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【奇岩・巨石】下呂・恵那峡周辺の巨石探訪《part3》知る人ぞ知る穴場スポット~源斉岩・品の字岩」@ 源斉公園(岐阜県中津川市千旦林)

2022-05-13 | 磐座・巨石・霊石
「下呂・恵那峡周辺の巨石探訪part3」です。
前回の恵那峡大橋より恵那峡ロードを東へ途中北へ走ること10分ほど行った突き当りに源斎公園があります。

源斉公園案内(クリックして拡大)
目的の源斉岩は公園の西側奥にあります。遊歩道はありますが散策路が荒れていて、途中分かりにくい箇所がありますので、大体の位置関係を覚えておくといいと思います。
橋を渡ったこの辺りまで来ればもうすぐそこです。
源斉岩 窟屋になっており内部に祠が祀られています。高さ5m幅8mほどあるでしょうか。
源斎大明神 永禄七年(1564)頃この岩窟に吉村源斎という人が住んでいたことからこう呼ばれている。付近の原野を開拓して食料を蓄え、世の動きを伺っていたが、武田信玄の軍にこの砦を焼かれ戦死した。死後、近くの村の住人達が源斎の徳を偲んで源斎大明神として祀っている。(案内板より)
(源斎岩に関する昔話)
十三歳のときに木曽川に泳ぐ六尺(1メートル18センチ)もの鯉を捕まえたとか、十五歳のときに伊勢の五十鈴川から二十貫(75キロ)の大石を持ち帰ったと伝えられています。(恵那市内城稲荷=ないじょういなり)にある源斎の根つけ石)
千旦林城の大将となった源斉は家来や百姓とともに野山を開墾し村々の暮らしを豊かなものにしていき、その名は甲斐国、武田信玄にまで知れ渡り軍師に招かれたものの源斉は「いくさは好きでござらによって。」(戦は好きではない)と断ったことから、信玄亡きあと、その子、武田勝頼に目を付けられてしまったそうです。家来や百姓を巻き添えにできないと立て籠もった岩窟が源斉岩。(以上 こちらより引用)

現地案内板(クリックして拡大)
この岩が組み合わさった部分を見ると、いつも思うのが果たして浸食が進み自然に造られた造形なのかいつも不思議に思うところです。岩の組成は同じでも岩目の向きが違うように見えます。
この裏手は、展望台となっており岩の脇から回り込む事が出来ます。
源斉岩の隣にあった巨石
展望台より望む木曽川 見える橋は、源斉橋
訪れたこの日はあいにく川が濁っていました。本来ならエメラルドグリーンなんだそうです。
付知川からの合流ポイントです。この辺りは、奥恵那峡と呼ばれ観光船のハイライトだそうです。
対岸に「品の字岩」が見えます。ここからだと品の字岩に見えませんが... 。
入口の駐車場から見た角度だと確かに「品の字」に見えなくも無いです。(写真クリックして拡大)
【マップ】



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