ナナと一緒に

母の残してくれたもの…それはねこのナナ。
愛猫ナナに癒され一緒に頑張る日々の記録

2年前の記憶

2007-04-22 | 病気
春の空は3日ともたないと言いますが
ここの所の東京はこの言葉がぴったり。

ずっと雨の続いてた空に青空が。。。

ちょうど2年前の今頃私は持病の多発性硬化症
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/068.htm
で入院中に再発が止まらずどんどん病状は悪化。
左半身の麻痺が徐々に全身に、そして呼吸器に・・・。
私はこの病気では死ぬ事はないと聞いていたので
始めは自分の身に起きていることが把握できなかった。

初めての免疫吸着。
簡単に言うと免疫吸着とは体内の血液を一旦外に出しろ過をして
悪いものだけを取り除きもう一度体内に戻すと言ういわゆる透析のようなもの。

この時は本当に辛かった。
だが私はある意味幸せにも感じたのを覚えている。

その時の私は個室に移されてて24時間呼吸器につながれてた。
意識は正常だ。
個室の窓からは春の青空が覗きその年は4月なのに24度を毎日のように上回った。
昼ともなると病室は熱くて居られない位になり私は暑いのが苦手なので
氷枕を全身に引いて冷やしてた。
自分で水も飲めない、ナースコールも出来ない
そんな私のそばを母は24時間泊り込みで看病してくれた。

私は小さな頃から両親が仕事をしていたので病気になっても
一人で自宅で寝ているのがあたりまえだった。
だからそんな風に母を独り占め出来るなんてめったにない事。
そして弟が休みの日には家族が4人病室に集まって笑いが絶えなかった。
週末には彼も病室を訪れてくれる。
そんな光景に私はなんて自分は幸せなんだろうって思ったのを強く覚えている。
だから仮に自分が死んでしまうとしても今ならもう悔いはないと思ってた。

しかし考えたら私って言う子はいつからこんなにマザコン(?)になったんだ?

やはり病気になってからだろうな~
それまでの私はどちらかと言うと家が嫌いであまり寄り付かないタイプだった。
それが病気になり改めて家族の大事さや必要性を考えるようになった。
まあ病院と言う場所は特にやる事もないので考える時間が沢山あったし・・・

病気は正直なりたくなかったが、そこから得たものは私の人生に意味あるものばかりだ。

とにかくこの時期の青空を見るとこの時の事を思い出す。
よくよく考えたら私の病気の確定診断もこの時期だったかも。。。
・・・。と言う事は再発に気をつけなくては・・・
(案外嫌な事は寝たら忘れるそんなタイプなので病気の事に関しては
 辛い思いは沢山しているはずだがあまり普段思い出す事がないのだ

そうそう。この時の出来事で後から母に私はいつ死んでもおかしくない状態と
医師に説明されたと聞かされた。
確かに医師は私にもそう言ってたかも(笑)
その言葉は半分本気半分聞き流してたのでさほど自分にとっては重要視した記憶がない。
ただ両親がいない時に私は医師を呼び尊厳死を主張して主治医を悩ませはしたが
案外その時は冷静で死について怖いとか思わず
両親が悲しんで欲しくない事と入院費の事考えてた気がする。

そうだ私って本来はその場は考えるが基本は暢気な性格なんだよな
都合悪い事は忘れちゃう久々に自分を思い出したかも。

ここの所暗いぞ私
今日は花を買いに行くついでに何かお買い物でもして気晴らしでもしよ



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