憔悴報告

All about 映画関係、妄想関係、日々の出来事。

ブラインド・ゲーマー

2006年03月27日 | ゲーム
『FF12』をやっていて思うのは、「ゲームのプレイヤーは一体何を観ているのか?」ということだ。
おれは、ゲームをしていると盲目になってしまったような感覚に襲われることがある。
盲目というか、もう何も観る必要がないような気分になってしまう。
映画を観ているときは、意識的にスクリーンを観ているのでそんなことは絶対にない。
しかしゲームをやっていると、コントローラーの感触とスピーカーから聞こえてくる音だけでなんか十分な感じになることがあるのだ。
そんな中で見せられるムービーというのは、普段以上に苦痛だったりする。
何も観る必要がない、むしろ何も観たくない、ただ感覚に任せてキャラクターを操っていたいというような精神状態の中では、映像がひたすら無力に思えてくる。

ゲームの映像とは、実はまやかしではないのか。
「映画でもゲームでも、映像は映像だ」と言われるかもしれないが本当にそうか?
映画というシステムの中に身を置いている状態と、ゲームのそれとでは映像の意味合いがまるっきり違う。
極論してみよう。
ゲームにおいて最も難しいのは、映像を見せることではないだろうか。
ゲームのプレイヤーは、映像など観たくないものだ。
しかしそんな人間に「映像が観たい」と思わせることができたなら、これは相当にハイレベルなテクニックだろう。
実際、そういうことができているゲーム作品もある。

ところでゲームばっかりやっていて久しぶりに映画館に行ったが、やはり映画はいい。
思う存分映像が楽しめる。
ゲームにおける映像は、ひょっとしたら結論のようなものかもしれない。
しかし映画における映像は、始まりなのだ。
すべては、映像から始まる。
可能性としての映像があるのは、やはり映画だけなのだろうか。

業務報告
●ゲームをやってるときにはゲーム的思考になるし、映画を観ているときには映画的思考になる。
おれはやっぱり映画的思考がないと生きていけないような気がする。


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