本日のその壱(深刻な話)

先日、ある人に「東京の分かりやすさが好きだ」というようなことを言われた。
みんな必死になって働いて、競争して、活気があって、その中で生き残った者がいい思いをする、そんな分かりやすさが好きだと。
それを聞いて、とても複雑な気持ちになった。
その理由として、まずなによりも、自分は一度東京のそんな環境が嫌で逃げ出した人間だからである。
それだけではない。
自分は、その後も逃げ続けた。
何から?
社会の原理から。
飽くなき競争から。
他人から。
そして、人生そのものから。

ブログ「憔悴報告」の中で、自分は何度となく偉そうな口調で、知った風なことを書きなぐってきた。
うまく言えないのだが、反省している、のかもしれない。
反省というか、後悔というか、いや、もっと単純に、自分にはそんな権利などなかったのだ。
しかし、自分は書き続けた。
ありとあらゆる勘違いを、ときには勘違いと分かった上で、偉そうに知った風なことを書くのが正しいのだ、というさらなる勘違いを踏み台にし、書き続けてきた。
滑稽なことに、その時の自分は、映画を観ることでそのように書く権利を得たつもりでいたのだ。

映画の感想、批評、レビュー、言い方はいろいろあるが、例え本人が真剣なつもりであっても、「たかが観客のひとり」にそれをウェブ上で垂れ流す権利などあるのだろうか。
「金を払って映画を観た、だから何を言ってもいい」というのは、そもそもが自分が逃げ続けてきた社会の原理に他ならない。
嫌悪し続けた社会の原理を、都合のいい時だけ振りかざし、この「憔悴報告」なるブログの筆者は、愚かにも自らの品位を汚し、ただ「映画について書く」ことに酔い、堕落し続けた。
しかし、それももう終わりにしなければならない。
ブログをもう一度ゼロから始めようというのは、つまり人生をもう一度考え直し、真正面から見つめ直し、頭の中だけの妄想や理論ではなく、行動によってそれを提示し直すということなのだろうか。

とここまで書いてきて結局どういうことかと言えば、要するに「仕事」というものを今度こそ真剣に考えなければいけない。
我ながらなんと幼稚なことだろうと思うが、自分はこれまでそれを放棄し続けてきた。
だが、それで済まされる期間は限れられている、それは分かる。
今真剣に仕事を探し、働かなければ、きっと後悔することになるのだろう、ということも想像に難くない。
しかしそれでもなお、自分の中には「逃げ続けたい」という強い気持ちがとぐろを巻いている。
なぜか?
恐いからだ。
社会が、競争が、他人が、とてつもなく恐ろしい。
前のめりに倒れろ、とよく人は言うが、自分はいつだって後ろ向きで、びくびく震えながら社会や人生と接してきた。

だが、果たしてそういうことでいいのだろうか、という疑念もある。
いやそもそも、たとえここで決心してみたところで、自分がそのように生きられるという自信はまったくない。
恐らく、努力する自信がない。
努力。
努力とは何だろう。
自分はこれまで、そこそこの努力をしながら、しかしある程度余裕をもって物事を続けるか、または、まったく余裕がなくなるほど自分を追い詰めて、その結果無様に逃げ出すかのどちらかしか経験がない。
継続は力なり、続けていけるぐらいの努力を自分なりにしていればいいと思った時も何度もある、が、周囲からの無言のプレッシャー(または被害妄想)に押しつぶされる始末だ。
その度に、自分は世界最低のダメ人間なんだ、と思い知らされてきたように思う。
明るい性格でもないし、人付き合いも苦手。
「仕事をする」という観点からすると、大袈裟ではなく自分にはいいところがまったくない、ように思えて仕方ない。

ああ、では自分にとって映画とは一体何だったのだろうか?
結局は、どうということはなく、現実逃避と自己肯定の手段だったような気がする。
なんという、救いようのない、愚かな人間だろう。

このように、考えすぎなところが一番の欠点なのではないか、という気持ちもある。
しかし、分からない、本当に分からない。
自分は一体この先どうすべきなのだろう。

どのような場所で、どのような仕事をすべきなのだろうか。

ブログは、リスタートするにしても、続けるべきなのだろうか。

映画は、観続けるべきなのだろうか。


絶望している、とは言いません。
ただ、なんらかのアドバイスをいただけるなら是非ともお願いします。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
映画は (Max谷川)
2007-12-08 17:10:07
映画は自分は殆ど見ないのですが、
ryoddaさんの自分の考え方で
映画を辛口批評している感じがするので、
是非続けるべきだと思います。
少なくとも、
映画マニアには一見の価値があるブログだと考えています。
映画は殆ど見ないので
あんまり威張れること言える立場じゃないのですが。
 
 
 
Unknown (マルパソ)
2007-12-11 20:00:32
映画を観る事は現実逃避じゃないと思いますよ。
「映画」と普段生活している「社会」の2つがあって『世界』じゃないですか?

多分いつの時代もその当時の世の中のシステムに合わない人はいると思います。
※私もその一員だと自覚してます。
そういう『消極的』にみえる人を今は「ニート」とか(ちょっと前なら「引きこもり」)ってつまらない言葉で世間はカテゴライズしてますけど、別に声高に主張せずに、今のシステムに対して『積極的に』消極的なスタンスをとればいいんじゃないでしょうか?
逃げてる事にはならないと思います。(理解できない人はいるでしょうが・・)

「何か」についてあえて何も主張しないってことはその「何か」について雄弁に語るってことと同じ態度だと思います。
 
 
 
レスです。 (ryodda)
2007-12-12 19:12:03
Max谷川さんへ

そうですね、自分の映画に対する言葉に関心を持ってくれている人のために続ける、というのは間違いではないと思います。

モチベーションのひとつにはなります。

頭に入れて考えてみます。



マルパソさんへ

おっしゃることは分かるつもりです。

自分もこれまで同じように考えてきましたし。

ただこれについてはなかなか難しいというか・・・新しい記事に詳しく書いてみようと思いますので、それをレスの代わりにさせてください。

 
 
 
Unknown (丸義)
2007-12-20 14:59:01
映画に助けられてます。

だから、このブログにも助けられてます。
 
 
 
Re: (ryodda)
2007-12-21 11:12:38
丸義さん、コメントありがとうございます。

シンプルで力強さを感じさせるコメントです。
映画に助けられている、というのは自分も一緒です。
今は少し分からなくなっていますが・・・

自分の場合は、映画だけが自由で、映画には自由であって欲しいと願ってきました。
もちろん無茶苦茶なのは困りますが、少しでも未知のものに触れられれば幸いかと思います。

このブログでそんな風な自由を、読む人に感じてもらうことができたのならば、筆者としてはうれしいことです。
ありがとうございました。
 
 
 
ココログに移転しました (Max谷川)
2008-01-07 05:31:03
ココログに移転しました。
是非来て下さい。
ryoddaさんの映画ブログ見させていただきました。
今後に期待しますが、
憔悴報告からはリンク切れになってますね。
 
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