rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

台風の置き土産

2011-09-22 22:58:47 | 植物たち
台風15号の猛威が過ぎ去って、今朝の庭は、木の枝と落ち葉で埋め尽くされていた。
朝早く何処からか、チェーンソーのうなる音がしてくる。
たぶん、倒木の処理をしているのだ。
これで、今日の仕事は決まった。
一通り朝の用事を済ませてから、家族総出で庭の掃除を始める。
ナラやクヌギ、スギにヒノキ、タケとサクラ・・・たくさんの木の枝や葉を掃き集める。
風が吹き、濡れた落ち葉を乾かす。
火の粉が飛び、火事の心配の要らないところで焚き火をする。
葉の種類によって、煙の匂いが違う。
なかでも、サクラ、月桂樹、肉桂の葉は、よい匂いだ。
ふと周りの木々を見上げてみると、なにやらさっぱりとした感じになっていた。
混み入った枝葉が暴風雨でもぎ取られ、適度に空いたのだ。
落ち葉の中には、まだ青々として元気なもの、枯れて茶色に変色したもの、またはその途中のもの、いろいろ混じっている。
幹から折れた立派な枝も、所々に落ちている。
混みすぎた枝葉は、風通し悪く、病気や虫が発生する大きな原因だ。
どうやら、人が剪定をしなくても、自然はうまくまわっているようだ。
そういえば、木々の葉の色が、鮮やかに見えなくもない。
高圧洗浄”タイフウ”のおかげなのだろう。
普通の雨では落ちにくい、頑固な汚れがきれいさっぱり洗われたに違いない。
特に今年は、あの放射性物質とやらも。
自然は、自らを浄化しようと必死なのだ、きっと。

マイノリティーの孤独、アメリカドラマ”HEROES-season4"

2011-09-21 14:24:23 | 映画
海外ドラマを何十年ぶりにまともに見た。
といっても、4部作のうちの最終章。
テレビのコマーシャルでは、そのドラマの存在を知っていたけれど、まさか見ることになるとは思いもよらず。

思いもかけず身に備わった特殊能力に翻弄され、苦悩し、はたまた自分達を疎外する者へ攻撃に出る”能力者”の話。
ひとたび自分の特殊能力が、一般人の目に晒されたときに巻き起こる波紋。
そのために、一般に溶け込めず、異端者として深い孤独と絶望感に苛まれていく。
理解者や同種の能力者に出会う機会を得ない者は、底なしの孤独と苦悩に落ちてしまい、やがて負の力としてその能力を駆使し、他者に襲いかかるものまででる。

異端であることの生き難さ、異端を受け入れることの難しさ、つまるところ、人は非寛容だ。
人は孤独に耐えることは出来なく、誰しも居場所を求め、ありのままの自分を認められ、愛を求めている。
ともに同じ苦悩を分かち合えれば、また、愛情を与えられる経験をもてれば、真の悔恨はありえるのか?
たとえ真実であっても、人は全てを受け入れることは出来なく、変わることはない。
うがった見方かもしれないが、このような問いかけを、このドラマが投げかけていた。

ドラマを見終わったあとに、家人と話をした。
確かに、人と違うことに戸惑うのは誰しも経験のあること。
なるべく目立たないように振舞うのが一般的な処世術。
たとえ自分に変わっているところがあっても、それを受け入れてくれる家族や友人に恵まれたなら、人は安心して生きていける。
家人も、自分も、おそらく変わり者なのだ。
恵まれた変わり者。
その変わり者が見るに、人は皆”狂気”のような部分を持っている。
それを否定せずに、まず自分で受け入れてみる、そして、折り合いをつける努力をするのだ。
だから、他者の”狂気”の部分を真っ向から否定すること無しに、温かく見守る姿勢を持つのがよいのではないだろうか。
理想論なのだが。
”HEROES"からすると、それも楽観主義的に聞こえるかもしれないな。

勢い食べてしまって絵のない、ビーフ・ストロガノフ

2011-09-20 00:02:02 | 食べ物たち
今夜のメインは、ビーフ・ストロガノフを、何年振りかで作ったみた。
午後から、風が北寄りに変わり、随分と涼しくなったせい。
この数日、醤油ベースの味付けされたものを食べていて、味覚を変えてみたくなったのもある。
暑かった一昨日の運動会の疲れが、いまだにとれなく、こらえきれずに夕寝をしたために、ご飯の炊き上がる時間まで、40分をきっていた。
牛肉の細切れを使って、何を作ろうか思案。
手早く、しかも満足感が味わえるコクのあるも・・・
エバミルクの買い置きを思い出して、ビーフ・ストロガノフが思い浮かんだ。

【材料】  4人分
・牛肉・赤身のこま切れ肉    400gに塩と胡椒で下味をつける
・タマネギ              中3個を7mmの半月切りに
・赤ワイン              100cc
・トマトケチャップ          大さじ6
・醤油                大さじ2
・エバミルク             1缶170g
・バター               20g
・サラダ油              大さじ1
・固形ブイヨン            1個
・塩・コショウ             適量

【作り方】
・厚手の鍋に、バター・サラダ油を入れ、タマネギを中火で透き通るまで炒める。
・下味をつけた牛肉を入れて、肉の色が変わるまで炒めたら、赤ワイン・トマトケチャップ・醤油を入れて、とろみが出るまで煮る。
・エバミルク・固形ブイヨン・大さじ5杯ほどの水を入れて、弱火で煮立たせ、5分ほど煮込む。
・塩・コショウで調味して、器に盛り付け、できればパセリのみじん切りを散らせるとよい。

さて、出来上がったものは、オーロラソースのようにサーモンピンクがかっている。
赤身の肉で作ることにより、さっぱりとしているが、エバミルクのコクがあり、炊き立ての白いご飯にも、パンにも、バターライスにだって相性抜群。
今回は、白いご飯とともに味わった。
本来なら、写真を載せるべきなのだが、おなかの空いた輩があっという間に平らげてしまい、あとはご想像にお任せいたしたい。
ちなみに、はらぺこどもの感想は、とにかくソースが絶品で、隠し味の醤油が味をしめているとのこと。

そういえば、出島の交易でフランスに渡った醤油が、フランス料理のソースの隠し味にかなり貢献したと聞いたことがある。
このビーフ・ストロガノフ、その効果を示してくれたのかもしれない。



詩のような短編集、J.S.ボルヘス:パラケルススの薔薇

2011-09-15 23:23:50 | 本たち

短編4作品とボルヘスへのインタビューが、収録されている本。
いずれの短編も、非常に美しく、絵画的であり、ストーリーは詩的気品に溢れている。

この中の"青い虎"が、ことに好きだ。
青い虎の幻想にとりつかれ翻弄されるが、果たしてそれが不幸なことだったのかと。
幻想を糧に生きて行けるならば、大いに望むところ。
ある種の人間には、幻想が現実よりも重要ということもある。
見方を変えるならば、幻想と現実の区別がどうやったならつけられるのか、何に重きを置き、自分にとっての真実とはなになのか、定かなことはいえないだろう。
ともあれ、幻想を幻想のまま崇め奉るのか、それとも、幻想に飛び込んでしまうのか、どちらが正しいとも悪いとも、決めるのは個人次第なのだ。

ボルヘスは、自分を三面鏡に映し出したときに味わう、多重多層な鏡像に不安と不思議さを見出した。
現実の不確かさ。
それがひいては、心の多重多層な面との問いかけになり、迷宮のような困惑と魅力に満ちた作品を生み出したのだと思う。
だが、もしかすると、自分がボルヘスの術中に嵌っているだけなのかもしれない。
それも構わない、むしろ積極的に迷宮を楽しみたいとすら思っている。


経済優先のツケは大きく、いったい誰が払うのか?

2011-09-14 23:14:25 | つぶやき&ぼやき
フランスの原子力施設での事故、別に驚きもしないが、やはり「大丈夫、たいしたことはない」の一点張りの対応。
それでも、徐々に、少しずつではあるが、事故の片鱗が表に現れ出でてくる。
作業員の一人が炭化した状態で死亡との、事故の凄まじさを物語る記事。
これでどうして「大丈夫」なのか?
敷地内の放射線数値は、平常と変わらずに安定しているなどと、これでは誰も信じられまい。
低レベル放射性廃棄物を処理しているからといって、この対応でいいのだろうか?
しかも、先ほどの記事では、不具合で運転停止していたのを再稼動したばかりにおきた事故とあった。

フランスは原子力発電大国。
その電気を輸出し、技術をも産業化している。
だから、事故が起こっては大変に不味い。
特に反原子力の気運が高まっている今日においては。
それに、日本とも浅からぬ仲でもある。
しかし、こと事故が起きてしまうと、その被害影響は深刻なものになるから、フランス当局は穏便に済ませようと躍起になるのだ。

万が一にも事故がおきたときの被害、原発を稼動させている間中生み出される放射性廃棄物の扱い、どれをとっても厄介この上ない。
経済優先を、いったい何処まで押し進めればよいのか。
目先の効率を、いつまで続けようというのか。

豊かで安定した暮らしを、望まぬものはいないだろう。
かといって、このまま欲望の赴くままに天井知らずの利便性を追求してよいものなのか、それとも、未来にとてつもない負の遺産を負わせない為に経済優先社会に節操を求めるのか、常に我々には、現在の豊かさと未来の存続を天秤にかけどちらを選ぶのか、選択を迫られている。

世界は複雑に絡み合いながら、動いている。
たとえ、ごく一部の人たちの利害の下に采配を振るわれているにしても。

人だけのためではない、未来のために何をを成さねばならないのか、見極めと頃合は難しい。
これからどうしていけば良いのか、小さな自分は途方に暮れてしまうのであった。