ナナと一緒に

母の残してくれたもの…それはねこのナナ。
愛猫ナナに癒され一緒に頑張る日々の記録

通夜

2007-04-30 | 母の事故
通夜の席は密葬を希望してた母にとっては予想外。
いや、母だけではなく私達もびっくりしたくらいの人が
母に最後の別れに来てくれた。

母の仕事上からごく内輪の人間にだけは知らせてあったが
母に会いたいと多くの方が思ってくださり集まってくれた。

母の人徳だなと感じ、
母と言う人間は娘が思う以上に皆に愛され仕事をしていたのだなと・・・

葬儀は母が始めて店を構えた場所のすぐそばにある会館で行った。
母にとっても私にとってもゆかりがあるのであえてその場所での葬儀にしたのだ。
そこは本当に思い出の地。
母の出発点でもあり、私が生まれしばらく住んでた土地である。
懐かしいその場所は私の記憶を呼び覚まし母との思い出にまた涙が溢れた。

母の友人、お客様、従業員や色んな方が私の手を握り励ましの言葉をかけてくれた。
ほんのちょっとの間だが母と仕事もしていた事もあるのが
母の人間関係の中に自分と言う存在が思った以上に関わっていた事には
自分でびっくりした。知らない方がいない位だったからだ。
私の小さな頃から知っている母の知人も大勢いらしてくださった。
ちょっとした同窓会のようだ。
そして皆が「先生は凄くteacatちゃん(私)を自慢してたわ」「先生のあなたは宝だったのよ」など等
そう言って皆が私を見ながら涙を流した。

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「もうすぐ本当にお別れになっちゃうんだね」そう私は母に語りかけた。
相変わらず穏やかな顔で寝ているかのような母。
私はあまりに周りの人が私を心配したりするので
本当は泣き出しそうな自分を一生懸命にこらえてた。

「泣いてばかりじゃおばさんが成仏できないよ。「ごめんね」や「何で」じゃなくて
お別れなんだからおまえの本当の気持ちをちゃんと「ありがとう」って伝えなきゃね。
明日のお別れは後悔しないようにしような
そう母の死後ずっと着いててくれている彼に言われていた。

こんな時は本当に彼の存在は大きかった。

母の死後直後から会社を早退して、心配でつきっきりで私のそばに着いていてくれる彼。
人生に絶望する気持ち、母を私から奪った現実
そして母子寄り添い生きてきた私にとってはある意味唯一の肉親。
(弟はいるが弟には父もそして父方の親戚もいる。
特に気にしてはいなかったが母の死後私を守り味方してくれる人は
本当に母だけなんだなと感じた。
その寂しさは味わった事のない孤独と深い悲しみだった。
この寂しさの淵にかろうじて立ってられたのは本当に彼のおかげだろう。

その晩通夜の終わった後に彼は私を連れ出してくれていた。
私は大声で泣き、そして声に出して叫んだりもした。

どの位そうしていたのか、あまり帰らないと先に帰った父と弟が心配すると
そう思い自宅に帰ったが2人とも何も聞いてはこなかった。

父はさすがに疲れたらしくすぐに寝たが、私と弟そして彼は
「いや~お母さんもあんなに人が来てびっくりしてんだろうね
そんなたわいもない話しをした。
お母さんの悪口も言った(笑)そうやってその晩は過ぎていった。。。