月初めには、氏神様をお参りに伺わせて頂きます。
そして、いつも楽しみにしているのが、その月の「生命の言葉」。
令和5年神無月・10月のお言葉は、
『積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり
積不善(せきふぜん)の家には必ず余殃(よおう)あり』
でした。
「善事を積み重ねた家には、子々孫々まで慶福を招き、
不善を積み重ねた家には、後世まで災禍が訪れる」
という意味となります。
積善は善を積むこと、積不善は善を全く積まなかったこと、と解釈しました。
余慶は良い事が巡ってくるのだろうと、いう解釈でしたので、調べてみました。
「余慶」 功徳の報いによって起こる吉事。
祖先の行なった善事の報いによって、子孫にやってくる吉事。
祖先の善根によって、子孫が報われること。
という意味、、、なるほど。
良い事をしたら自分にかえってくるのだよ、
悪い事したらそれも自分にかえってくるのだよ、
だけでなく、子孫にまで巡っていく、というお話です。
そして、
「余殃」 悪事のむくいとして起こる災禍。
先祖の行なった悪事の報い。
心して生きていかねば!と思うばかりのお言葉でございました。
そして、いつも楽しみにしているのが、その月の「生命の言葉」。
令和5年神無月・10月のお言葉は、
『積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり
積不善(せきふぜん)の家には必ず余殃(よおう)あり』
でした。
「善事を積み重ねた家には、子々孫々まで慶福を招き、
不善を積み重ねた家には、後世まで災禍が訪れる」
という意味となります。
積善は善を積むこと、積不善は善を全く積まなかったこと、と解釈しました。
余慶は良い事が巡ってくるのだろうと、いう解釈でしたので、調べてみました。
「余慶」 功徳の報いによって起こる吉事。
祖先の行なった善事の報いによって、子孫にやってくる吉事。
祖先の善根によって、子孫が報われること。
という意味、、、なるほど。
良い事をしたら自分にかえってくるのだよ、
悪い事したらそれも自分にかえってくるのだよ、
だけでなく、子孫にまで巡っていく、というお話です。
そして、
「余殃」 悪事のむくいとして起こる災禍。
先祖の行なった悪事の報い。
心して生きていかねば!と思うばかりのお言葉でございました。