風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない

2011年05月04日 | 政治・時事
“危険性を伝えるだけでは、どうにもならない。
避難するにはお金がいる。補償がはっきり約束されなければ動けない人たちに、
「ここは危険だから避難した方がいい」と言い切れない”

この言葉は、フォト・ジャーナリスト森住卓さんのブログから、勝手に引用したものです。(本当はいけないのですが……)
*森住卓のフォトブログ
2011.5月3日 福島第一原発 飯舘村
http://mphoto.sblo.jp/article/44708053.html

森住さんについては、ご存知の方が多いと思います。イラク、旧ユーゴスラビアでアメリカ軍とNATO軍が使用した劣化ウラン弾による汚染と健康被害を最前線で取材し、劣化ウラン弾の残虐性を早くから訴えてきた人です。また1954年に行われたビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験で、遠く離れたマーシャル諸島で今も続く被曝実態を明らかにし、旧ソ連が、核実験を繰り返したカザフスタンで、20年以上経った現在被曝障害に苦しむ人たちの取材もしてこられた、果敢で心優しいジャーナリストです。
僕は一度だけ森住さんの講演に参加したことがあるのですが、現地の様子を静かにソフトに語るその視線と表情に、現地で暮らす人たちへの優しさと慈愛を感じました。特に子供たちに向ける視線は、写真を見ていただけると解かりますが、愛情に満ちているんですね。
そんな森住さんの福島のフォト・レポートを逃さず見ていただきたいと思います。

さて、森住さんの言葉を採り上げたのは、前回書いたように僕も同じ気持ちだからです。
放射能の危険性が、今盛んに叫ばれています。特にネットでは凄い状況になっている。
しかし、危険性を訴えるだけでは、原発はなくならないと思います。反原発・脱原発の人たちの、核の危険性について多様な意見に、どんなに合理的で正当な理由があっても、それだけではなくならない。

なぜなら原発はウランを燃料として電気を作りますが、ウランを燃料に導くのは「カネ」という燃料だからです。
発電所建設地域には、原発はもちろん水力、火力発電でもデメリットしか生まれません。危険性の大きさから言えば、原発など建設地に恩恵はなどあり得ません。しかし日本に多数の原発がある。これを可能にしたのが、『電源三法交付金』という膨大な燃料です。この交付金がなければ、日本の原発は存在しなかったかもしれません。
その危険性から都会に造ることができない原発を地方の過疎地に造るには、デメリットを払拭させるメリットを注ぎこまなければなりません。それは生活の保障であり、地域社会の整備です。
電源三法によって各建設地域に数百億円単位のカネが注がれ、それを可能にしました。

こうした構図を是正しない限り、原発は止まることはないと思います。
つまり原発に替わる生活の保障と社会整備を可能にするデザインを現実化させる方向性がなければ、いくら危険性を叫んだところで、ウランを燃焼させるカネという燃料に太刀打ちできない。
すでにそこには、電源三法によって注ぎこまれた資金によって、多くの人たちの長年の生活が積み重なっているのだから。

僕は危険性を訴えているだけの人たちには、この辺りの配慮が欠けていると思う。説得力を持たないし、ろくに検証していない危険を煽るような言説が飛び交っている現実と二項対立に陥り、その中間のグラデーションの中にいる人たちを排斥するような自慰的な言動には、強い異和感と恐怖さえ感じます。
危機的状況と悲観性の中で生まれる“人の熱”への恐怖……

デマを上げれば多数あります。それに簡単に調和してしまう“人の熱”。
熱は上昇しながら拡がり、これまで信じていたフリージャーナリストまでもが飛びついてしまう現実があり、ジャーナリストというフィルターを通した言説なら、広めても安心という意識が生まれ、さらに拡がって生まれるカオス。
そのカオスに地震兵器などという陰謀論が加算され、カオスは深まり続ける。
多様性は必要だけど、根源的な問題を扉の向こうに置いたままでは、加熱するだけでたちまち蒸発してしまう。

さらに根源的な問題は、人の人格や人生をどう護るのか……ここにあると思います。
原発建設地域の安全度は、3月11日を境に著しく変化し、放射線物質被害地域は拡散し、その安全度は危機的な状況にある地域があることは間違いない。そこで計測される数値は、自然界に存在する放射能の値を閾値と考えている僕には、卒倒しそうな数値です。
しかしながら、安全度が崩壊した地域でもそれを知りながら、そこに住み続けたい人たちはいる。
人生の根幹みたいなものを喪失してしまう言いようのない痛み。特に年配の方たちには、酷く残酷な選択が強いられているのだと思う。でもできる限りそこに住み続けたいのです。
こうした人たちをどう護るのか。その人たちの人格やそこで生活し続けて形成された内なる想いを大切にしながら、「安全度」をどう高めていくのか。危険性を訴えるだけではあまりにも力不足だと思うし、時と場合によっては害悪になりかねない。


武井繁明


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