輪ゴムで止めてある袋入りのフルーツグラノーラを、ザザッとお皿に流し入れる。
最近お気に入りの干しクランベリーも添え、牛乳を注ぐ。
スプーンですくって口に運びながら、覚醒していった。
毎朝毎朝笑顔を振りまく女子アナに、そりゃあモテるわな、と悪態つきながら本日のニュースを聞く。
ニュース原稿は今日も無愛想で客観的だ。
この原稿を書いている人は、3日前にも同じことを書いたような気がすると、毎日思っているかもしれない。
なんでブログがこんなにも人気になったのだろう。
毎日自分の周りに起こったことや感じたことを綴っていく。
ただそれだけのこと。
なにもそれは秘密めいた話しではなく、取るに足らぬことであり、書き記すまでもないこと。
きのうと今日の差はほとんどなくて。
でも、わたしは知っている。
ここはどんなにくだらないことでも語れる場所で、誰にもとがめられることもなく、なおかつ見知らぬ誰かが読んでいるということを。
だからちょっと聞いてみたい。
女子高生ぐらいの子がブログを始める時、友達に言う人はどれくらいいるのだろうかと。
もし、このブログを読んだことがある人で、生身のわたしを知らない人が、本物のわたしと遭遇した時、きっと「イメージが違う」というだろう。
わたしが書いた小説しか読んだことのない人がわたしと出会った時もそう思うだろう。
自分自身はかけ離れているつもりはないが、ブログでの自分は多弁である。
しゃべれないから書くことに取り憑かれているのかもしれない。
それは、自己表現とも少し違うとも思うし、なりきれない自分を主人公に投影させているのともちょっと違う。
だけどやっぱり書いている時の自分には何かが取り憑いている。
自分の口からは語られることのない文章が残っていく。
井戸に向かって叫ぶように。
ネットに紛れ込む文章は街中の喧騒に似ているかもしれない。
たまたま通りすがったあなたとは、たぶんもう会うこともないでしょう。
たまたま街中ですれ違ったOLと同じように。