ナナと一緒に

母の残してくれたもの…それはねこのナナ。
愛猫ナナに癒され一緒に頑張る日々の記録

現実

2007-04-16 | 母の事故

弟が母の確認に出てから私はしばらく泣き続けた。
「お母さん お母さん 何処にいるの?早く帰ってきてよ。
考えられないありえないもう何で帰ってこないの?遅すぎるよ

この言葉を何度繰り返し時間が過ぎたのか・・・、。
しばらくして別居中の父がタクシーを飛ばし自宅へ。

さすがの父も慌てた様子で
「何か(弟から)連絡は? しっかりしろ!」
私は何かにすがるように父に泣きついた
「お父さんもすぐに行くからここでお前は連絡を待ってなさい
そう言って父も慌てて家を出た。

私は父に笑って「大丈夫だよ間違いだよ」たぶんそう言って欲しかったと思う。

また一人になった私は何かにすがるように夜中に電話機を握った

「叔父ちゃん?家に変な電話がかかって来てね警視庁とか言うんだよ」
叔父は母の兄で地方にいる。
定年退職するまでは警察関係の仕事をしていた。
だから私はまるで子供が大人に言いつけるかのようにその電話の内容を話し

「酷くない?そんな間違った電話をするものなの?ねえ?」

そう言って叔父に迫った。
もちろん叔父もびっくりしていたが冷静に私を説き伏せようとした。

この時皆が寄ってたかって私をいじめてくるそう感じた。

どのくらい時間がたっただろう。
このあたりは本当に記憶がないのでどう知らされたか覚えてないが

「お姉ちゃん。正真正銘、お母さんだったよ。」

そう半分泣きそうな顔で笑って言った弟の顔ははっきり覚えている
私はすぐに会いたかったのだが事故死なので
一旦検死解剖をすると言うことで朝を弟と父で自宅で待つことになった。

「お母さんが死んだ。お母さんが死んだ。・・・」悪い夢だとひたすら思いたかった。

私はどういう訳か涙が止まってしまった
あまりのショックでたぶん現実逃避をしたのではないかと思うのだが
この時から不思議と母と対面を果たすまではあまり泣く事はなくなった。


2007-04-16 | 天国への手紙

庭に水仙が綺麗に咲きました。
母が以前知り合いの方から譲ってもらったものです。
庭で一段と甘い香りを放ちその存在をアピールしてます。


母が生きていたらどんなに喜ぶか

この水仙をもらった時母は私に自慢げに
「これ匂いかいで いい匂いでしょ
日本の物じゃなくて知り合いの方のお父様が海外で育てているもの分けてもらっちゃった

そう言って本当に嬉しそうに話してた母。
花がとにかく大好きでこの家を買った時には庭中を花だらけにして
毎週のように一緒に花屋通い

おかげで私もすっかりお花好きに

私が病気になって入院すると、必ず庭の花をお見舞いに持ってきてくれたね。
季節季節のお花に何かを添えて。
お互いに泣き虫だったからすぐ
「早く良くなってお花見ようね」 な~んて馬鹿みたいに抱き合って泣いたり

もう私が入院しても母は来ないんですね

お母さん、今年も水仙が綺麗に咲いたよ。そこから見える?

でもね一番大事にしてたしだれ桜が咲かないよ・・・。
毎年いっぱい咲いてたのに・・・。

「虫がついてるからやめて~」って毎年のように私が怒るのに
無理にでも一人暮らしの私の部屋に持ってきてたあの自宅のしだれ桜。

弟が車に花びらが落ちて怒ると
「私が死んだら切ってもいいよ
なんてよく言ってたけどこんな死に方じゃ冗談でも切るなんて言えないねって・・・。

弟は今でも咲くのを待っているよ。

お母さんがいないからしだれ桜がへそ曲げてるよ
まるでお母さんがいないのを悲しむかのように・・・。




電話

2007-04-14 | 母の事故
自宅の電話がなった
いつもなら私が電話を出るのだが
その日は何故か弟に鳴り響く電話の子機を渡した。

「警察?」

時間は深夜0時を回っていた。
弟のその声で半分寝ぼけていた私は目が覚めた

「お姉ちゃん、お母さんの歳いくつ?」

私は何?って思いながらも不思議とあまりその時は深刻に感じていなかった。
だが弟の顔が歪みこめかみを押さえ明らかに様子が見る見るおかしくなった。

「何?どうしたの?何なのその電話?」私は不安になり電話中の弟に聞き続けた
電話を切った弟は私に

「お姉ちゃん。お母さんが死んじゃった。。。」

何を言っているのか良く判らなかった。
ただ私の記憶が正しければこの時に不安と同時に怒りがこみ上げたと思う。
「悪い冗談だ。こんな深夜にお母さんは何処で何しているのよ 」
まだ帰ってきていない母にたいし「もう夜遊びしないで自宅に帰って来い」そんな事も思っていた気がする。

とにかく弟のその言葉を聞いて私は慌てて母の携帯に電話した。
呼び出し音が鳴る。
すぐに電話が出た 
私はほっとして「お母さん?」と言った。
だが私はとっさに少し変に思った。
母は携帯は苦手でこちらからかけてすぐに出た試しがなかったからだ。

期待は裏切られた
「こちらは警視庁○○です。お嬢さんですか?」
そこからはもう地獄に突きつけられた気分だ。

母の最期を伝える女性警察官の声が言葉なんだけど理解できなく
「はい。」と返事するのが私は精一杯だった。
「大丈夫ですか?こちらにこれますか?」

この電話を切った後私は良く覚えていないが
まだ間違いかもと思い続けた。
そして車椅子で身動き取れない私は弟に母の遺体の確認に向かわせた。

「大丈夫?しっかりして 間違いかも知れないんだしね。
 車でこんな時は行っちゃだめだから歩きで行きなさい 判った?」

そう言って弟を送り出した。
その直後私は急に怖くなり大声で泣いた。
そしてこの馬鹿げた状況が早く間違いだと確認がしたく

始めて自分が車椅子で歩けないという事を恨み、自分の足を何度も何度も叩いた。

だが今となってこの時の事を考えると私は胸が痛む。
弟の気持ちを考えてしまうからだ。
あの時は母は絶対に生きているって信じ、とにかく早く確認したく
その思いだけで弟一人至急向かわせたが
どんなに弟は辛かったか。。。
本当にごめんなさい。
私は無意識に実家に戻ってきてからは弟に頼る癖がついてる。
本当なら意地でも弟を一人にするべきではなかった気がする

この時、この電話がとにかく一瞬にして全てを崩し
私から母を奪いこんなにも深い悲しみと孤独感を知らせるベルになった。




その日の朝

2007-04-14 | 母の事故
その日私と母は普通に会話をした。
来週は母の誕生日 
母自身はその事を覚えていたかは今となっては判らないが
私は足の大きな母に靴のプレゼントを考えていた。

最近は母の仕事が忙しく朝ゆっくり話すことがなかったのに
その日は今思うと本当に珍しく
私がネットを見ながらお母さんの靴を見ていると母も横に座り画面を覗き込んだ

「最近は転びやすいから歩きやすいヒールのものないかしら?
 これから温かくなった時に白い靴が欲しいの~。」

そう言ってニコニコしながらも忙しそうに仕事準備をしていた。
私はそんな母を見ながら今日の服装を見ていた。
母はいちおデザイナーである。
その日の母は最近お気に入りの自分のデザインしたスーツを着ていた。
母がそのスーツを着るときは何か予定がある時なので
私は心の中で今日は営業かな?等と思いながら母の靴をネットで物色した

しばらくすると
「大変 今日は歯医者の予約があったかも
そう言うと2,3言葉を交わし出かけようとする母に

「もうそそっかしすぎ。気おつけてね

そう私が言うと

「はいはい。いってきまーす

そう言う母の後姿を見送った。

これが結局私が生きてる母を見た最後になった。

あの時に何故その服似合うね お気に入りなんだね
そう言ってあげなかったのか。
私にはどうしてもその日の朝の母の姿が忘れられない





事故そして…

2007-04-13 | 母の事故
先月突然母を亡くして私の日常は変わりました。
私の家はと~っても複雑

まず家族構成は
父→養父 かれこれ10年近く母とは別居。
     自宅近くに住んでいて時々家族で食事とかして
     程よく距離を保ちながらの付き合い。
     母の死後は実家に戻ってきて現在自宅2階で生活中

  弟  現在の父の実子でもうすぐ三十路な独身くん。
     どちらかと言うとお母さん子、お姉ちゃん子。 
     融通が利かないまじめ君。今はお仕事が恋人?

  私  これまた独身の3○歳。
     20代のときに難病の多発性硬化症にかかり現在は車椅子生活中
     気が強くてあまのじゃく。

 (母) 先月他界
     男顔負けの働きっぷりで言い出したら聞かない性格。
     愛情は人一倍強く寂しがりや。

♂にゃんこ ゆきちゃん ♀にゃんこ ななちゃん  ♂わんこ ター君

と家族3人と3匹で現在生活中。

それなりに幸せ?だった我が家に突然おきた不幸は
私の生活、いや人生すらも変えてしまおうと今しているのです。

「お母さん。私辛いよ。ひとりぼっちだよ。
 病気の私を置いては絶対に死ねないと言ったでしょ。
 いつだって二人三脚でうっとうしい位私にへばりついてたじゃん。
 私のドレスを作ってくれるって言ったじゃん。」

神様お願いです。
どうか事故が起きたあの日に戻してください。
後5分でも時間がずれてたら・・・
私に母を返して下さい。

毎日、毎日どれだけ涙を流したか・・・。
毎日、どれだけ母にかたりかけているか・・・。
毎日、どれだけ祈っているか・・・。

こんなに深い悲しみがあるなんて私は知りませんでした。
自分が病気になった事よりも、もう歩けないかもと思ったときも
こんなに悲しく涙は出なかった

でもね、悲しみに本当は身をゆだねいつまでも泣いてたいけど
現実は悲しみにくれてばかりはいられないのです
日常は流れていくのです。もの凄い勢いで変化していくのです

自己紹介

2007-04-13 | ☆ お知らせ ☆彡
こんにちわteacatです
彼氏のT君と愛猫ナナちゃん11歳と都内にひっそり暮らしてます

多発性硬化症(MS)と言う難病に数年前になり
以来再発と寛解を繰り返し2005年に大きな再発をした事から
現在は車椅子生活をしながら自宅療養中

他に薬の副作用から子宮内膜増殖症になり今も治療中

2007年3月下旬に突然母を事故で亡くしてしまいその事がきっかけで
人生が大きく変わってしまいます

そんなteacatの切ないけど頑張る毎日のブログです