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鹿島の本宮・跡宮

2006-06-17 | 神社・仏閣
先日4日、会のメンバーとイワクラ学会の皆さんと鹿島神宮~息栖神社~香取神宮を巡りました。鹿島と香取は、以前訪れた事があったのですが息栖神社は、初めての訪問でした。今回の探訪の目的は、別にあったのですがそれとは別に、実は計画を建ててる時にどうしても訪れたい場所がありました。

みなさんは、鹿島神宮に実は「本宮と跡宮」がある事をご存知でしょうか?
このことは「新鹿島神宮史」にも記述があり以前より気になる場所でした。
今回の探訪は、今までの鹿島散策とは、一味違った散策となりました。

本宮と云われているのは、茨城県潮来市大生にある大生(おおう)神社です。
ここは、毎年11月中旬に開催されている茨城県無形民俗文化財ともなっている「巫女舞神事」で、有名です。

大生神社は、建御雷之男神を祭神としていますが、梅原猛が「神々の流竄」の中でこの神社の事を言及しています。
同著の中で氏は、大生神社が建つ地は大生氏すなわち多臣氏が開拓した地であるという説を紹介していて、これらのことから鹿島は建借間命の名をとって地名としたのではないかと結論づけています。
確かに「タケカシマ」から「カシマ」そう言われると尤もに感じてしまうわけですが、ここ常陸の国の大半が多氏によって開拓されたのは事実のようです。ここ、大生神社は多臣の氏神様の地でもあるわけです。


三間社流れ造りの見事な茅葺の拝殿と本殿


通称「なんじゃもんじゃの樹」左下には、明るい「オーブ」が出現!?


参道脇に陰陽石がひっそりとお祭りされていました。

境内は、とても静かで最後まで私達以外は、尋ねてくるものは誰もいませんでした。
本殿は、神社の中でも珍しい三間社流れ造りの見事な茅葺(さすがに現在は、茅葺を模した造りになっています)で、茨城県指定有形文化財にもなっているそうです。由緒では、「創祀年代はあきらかではないが鹿島の本宮と云われ古く大和の飯富(オフ)族の常陸移住の際氏神として奉遷し、祭祀したのに始まる」とありました。

跡宮の地は、鹿島神宮から南に行った神野4にあります。
ここには、面白い伝承があります。以前サクラさんがさくらの日記に書いていたので紹介します。

本社より南にあり、荒魂宮とて有り。大曲津命を祭る。俗に跡宮といふ。是れ神野と云ふ里なり。この傍に女一人あり。神主亀卜を以って之を定む。当社神秘の例を勤め行ふ。当社の神符を授く。物忌職と為す。以上「鹿島宮社例伝記」より

この物忌職とは、伊勢神宮の斎宮と同じく巫女であり正月7日に正殿に物忌職だけが入り「不開殿(あかずどの)」の戸を開ける神事のようです。
晦日より御開戸までは鳴り物も禁じられていて、この間を「大神の御鎮まり」と呼称するそうで、開けられた時が「大神のお目覚」となるようです。

鎌倉時代に「光俊朝臣」は歌に
みそらより 跡たれそめし 跡の宮 その代もしらす 神さいにけり
  
と詠み、この跡宮が「鹿島社の大明神がはしめて天くたらせ給いし所なり云々」
と伝えています。この跡宮に降りた神こそ、鹿島の神なのでしょうか…。


鹿島神宮摂社「跡宮」

「(武甕槌大神が)神護景雲元年に奈良にご遷幸の際ここから出発されたのでその跡宮として祀る」とあります。

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1 コメント

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貴方も倭武天皇の末裔なのでしょう、。私も山の間で写真に写した。5年前に (祖父会津の胡四王-父武借間ー大生照鹿須実…倭武)
2015-06-05 21:01:50
祖祖父は孝元天皇の長男大彦みこと
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