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【神社・磐座・史跡】人間が宇宙へ還る事を暗示している謎の石碑~大先神社・怪異なることがあって廃村に至ったと伝わる~稗之底古村址@ 長野県諏訪郡富士見町立沢

2022-06-03 | 神社・仏閣
昨年秋の「やりすぎ都市伝説」で、紹介されていた長野県諏訪郡富士見町のとある森の奥深くにある「三つ穴と天に矛先が向けられた謎の石碑」と今から100年ほど前に棄てられた廃村址「稗之底古村址」を探訪して参りました。
 
 少々分かりにくい場所にあるので、とりあえず最寄りにある「そば処おっこと亭( 長野県諏訪郡富士見町乙事)」を目指して来られるのがいいかと思います。

おっこと亭前から北へ伸びる舗装路を1キロほど行くと左側に「稗之底自然探索路・稗之底古村址」と書かれた看板が見えて参ります。
駐車は、この舗装路先に膨らんだスペースがありましたので自分らはそこへ置いて歩きましたがマップを見ると入口付近まで回り込める林道がありましたので、その辺りは個人の判断にお任せします。

林道の突き当りを左へ(車だとこの右手から来ることが出来そうです。)
口コミなどで、紹介されている探索路の入口はこのすぐ先にあります。
ですが、たまたまいらしたジモティの方からお聞きした情報からこの写真の左手奥にある鹿除けの柵から侵入する事にしました。

突き当りに鹿除けの電気柵がありここを外して侵入します。(オレンジの絶縁部を持って外します。帰路は、必ず元に戻すことを忘れずに)


すぐに三方向に分かれますが大先神社へは左 稗の底古村へは右へ行きます。(真っすぐに進んでしまうと散策路になりますので注意のこと。我々は知らずに暫く行って結局引き返す羽目に)
 まずは、謎の石碑があると言う大先神社へと向かいます。
大樹の根元に小さな祠 一気に辺り一面が神聖な雰囲気に変わります。 
昔この地に住んでいた民たちが灌漑した水路を見ながらの散策です。
何とも頼りない板を渡しただけの橋 けっこうたわみます。

幟立てが見えて参りました。

参道石段を登ります。

大先神社に到着です。磐座を拝する原始信仰の残る場所です。稲荷社との記録がありますが、剣を現しているのなら元々は、大山祇を祀る山神社ではないかと推測します。
こちらが謎の石碑です。

三つ穴と天に向いた矛先 やはり謎めいています。
  稗之底村にある石碑は人間が宇宙へ還る事を暗示しているという。今、都市から長野への移住者が増えている。これと同じ現象が縄文時代にも行われていた。長野県では8000か所の縄文遺跡が見つかっており八ヶ岳地域は最も栄えた地域と言われている。人々は富士山より高い八ヶ岳に集まったと言われているがこれはオモテ向きの話で実は海面上昇から逃れるために集まったという説がある。縄文時代は地球の気候が最も温暖だったと言われており氷河が溶け出し100メートルの海面上昇が起きていた。現代の南海トラフ地震、異常気象から人々は無意識に避難している可能性がある。
 植物は光をエネルギーにして酸素を放出している。人間は酸素のない場所では生きられないので植物の存在は必要不可欠。以前、関は新たな能力を持つ異生物の細胞を取り込みその能力を得る「細胞共生進化」で進化したと話した。ヒトになる前の原始生命体にとって酸素は猛毒だったが原核生物を体内に取り込み共生する事でミトコンドリアを生み出し酸素をエネルギーに変える事が可能になった。こうして人類は地球表面上で生きられるようになったという。関のいる稗之底村の跡地は日栄之底村と呼んだという。 (以上は、やりすぎで関が語った内容:こちらより引用)

いつの頃からここに鎮座しているのでしょう?
境内を横切る様に水路が伸びています。

もと来た道を引き返します。
稗の底古村址へ至る道は、先ほどの三叉路を過ぎた途中にありますがまずは、先に散策路の入口まで行ってみることにします。

探索路入口

ここにも鹿除けの電気柵があります。

稗の底古村址へは、つい見落としがちですが、途中に看板がでています。

水路に丸木が渡してあります。ここが目印です。

目的地は、この先のようです。

稗の底古村址 到着です。
「稗の底古村址」石碑
湧水口

水路を分岐させ灌漑しています。

今でも滾々と湧水が湧き出て大地を潤しています。

稗の底古村址案内(クリックして拡大)
ここ、稗の底古村は、当時わずかな田畑の耕作と周辺の森林の伐採で生計をたてていたそうです。しかし、高冷地での厳しい寒さで周辺の村へ移住を余儀なくされ廃村に至ったと伝えらています。
しかし、実はもっと別の理由が真相らしいとの記述が富士見町誌に残っています。
廃村の直接のきっかけは、稗之底の水神社のあたりで「怪異なること」が起こったためであると言い伝えられており、その具体的な理由として「白きにわ鳥出、屋根に登り、おどしなどいたし候よし」
言い伝えによれば「白い鶏が出現して屋根から人を脅していた」と、言うのです。白いニワトリ→アルピノのニワトリ?もしくは、今でいう外来種の白色レグホンかと思うのですが、ニワトリごときで?と、思いますが記録に残しているほどですので、当時の人たちにとって“白いニワトリ”「怪異なること」「不吉なもの」として、恐れられていたのでしょう。
自分は、当時この地域で起こった大規模な土石流などの自然災害が原因では無いかと思っています。

土石流の痕跡?
周辺は、水路が至るところに張り巡らされています。

鳥獣供養碑

帰路はスタート地点蕎麦のおっこと亭で昼食を摂ったのですが、その店内でみかけた宮崎駿監督のサイン色紙
何でも同町に別荘を持つ宮崎駿監督もこの「稗の底古村」についてずいぶん興味を抱いていたようで講演会などをされていたようです。
☞関連リンク稗 之 底 村 の 謎
【マップ】


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