rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

暑いですなとしゃべるねこ

2012-08-28 21:46:36 | ねこ

レンブラント的ポートレート 28/8/2012


ゴヤのマハ的ねこ 28/8/2012

最近、ねこが猫らしく鳴くようになった。
朝、ねこに出会うと「にゃー、にゃおん、にゃあ」などと、話しかけてくる。
昨日、アトリエでパソコンをしているたとき、どこからともなくのそりとねこがやってきて、「やあ、ねこ」と声をかけた。
すると、よっこらしょと腰を下ろした猫は、「にゃあー、にゃあーお、にゃー」と返事をした。
あたかも「おはよう、今日もお暑うございますねぇ~」と言っているように聞こえる。
そういうと、ねこはごろりと横になり、暑さをやり過ごすには、こうするしかないと諦めているようだ。

連日のように、午前10時には30度を越えている。
雨はちっとも降らない。
夏の花の百日紅は、花が弱ることもなく、重いくらいに花を付け枝をしならせている。
この間は、小さい人に花をむしられて、ねこの上に花吹雪として撒かれていた。
百日紅の毎年の受難である。

とにかく、今年は暑さがなびくな。
明日もねこが話しかけてくるかもしれない。
「今日もお暑うございますねぇ~」と。


たわわな百日紅 28/8/2012

初物のレンコン

2012-08-27 22:50:05 | 食べ物たち
先日、知人のレンコン農家の方から初物のレンコンを頂いた。
9月あたりから出荷と聞いていたが、今年のレンコンは良く育ったのだろうか、10日以上も早く掘っているのだ。
見事に育ったレンコンは、先端のものは明らかに若々しくそして瑞々しい。
皮を剥くと、透き通るようなやや黄緑がかった乳白色。
包丁で切ると、さくっと刃が通る。
そのほかの節も、透明感があって今さっきまで蓮田で生きていたのだと強く感じる。

まずは、油で炒めてから醤油と砂糖でシンプルな煮物で味わおう。
先端の部分は、たちまち柔らかくなり、食べるとほろりと溶けるよう。
先端から3つほど離れた節のところは、シャキシャキとした歯ごたえがあってレンコンの持ち味がある。
こうして初物の喜びを、存分に楽しめた。

多めに煮付けたレンコンの、特に歯ごたえのある部分は、後日違う楽しみ方をした。
豚のばら肉で巻き、テフロン加工のフライパンで油を引かずにじっくりと焼いたのだ。
豚の脂が溶け出て、カリカリになるまで焼くと香ばしく、レンコンと実に合う。
肉には下味をつけない。
もし、塩味が足りなければ、食べるときに付けて調節する。
こうすると脂身が苦手な中くらいの人も、美味しく食べていた。

初物は、わけもなく心弾むものがある。
初々しい命を取り込める、貪欲な生への執着か。

土地の特産物なので、レンコンも三つ葉もふんだんに食べる機会がある。
分けてくださる生産者の方の行為に、その労働に感謝して、美味しく頂こう。
生き物の命をもって生きることを、謙虚に思おう。

レンコン、ご馳走様でした。

昨日と同じところに彩雲現る

2012-08-26 22:45:40 | 空・雲・星・太陽たち

彩雲 26/8/2012

一昨日あたりから、同じような雲のパターンで変化する空。
今日も、昨日と同じような位置に彩雲が現れた。
空に起こる現象で、即何かしらの前兆を読み取れるわけではないが、心に保険をかける意味で、毎日空を見上げ、動物達の様子を観察する。
もちろん、自然を細かに見ることは、それ以外にも得ることがたくさんある。
いまでいうと、ツバメが電線に一列に止まってぺちゃくちゃおしゃべりしていること、トビが空気の流れを上手く利用して空中に静止しているかのように浮かべることなど。
人間本位の視線をはずし、自分を取り囲むすべてのもを見、思いを寄せることで、思い上がった自分の考えを見つめ直す機会を与えてもらっている。
そして、素人の、気休めな自然観察を、こうして毎日続けるのだ。


山に抱かれたスイス:マッターホルン地方

2012-08-25 11:50:41 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」イタリアとの国境アルプスにあるマッターホルンを頂く地方。
その中心、ツェルマットは、7月から9月にかけての平均気温17度と避暑にもってこいのところ。
観光立国でもあるスイスにあって、ツェルマットは、環境と観光にことさら力を入れているのだろう、ガソリン車禁止、市内の交通手段は馬車と電気自動車に限られる。
景観美化のために、ベランダを必ず花で飾ること、主に色鮮やかなゼラニウムでと、細かくルールを定めている。
特にハイシーズンでもある雪のない季節、青い空を裂くような雪渓の残るマッターホルンを背景に、漆喰の白と焦げ茶色の木の壁に鮮烈な赤いゼラニウムの花、草木の緑のとり合わせは、正統派の絶景である。
そこに、ゴート・ツアーといって街中をヤギたちが行進するのに出会えたなら、思わずペーターを探したくなりそうだ。

ツェルマットからゴルナーグラート鉄道のアプト式ラックレール登山電車で30分の山頂に上る。
この登山電車は、急な勾配を登るために歯車のような噛み合わせのレールとギアで
電車を確実に運行させる。
そして、ご存知の方も多いだろうが、底の斜めのグラスが、この鉄道の風物になっている。
ちなみに我が家にも、お土産でもらったこのグラスが2つほどある。

ツェルマットから、高速ケーブル”マッターホルン・エクスプレス”で21分で、マッターホルン・グレッシャー・パラダイスは、夏でもマイナス4度の世界。
スキーやスノーボードができるほどだ。
山中に作られたエレベーターであがると3883mの世界で最も高い展望台があり、モンブランなども見渡せる360度のパノラマが開ける。
この展望台からは、”氷の宮殿”氷河を堪能できる氷の洞窟へ降りられる。
グレッシャー・パラダイスからの下り方に、ダート・スクーターというものがある。
まず、ふもとの駅でスクーターを借り、途中の駅にスクーターを預け、帰りはその途中の駅からダート・スクーターで下っていくというもの。
ダート・スクーターは、下り専用で、バギーのような太い小径二車輪。
周りの景色を見ながら、なかなか爽快そうである。

ツェルマットから電車で2時間のところに、”アルプスの真珠”といわれるサース・フェーがある。
ここも、街のルールとして建物の外壁には必ず木を使わなくてはならないというのがある。
もちろん、ガソリン車乗り入れ禁止、馬車と電気自動車可は、ツェルマットに同じ。
街からゴンドラで上に上がると、アルプスの峰峰を望め、世界遺産でもある”リーダー・アルプ”からは、全長20キロメートル、深さ800メートルの壮大なアレッチ氷河を展望できる。
このサース・フェーあたりをハイキングするときは、専門の山岳ガイドと一緒だ。
ハイキングをしながら、マーモットの巣穴探しや、マーモットにえさを与えたりと動物とのふれあいを楽しめるらしい。

さてさて、グルメ。
ツェルマットには、おいしいソーセージがある。
ポークとチキンがあり、人気は白いポークソーセージをパリッと焼いてパンではさんだものとか。
うれしいファストフード。
たしか・・・ヴァリサート・ロッケーブライスといっていたか、牛肉を調味液で漬け込み薄くスライスしたもの、ローストビーフとカルパッチョの折衷型で、どんなものか食べてみたい。
それから、スイスといえばフォンデュだが、チーズではなくてコンソメスープでしゃぶしゃぶするフォンデュ・シノワーズがある。
日本人の好みとして、さっぱりとしたこちらがたくさん食べられそうだ。
タルタルソースやカレーソース、クランベリーソースなどをつけて味わう。
ここでは、祝いの席の食べ物になっているとか。
みんなで鍋を囲んでしゃぶしゃぶするなど、我々に馴染み深い作法であるよ。

スイスはとにかく割り切りよい国という印象がある。
ひたすら美しく国を整備して飾り、観光に主眼を置くこと。
永世中立国の立場をとり、ニュートラルな銀行経営で、来るもの拒まずの姿勢。
国民皆兵。
明と暗がはっきりしている。
歴史的に強国に取り囲まれ、資源に乏しく、農耕に不向きと、厳しい環境が作用しているのは紛れもない。
人がつくる国家というものは、いずれにせよ矛盾だらけなのだ、誰も責めてばかりいられない。
ただ、美しすぎるとその反動で闇がより深く見えてしまうのが、なんとも気の毒なのだ。
そんなスイスに行って、この目で美しさを確かめ、闇に思いをはせてみたい誘惑はなかなかに強いのであった。



星の輝く穏やかな夜に・・・

2012-08-24 22:50:32 | 随想たち
今夜は、ここから見える範囲で雷の鳴っているところはないようだった。
空には、満天の星がきらきらと輝いている。
とても穏やかな夜。

それなのに、世界は騒がしい。
こうしてのんびりと星空を仰ぎ見られるところは、世界にどれほどあるのだろう。
なにやら光るものがだんだんと大きくなって近づいてくる、または耳を劈くような轟音がやにはに聞こえてくる、とともに爆発などと、物騒極まりない場所が点々とあるのだ。

宵のうち、戦闘機が飛行訓練をしていた。
訓練だけで済んでいるうちはよいのだが、世界情勢は刻々と変わっている。
しかも、島をめぐる領土問題が、かなりの緊張状態になっている今、更なる事案が積み重なると一気に思わしくないほうへ流れ出すやも知れない。
そえでなくとも、かねてよりの国防についての法改正問題が浮上進展し、先の案よりさらに踏み込んだものになる可能性は大いにある。
特に、この2年くらいに度々起こるいざこざで、一般庶民の心象はかなり右寄りになっているのではないか。
ただし、右寄りといっても、幸か不幸かまだ極端に排他的様相は帯びていないと思うので、危険度は低いように見える。
しかし、この機に乗じて議論を尽くす前に憲法や法律を改定されないよう、注意深く国の動向を見ていかなくてはならない。

ユートピア法を掲げもつ、ガラパゴス的国家の日本。
もちろんえぐい部分も多分にあるが、煮え切らなく情けなく馴れ合いで穏便にことを押し切り済ますそんな国であるが、清廉潔白な国などあるわけないから、そんな日本を生き延びさせてあげたい。
いつまでも、のんびりと星空を眺められるように。