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お気楽 Oh! My Way

勝手気ままな日々。散らかり気味な趣味はインドア派。

まずは疑え

2008年05月31日 | 小説と創作
先日、妙な電話がかかってきた。
電話を受けたのは母だ。
電話の相手は弟で、携帯をなくしたといっており、ものすごく消沈しきった様子であったという。
警察にも届け出ており、どういうわけか、見つかったときにはうちに電話がかかってくるようなことをいっていたらしい。
新しい携帯の番号を告げると、忙しいから切るねといっていそいそと話を切り上げたといい、なんだかよくわからない内容だ。
しかも、風邪をひいたのか声がずいぶんとおかしかったという。

母は携帯電話の中に入っている個人情報を気にしている様子だったが、わたしはなんで警察からうちへ連絡が来るようになっているのかが気になった。
嫁さんに見られてはまずい内容が携帯に入ってるんじゃないかと疑ったのだ。
こんなことで浮気がバレるなんてバカらしいではないか。
ところが翌日、母は直接弟と会い、携帯がどうなったかを聞くと、弟はきょとんとして内ポケットから携帯を取り出したという。
つまり……ちまたでウワサのオレオレ詐欺からの電話だったのだ。

母の友人にこの話をしたところ、同じ手口でだまされかかった人がいたことがわかった。
母も新しい携帯の番号を書き留めていたように、その人もその後が気になって新しい携帯に電話をかけたというのだ。
そうしたらいきなり、酔っぱらったいきおいで女の人を突き飛ばしてしまい、お金が必要になったといわれ、指示されるがままに100万円を振り込んだそうだ。
だけど、その口座は犯罪に使われていると銀行側が知ったのか、相手に渡る前にストップされていたので戻ってきたという。

だんだんと手口が巧妙になっているじゃないか。
だますのなら一回目の電話でさっさとだまさなくてはだましきれないと思っていたが、そうではなかったのだ。
まずは本物の息子との連絡を絶つことが最優先事項になっている。
うちの母も確認のためになくしたという携帯にかけてみることはなかったし、自宅の方に電話するのもなんだかためらうような雰囲気だった。
さいわいと母の職場と弟の職場は近いところにあるので直接聞いてみたというわけだった。

そんなわけでして、今更ながらの題材だけど。
ショートショートをひとつ。


*-*---------------------------
  振り込め詐欺
*-*---------------------------

「もしもし、オレだけど……」
「え?」
「オレ、オレだけど」
「正敏かい?」
「そう……あの、あのさ……」
「もう、なんだい。泣いているのかい? 男のくせに母親に電話で泣きついてくる馬鹿がおるか」
「ごめん、だけど、大変なことになって。お金が必要なんだよ。それがものすごい大金で、どうしたらいいのかわかんなくてさ」
「そんなことぐらいで泣くんじゃない。お金ならあるから」
「でも、本当にとんでもない額なんだよ」
「大丈夫。お父さんの退職金で株投資してたから、うちにも少しはお金があるんだよ。今、五千万くらいになってるから、それだったら少しは足しになるんだろ?」
「ありがとう、母さん」
「だけどその株を売りさばくには三十万必要なんだ。手元にないんだけど、それくらいなら用意できるのかい?」
「え? ……ああ、なんとかするよ」
「じゃあ、今からいう口座に振り込んでおくれ。メモの用意はいいかい?」

DJミアコのラジオ番組

2007年07月29日 | 小説と創作
「ミッドナイト癒シアター」のオフィシャルサイト

 FMサーフィン横浜***MHz。南関東区域で放送中。
 ラジオDJミアコがお送りする真夜中のちょっと癒される番組。
 ここでは過去に放送された内容をご紹介しています。


  
20XX.07.28 ON AIR

 ええと、ラジオネーム・団塊オヤジさんからのメールです。
『ミアコさん、こんばんは』
 こんばんは。
『仕事で遅くなる日はいつも電車の中で聴いています。残業を終え、これから自宅まで電車で二時間かけて帰ります。数十年前に建てた夢のマイホームは郊外にあるのです。東京ではまだ終電には早いですが、これが最寄りの駅に着く最終便になります』
 うわぁー、大変ですね。
『鮨詰めだった乗客も、この番組が始まるころには数えるほどです。ミアコさんのお話しを聞きながら、私はひっそりと泣いています。電車の中で泣くという楽しみを見つけて以来、少し癒されているような気がします。この一日の締めくくりは女房にも秘密です』
 うーん、一緒に聴いて泣くのはさずがに恥ずかしいですかね。ぜひ奥様にも教えてあげてほしいですけども。

 自分だけの楽しみといえば、小さい頃、捨て犬を拾ったことがあるんですよ。
 そう、たぶん捨て犬。泥だらけの小さな茶色い犬で、見た瞬間、捨て犬って思ったの。
 自分だけのものにしたくて、誰にもいわなくて、草むらの中に大きなダンボール箱を置いて、その中で子犬を飼っていたんです。毎日給食の残りのパンとかをあげたりして。
 あるとき雨が降ったんですね。自分もぬれるのが嫌だし、面倒だからそのままにしておいたら、次の日、いなくなってたんです。こんなところで私に飼われることに嫌気が差したんでしょうね。

 それから一ヶ月ぐらいが過ぎたころかな、まだ子供のかわいらしさを残す茶色い犬を見かけたんです。その犬も私のことをジッと見ていて。
 私はあのときの犬にハリーと名付けたことを思い出してました。呼んでみようとしたそのとき、「イチロー」って誰かが呼んだんです。そうしたらその犬は一目散にその人のところへ飛んでいったんですよね。飼い主に撫でられたあとはからみつくようについていって、私のことを一度も振り返ることはなかったですよ。
 あのときの子犬かはわからないけど、中途半端な愛情って見抜かれるんですよね。

 さて、それでは今日の一曲目を聴いてもらいましょうかね。
 団塊オヤジさん、聴いてますか。自宅まであと少しですよ。

 仕事終わりの終電で、二時間かけて帰宅する夜もある。
 そんなあなたが癒されれば。
 そして、長年連れ添ったあの人に感謝の気持ちが言えるまで。
 チューリップで『サボテンの花』。
  

※この物語はフィクションであり、架空のラジオ番組です。
 本当に音楽を使ってみたいのですが、無料ブログゆえ、使用料が支払いきれないので、「ほんの~、小さな~」と、頭の中で歌ってみてください(笑)


天秤の、もう片方

2007年06月18日 | 小説と創作


それは史上最悪の魔が差したときだった。
僕の中に天使と悪魔が生まれた。
お互いに牽制し合う彼らは、やじろべえの端っこにつかまっているかのように、振り落とされてなるものかと、どっちも譲らなかった。
でもそうやって世界の均衡が保たれるなら、それでもいいかと思う。こう見えて、神様だって結構憎まれ役なのだ。

僕が第八十一代神様を世襲したのはそんなときだった。
「天使と悪魔の争いが始まればもう一人前だ」と先代はいって、早々に隠居した。
もちろん神様は消滅することはないから神様はひとりじゃない。
死なないのになぜ跡を継がされるかって?
そりゃあだって、神様をやるのは気が重いから。

世の中不平等だって嘆く人がいるけれど、その通り。
誰かは裕福で、誰かは貧乏。
誰かは才能に溢れ、誰かはしょぼい。
差がないことには優劣を表す言葉が生まれるはずもないからね。
神様の中に「天使と悪魔」がいる限り、善意と悪意は平等で、幸運と不運は平等に存在する。
自分がちょっぴり不幸だと感じたとき、誰かはちょっぴり幸福なんだと思ってほしい。

たとえばさ。こういうこと。
恵美子ちゃんのお母さんは五歳の時にいなくなった。
突然荷物をまとめてどこかへと出かけたっきり帰ってこない。
恵美子ちゃんはお母さんにしかられたとき、「お母さんなんて嫌い」といったから帰ってこないんだと思っていた。
何ヶ月か経って恵美子ちゃんは道ばたでお母さんを見かけた。
自分と同じくらいの女の子を連れていたのだ。
女の子は自分が着たこともないようなかわいらしいワンピースを着て、お母さんと手を繋ぎ、楽しそうにお話をしながら歩いていた。
お母さんは違う女の子のお母さんになっていた。
このとき恵美子ちゃんは確かに不幸だった。
でも、相手は確かに幸福をつかんだのだった。

どんなに理不尽なことが起ころうとも、それを受け入れる準備をしていなくちゃいけない。
努力したってどうにもならないと気づいてしまった青年のように、些細な幸せに気づかなくなってしまった中年のように、僕の存在を忘れてしまったってかまわない。
僕に祈りを捧げるのもいいけれど、たまには空に向かって拳を突き上げてごらん。
だからって、僕はきみのことを目の敵にはしないから。
僕はいつでもそれを甘んじて受け入れる。
だって、僕は神様だから。
きみの幸福と、きみの不幸を半々にしてあげる。



※この物語はフィクションです。
イラスト:瑠璃色迷宮さま


残暑の夜に怪談話

2006年09月09日 | 小説と創作
今宵は、創作の怪談話をお楽しみください。

・・・・・

吾輩は妖怪である。
名前は――名乗ることもあるまい。

ともあれ、人間界に認知されていなかったとしても、それは妖怪として嘆かわしいことではない。
物騒な存在であるべき妖怪はごまんといるが、人間が把握できることなど本当に微々たるものだ。
異世界の辺境には人間たちがまだ見ぬ妖怪がうようよといて、まさに悠々自適の暮らしぶりで人間界に興味を示さぬものもいるし、暇つぶしがてら人間に知られぬよう奇怪な悪さをしでかすものもある。

人間が作った妖怪事典なるものに吾輩の名はないようだが、ひょっとしたら思い当たる節があるかもしれない。
吾輩はあてもなく彷徨い、居所を定めず、どこからともなく風のように現れ、いろいろな面白い話をこっそりと人間に聞かせてあげるのだ。
即興話もあれば、どこかで聞きかじったような話もある。
嘘のような本当の話もあれば、本当のような嘘の話もある。

肝心なのは「確かなこと」じゃあない。
火のないところに煙を立たせ、根も葉もない噂を真実に思わせるのは吾輩の本領だ。
ちょっとコツさえつかめれば、噂が一人歩きをして自然と広まっていくものだ。

誰に聞いたのか思い出せない話があったら、それは吾輩の仕業かもしれない。
現実には起こりえない話があったら、それも吾輩の仕業かもしれない。
悪い噂があっという間に広まったら、それも吾輩の仕業かもしれない。
不思議なことに、真っ赤な嘘も根拠のない噂もまた真実となりうるのだ。
下世話な噂も人間は好きだが、この世の果てまで行っても遭遇できないような怪しげな話しにも興味を持つ。

なぜかって?
いっただろう? 肝心なのは確かなことじゃあないんだ。

・・・・・

3話分をホームページに載せました。
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なぜ書く

2006年07月26日 | 小説と創作
文学賞が乱立して、出版社から地方から、本当に様々な新人賞がある。
その賞から売れっ子の作家が誕生しないと、その賞も長続きしない。
(性質上、地方は関係ないが)

なまじ小さな賞を射止めるぐらいなら……と、思わないではない。
一度受賞してもまた投稿生活に舞い戻って他の新人賞にチャレンジする、いわばセミプロみたいな人たちが大勢いるから。
とはいえ、下手な鉄砲なんとやらで送り続けても、うんともすんとも。

応募歴を記録し続けていると、そのさんざんな記録にうんざりとする。
初めのころは長いものが書けなくて、童話から入ったが、それらも含めるといつの間にやら応募回数は100回を超えていた。
もちろん、今じゃ、くだらなくて使えないネタもあるし、使いまわしているのもあるので、アイディアが100個あるわけじゃない。

それに、ほとんどが短編で長いものでも200枚程度のものしか書いてみたことがない。
よく言われるのは、長編が書けないと駄目だってこと。
主要な文芸賞をザッと見渡すと、ほとんどが長編。
長編と明言していなくても250枚以上なら長編と考えるべきで、連作の短編を送るのはまれだと思う。

今から来年の早春までに応募してみたいと思うめぼしい賞は4つほどあるが、どれも長編の長さなのだ。
全部に応募できるわけはないので、書ければ一番近い締切ってことになる。
果たして長編が書けるだろうか。

ときどき自分がやっていることの意味を深く考えすぎて嫌になる。
たとえば、ブログやホームページで公開するために書き続けるってのもありじゃないかとか。
自分が1/1000になれる日がくるとは、とうてい思えないのだ。
思えないのに応募するのも変な話しだけど。
ひとつの門をくぐっても次がなければしょうがない。
結局はその中の頂点に立たないことには、あとはすべて一緒なのだから。