら歩いていた。
お母さんは違う女の子のお母さんになっていた。
このとき恵美子ちゃんは確かに不幸だった。
でも、相手は確かに幸福をつかんだのだった。

どんなに理不尽なことが起ころうとも、それを受け入れる準備をしていなくちゃいけない。
努力したってどうにもならないと気づいてしまった青年のように、些細な幸せに気づかなくなってしまった中年のように、僕の存在を忘れてしまったってかまわない。
僕に祈りを捧げるのもいいけれど、たまには空に向かって拳を突き上げてごらん。
だからって、僕はきみのことを目の敵にはしないから。
僕はいつでもそれを甘んじて受け入れる。
だって、僕は神様だから。
きみの幸福と、きみの不幸を半々にしてあげる。



※この物語はフィクションです。
イラスト:瑠璃色迷宮さま

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