こもれび

悩み多き毎日。ストレス多き人生。でも、前向きに生きていきたい。だから、自然体で・・・

小さなしあわせ

2011年08月27日 | Weblog

ガーン。「苦しい時のみ 神の御袖にすがる気か!」 ハンマーで頭を打たれたような気がした。あれは40年近くも前のこと。受験に失敗し人生の希望を打ち砕かれて、なすすべもなく上野不忍池の辺をさ迷っていた。池の中ほどに浮かぶ弁天島に祭られている神社の前を通りかかり、ほとんどすがるような気持ちでおみくじを引いた。その時の「天の御声」である。あまりの衝撃で、40年経った今でもハッキリ覚えている。

今、目の前に、あの時と同じ不忍池が、恋人たちを乗せたボートを浮かべて夏の光にキラキラ輝いている。何だか不思議な気がする。あれはまるで、たった数ヶ月前の出来事だったような気もするが、当時はここからスカイツリーは見えなかったはずである。



居場所が見つからなくて苦悶した日々。生きる目的が分からず無為に過ごした日々。自力では変えることができない環境のつらさに悔し涙をこらえた日々。周りの人が皆幸せそうに見えて、自分一人が不幸を背負っていると感じていた日々。あれから40年・・・ 結婚、出産、子育て、仕事。思い返せば、ずいぶんと大きな山を越えてきたものだ。

「結婚は人生の墓場」とはよく耳にする言葉だが、私の場合は、結婚して子供ができてから人生が変わった。昨日まで寝返りがうてなかった子ができるようになった。つたい歩きができるようになった。言葉を発するようになった・・・当たり前のことだけれど、ひとつひとつの小さな出来事が確実に私を変えていった。幼子が食べ物を口に入れるようになると、私が与えたものによってこの子の体が作られていくと思うと、その責任に空恐ろしくもなったが、必要とされている充足感が私を満たしていった。よく晴れた日に洗濯物がカラリと乾く・・・それだけで幸せだった。休日の朝少し寝坊して、子供たちの声で起こされる・・・それだけで満ち足りていた。サンサンと朝日がさす部屋で静かな音楽を聴きながら家族そろって朝食をとる・・・至福のひと時だった。ふと気がつくと、人生の目的を探してさ迷う自分と決別していた。日常のささやかな幸せを積み重ねているうちに、それまで背負ってきた「不幸」の塊をどこかに置いてきたらしい。



こうして池のほとりに座って風にあたりながらスカイツリーの向こうの入道雲を眺めていると、やっぱり生きていてよかったと思える。さて、帰りにはあの弁天島の神社で、もう一度おみくじを引いてみようか。今度はどんな「天の御声」が聞えるのだろうか?

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