ロビンソン本を読む

本とデザイン。読んだ本、読んでいない本、素敵なデザインの本。

屍衣にポケットはない

2024-03-31 20:26:52 | 読書
 ホレス・マッコイ『屍衣にポケットはない』



 冒頭14ページでがっつり気持ちを掴まれた。この先には期待と楽しみしかない。

 新聞社で働くマイクは何度もスクープをボツにされてきた。忖度する会社のせいだ。上司と喧嘩をしてついに会社を辞めることになってしまう。私物を片付けているところへ仲のいい同僚ビショップがやってくる。初めて会う女性マイラを連れて。

 彼女はマイクの気持ちを見抜く。マイクは本当は不安でたまらない、上司に謝罪して復職したい、親友のビショップしかいなければ泣き言を言っていたはず。そんなマイクをマイラは「今にも編集長に泣きつきそうな顔をしている、そんな真似をさせては駄目」と外へ連れ出す。

 マイラは言う。今朝はコーヒーを飲まなかったからビショップに会った、いつも通りに過ごしていたらビショップに会わず、マイクは仕事を取り戻していたと。

 まるで先を見通せる能力があるようなマイラ。彼女はマイクにとって女神なのか。

 マイクは苦労の末、自分が好きに書ける週刊誌の発行にこぎつける。それは街の有力者たちを怒らせる社会の暗部を暴露するものだった。


 冒頭で掴まれた気持ちが少しずつ離れていく。

 著者は何か気にかかることでもできたのか、話がだんだん漫然としてくる。

 生き急いでいるマイクの苛立ちが空回りし、読者が置いていかれる。女神だと思っていたマイラさえも。そして命を狙われているマイクはさらに危険な行動をとるのだった。


 装丁は新潮社装幀室。(2024)



レッド・アロー

2024-03-26 18:14:20 | 読書
 ウィリアム・ブルワー『レッド・アロー』



 ラリったら、本の表紙はきっとこんなふうに見える。そんなカバー。薬物中毒になったことはないけれども。

 帯の下、きちんと読ませるべきタイトルの文字でさえ、まだ薬が抜け切っていないようなぼやけたものになっていて、じっと見ていると体調が悪いときの気分を思い出す。

 帯の文言「幻覚剤の旅」を見て支離滅裂な話かと思いきや、出だしは順調、面白くなりそうな展開だ。

 イタリアの高速列車フレッチャロッサ(レッド・アロー)に乗り、人を探しにいく男が車中で語る。

 彼はある物理学者の回顧録を、ゴーストライターとして書いている。途中までは問題なく書き進められたのだが、最後の詰めで物理学者が姿を消した。彼は大きな借金をしていて、何がなんでもこの仕事を成し遂げなくてはいけない。

 それはこの本の担当編集者も同じで、必ず物理学者を見つけてこいと彼をせっつく。でないと「失職だ」「破滅だ」と切羽詰まっている。

 少し気になるのは、彼が「治療」を受けた後で、治療が効いたおかけで幸せな気分でいられるというところ。治療とは一体何なのか。

 
 この話の向かうところ、それはやはり「幻覚」なのだろうか。

 物理学者との対話はよくわからなくて、1人の頭の中で展開されているようにも感じられて、物理学者は本当に存在するのか、そもそもこの物語は存在するのか疑問になってくる不思議な感覚。


 装丁は森敬太氏。(2024)



ブルーノの問題

2024-03-11 17:45:30 | 読書
 アレクサンダル・ヘモン『ブルーノの問題』



 家族旅行中に発熱し、帰りの車の中、ラジオから流れてくる曲をぼんやり聞いていた。ずっと同じ曲が流れていたはずはないのに、覚えているのは1曲だけで、いまでもその曲を聞くと子どもだった自分を思い出す。楽しくて興奮して熱が出たのだと。


 8つの短編、その最初の『島』は、家族で旅行に行く話だ。

 少年はいくつなのだろう。

 港へ向かう車の中では、上機嫌で声が嗄れるまで革命歌を歌っていた。

 ところが、桟橋には排気ガスと日焼け止めのココナツの匂いが漂い、見知らぬおじいさんが海に吐き、船はひどく古く錆びていて、喘ぎ、ゲップをしながら跳ねて進む。

 (おそらくお気に入りの)麦わら帽子が風に飛ばされ「鼻汁みたいな緑色の海」に消えて、少年は泣く。

 島に住む伯父さんが少年に歓迎のキスをすると、ナメクジみたいに柔らかな唇や腐敗の臭いを含む風が内臓から漏れてきて「ねえ、もう帰ろうよ!」と少年は叫ぶ。

 ナメクジが這った跡のある水槽から汲まれた水、伯父さんがソ連の収容所にいたときの話、島に異常繁殖したマングースのこと、クラゲのいる湖、養蜂場の蜂が怖くて逃げ帰ったこと。

 9歳の男の子にとってはどれも強烈な思い出だろう。

 帰宅して、不測の事態から餌を与えられなかった飼い猫が投げかける憎悪の目も、何年経っても忘れられないことなのだ。


 装画はタダジュン氏(?)、装丁は緒方修一氏。(2024)



甘くない湖水

2024-02-29 19:13:19 | 読書
 ジュリア・カミニート『甘くない湖水』


 少女の怒りは度を超している。

 一瞬で大火になる激しい感情は、彼女が生来持っているものなのかもしれない。

 思春期にありがちな理由のない苛つきだけではないだろうし、家庭環境が原因でもないだろう。


 少女の父は、仕事場の落下事故で半身不随になってしまった。

 不法な現場で保険がない。

 腹違いの兄と双子の弟、家族6人を、母一人の働きで養っている。

 テレビもない貧乏な暮らし。

 母は強く、公平で正しい。手伝いに行く裕福な家庭で信頼されている。

 その正義感は、子ども達にはちょっと鬱陶しい。


 少女は、家族以外の人との距離の取り方がわからない。しかたがない、まだ12歳だ。

 友情は未熟で思いやりに欠ける。

 服のセンスが悪い(もらったものだから)、髪型がおかしい(美容院に行けず母が切ったから)、耳の形が変と言われる。


 やがて少女は成長し、周囲との関係も穏やかになっていくが、彼女の中にある鬱屈したものは消えない。

 彼女が感じているほど、友人たちは彼女を粗雑にしていないと思うのだが。


 カバーには、勉強に疲れてノートの上で寝てしまった少女が描かれている。

 本の天地を逆さまにしてみた。

 穏やかな表情とは対照的に、赤い髪は燃え上がる炎のように見える。

 意のままにならない自分の感情のようだ。

 10代の苦しさを思い出すのだが、年を取っても感情というのはどうにもコントロールは難しい。


 装画は森泉岳土氏、装丁は須田杏菜氏。(2024)



ババヤガの夜

2024-02-17 17:35:17 | 読書
 王谷晶『ババヤガの夜』



 滅茶苦茶に強い女!

 このとき想像するのは綺麗な女性。

 でも闘っていないときには可愛いツヨカワな人。

 この発想が、ありきたりな映像作品の影響を受けていることはわかっていた。

 ぼくのそんな短絡的で未熟な部分を、この小説は激しく突いてくる。

 読みながらカバーのイラストを見て気づいていたのだ。

 握った拳がデカくゴツい。

 強いことと美醜は関係ないのだと。


 ぼくはひ弱な人間なので、腕力の強さに憧れを抱く。

 でもそれは地道な鍛錬を重ねた武人であったり、素人には手をあげない格闘家に対してだ。

 根っから暴力が好きな女性、しかも美人ではない。

 こんな主人公を好きになれるのか。

 それが。

 折れない心、でも一瞬見せる弱気。


 格闘シーンに惚れるが、それだけではない仕掛けにも感嘆する。


 装画は寺田克也氏、装丁は山影麻奈氏。(2024)