風の回廊

風を感じたら気ままに書こうと思う。

カオスの中で―コーヒーブレイク

2011年05月23日 | エッセイ
もしかしたら、日本中が放射性物質にまみれて、破壊し尽くされてしまうかもしれないし、日本どころか、北半球の広い面積にわたり汚染を拡散し、膨大な負の影響を与えることになるかもしれない。最悪のケース、福島第一の各プラントのうちひとつでも、水蒸気爆発を起こしたら、悪夢ではなく現実となり、もっと酷い状態になってしまうかもしれない。
そうした危機を孕みながら、必死の冷却作業が現場で行われ、なんとかそれを防ごうとしている。
このように後がない危機的状況は、さまざまなカオスの根源となり、私たちを混乱させる。
だけど被災していない私たちは、混乱などしていないように時間になれば仕事を淡々とこなし、夜になれば、3月11日前と変わらぬ食事風景がそこに生まれ、夜が深まればこれまでと同じベッドで眠り、やがて朝を迎え、変わらぬ一日が繰り返される。そのことが、不思議でならない気もする。

震災直後、僕は、被災地に限らず、社会のさまざまな場面で混乱の限りを尽くすのではないか……と推察していたのだが、どうも僕は自分も含めて人間という生命体の精神的な面を過小評価していたみたいだ。
僕の中に酷い混乱の渦巻きが生まれなかったのは、福島第一の現状を専門家の見解を聞きながら、理解しようと努めてきたからかもしれない。
そんなことで実際のところけっこう余裕でもある。
しかしながら、毎夜繰り返される、原発に関する情報取得とその整理に、いささか疲労を感じ始めた。
この作業は、特別精神的に辛いことはないのだが、キーボードを打つのが、辛くなってきた。
昨年も一昨年も、頸肩腕症候群が酷くなり、ギブアップしたのも今頃でそんな心配もある。
とはいうものの、止めようという気配はない。「そのときはそのときだ」。という僕が得意な諦め観が、心配の水底に拡がっている。水面では心配していても、底では諦めているんです。

諦めると余裕はさらに広がり、なんとなくとりとめもなく過去を振り返ったりする。過去を振り返ることは、得意中の得意で、『記憶の中の風景』というろくでもない小説風味を6年前から書き、いったん完成させ、それに関連する『夏の終わりに』という短篇を書き、今は『記憶の中の風景』のリメイク、『Passage』 を書いている。すでに146話を書き終え、全部合わせると、449話になり、一話4000字くらいあるから、その量は膨大なもので、すでに当初の目的はどこかへ消え去り、中毒化しているようにも思えてくる。困ったものだと思う。

こんなふうに、カオスの中でも変わることなく、誰もが静謐に暮らしているのです。

「カオスの中で誰もが……」というフレーズが浮かんだ時、このような場で出会い、いつの間にか退会してしまったあの人はどうしているのだろう……という想いが駆け巡った。

僕はmixiに登録する前、今は存在しないinfoseekのSNSに所属し、そこで『記憶の中の風景』を書いていた。その時からの、mixiでいえばマイミクさんのkaolinは、僕を紹介者としてほとんど同時にmixiにやってきた、いわばもっとも古く親しい「お気に入り」(infoでは、mixiでいうマイミクをそう呼んでいた)で、僕を兄のように慕ってくれたのでした。
Info時代はもちろん、mixiに移動してからもメッセージを送ってくれた彼女は、僕のことを「お兄ちゃん」と呼び、朝の挨拶と夜の挨拶を3日空けることなく届け、ビートルズや映画や日常の話をし、彼女は心配事や苦悩を語り、僕はそれを受け、その時精一杯の言葉を送る。そんなSNSライフが2年余り続いた。

そんなkaolinと僕だったから、表面的にさまざまな誤解と思い込みが生まれたのだと思う。
Info時代、姿を隠し魑魅魍魎と化した周辺の人物から、ジェラシーを多分に含む冷ややかで周到な侮蔑の言葉が、二人に送られてきた。やれやれだった。
だからmixiに移行した時は、安堵の気持ちが拡がり安寧状態に落ち着いた。
しかし、その年の11月28日に何の前触れもなくkaolinは突如退会してしまった。
その日のメッセージもいつもと変わらぬ上機嫌な内容だったんだけど……
けっこうショックだったな。寂しくもあったし。

それから2年くらい前にmixiのメッセージ欄を整理したんだけど、彼女からのメッセージだけは消すことが憚れ、何となくそのままにしている。
メッセージからお茶目で朗らかで、幼稚とも思える彼女のイメージとは異なり、筑波のある研究所である研究に没頭していたkaolin……。
佐賀で生まれ育ち「関東の冬は苦手なのよ」と震えた絵文字でメッセージを送り続けてくれた彼女は、このカオスの中でどんなふうに暮らしているんだろう……とふと想像したりする。

あの頃高校1年生だったひとり息子さんは、もう大学を卒業する頃で、きっと彼女は、僕と同じように歳を重ね、それなりに老化し、それなりに何かを失いながら、それ以上の何かを身につけ(この辺りは怠け者の僕と頑張り屋の彼女との違いだ)あの頃よりも魅力的な中年の女性になっていると推測する。

それにしても、SNSという世界は儚く、寂しい。と何となくkaolinが残したメッセージが、僕に語りかける。

人は、「バーチャルな世界だから仕方ないのよ」と言う。そう言って退会したマイミクさんもいる。でもそうなんだろうか。リアルに会わなくても、それはそれでリアルな世界で、さまざまな感情が生まれ、感情が交流しただけの親密性が生まれ、共感は意識の交流の深化を進める。
だけど、いつか離れ、去ってゆき、閉じられる。途切れ、終わる。とてもリアルに。そしてシンプルに、跡形もなく。現実的にこの世界の入口は広く、出口も広い。
バーチャルなのではなくリアルすぎる世界だ。と僕は感じてしまう。

そういえば今日、98歳の伯父の葬儀を済ませてきた。少しだけ胸を絞られたが、総じて悲しくなく、淡々と時が刻まれ、まるで時間の外側にいるような感じさえした。僕は戸惑いの淵を歩きながら、自分の自然抑制された感情に呆れていた。

Kaolinのことを思い出したら、やはり突然退会してしまった、とても素敵なシンガーソングライターのJさんのことを思い出してしまった。
彼女とは、彼女が主宰した化学物質過敏症の研究会の発足会に招待され、その時一度だけ会ったことがある。
何度か彼女のライブに誘われたが、タイミングが合わず、結局行かず終いだった。
そのライブは、僕が学生時代よく行っていた、吉祥寺の『SOME TIME』で行わることが多く、そんなこともあって、何としても行きたかったんだけど、気持ちだけが強く、結局デッサンだけで終わってしまった絵画のようになってしまった。
突然退会されてから、彼女のブログを頼りに、ライブへ行こうと思ったら、ブログも閉鎖状態になっていた。

僕は彼女のアルバムを何枚か持っている。その中には、彼女から贈られた1枚のアルバムがある。
久々に聴いてみようかな……と思う。カオスの中のコーヒーブレイクのお供に。
彼女の声とピアノは、静謐なディーバの輝きを感じさせる。彼女もまた、このカオスの中でどんなふうに過ごしているんだろう……と思う。

KaolinもJさんも元気で暮らしていたらいいな……と願う。

いずれにせよ、そろそろ僕もいろんな意味で、コーヒーブレイクかもしれない。

   C-moon



Stan Getz / Astrud Gilberto - Corcovado