「おもい~こんだ~ら~♪ 試練の~み~ち~を~♪」
アニメ「巨人の星」の一節であるが、「重いコンダラ」と歌い継がれた事から「不幸」が始まった。
学生時代に聞いた「ある野球部」での話だが、部員の一人が「あ~あ、またコンダラかぁ!」とタイヤにヒモが付いたものを「コンダラ」と呼び始めると、野球部全体に広がっていった。
そもそも、タイヤにヒモが付いたモノに名前などなく、誰も疑問を抱いてもいなかった処に「コンダラ」と呼ぶ者が現われた為だが、自分の無知を隠すかのように、他の者も次第に「コンダラ」と呼ぶようになった! それを聞いた教師も、当然そんな名前があるとは知らず、「コンダラ」と呼ぶようになり、「おい、そこ何やってるんだ! コンダラ10周!」と蔓延していったそうだ!
歌の画面に「タイヤにヒモの付いたモノ」が登場したとかいう話で、「コンダラ」が定着したという話だが、オープニングにそんなシーンはないし、番宙太らが牽いていたローラーの事を「コンダラ」と呼んでいるという説もあり「都市伝説」だと思っていた。
ところが、サーチエンジンで「コンダラ」を検索すると出るわ出るわ!(笑)
似たような話に「赤い靴」の「異人さんに連れられて~♪」を「良いじいさんに連れられて~♪」と間違えたとか言うのもそうだが、まったく「無知」は怖いものである。
「巨人の星」の作品としての完成度は高いのだが、このアニメの功罪も実は大きい。
「大リーグボール養成ギブス」の話からして漫画では「全身を使って投げる事を教える」のと同時に「必要な筋肉が鍛えられる」というものなのだが、アニメでは「筋肉」を鍛えるという方向へ行ってしまったのが、大きな間違いだ!
ここから「スポーツ根性アニメ」がプロにまで派生した。
戦後、西洋的スポーツが主流になったが、偶然か故意かは不明だが、間違って伝わったという点が問題であり、教わった方のレベルにも多々問題があったと考えている。
西洋人と日本人には決定的に異なる点がある。 それが日本文化というものなのだが、「床に座る」という文化から日本は「ノコギリを引く」、「椅子に座る」という文化から西洋は「ノコギリを押す」といった「屈筋主体」と「伸筋主体」の文化に大きく分かれているのである。
野球も格闘技も「伸筋」を使うものなので、そもそも間違って使っているのだが、外見だけを真似ようとするので間違っている事すら気が付いていない。
少なくとも星一徹のスパルタは「根性」だけの精神論でなく、飛雄馬の身体が疲労で動かなくなった先にあり、目的はチカラ感覚のない伸筋の開発にあったのだと思う。
スポーツでも武道でもそうなのだが、「判るヤツだけ、先に行けるシステム」なので、コーチも監督も判らずに教えるようになって、世代がどんどん変わってゆく。
太極拳が10年掛かると言われるのも、そこにある。
「歩く」という行為にしたって、交友関係の中で2人しか出来ている人間は居ないし、「立つ」に至っては1人だ! 街に出て見ても、アタマを左右に振って歩いていたり、足を開いて歩く事自体に疑問すら持たないものがほとんどで、身体機能に大きな差が出る。
外国の上流階級では、幼い時からアタマの上に本を乗せたりして正しい姿勢に矯正するという話も少なくない。 武術もそうだが、そういった型稽古という枠の中で、正しい事を憶えて行くのである。 「枠」にハマッた中で考え、行動する事を学ぶ事こそ、「教育」なのだが・・・
あなたの廻りに「コンダラ」と呼ぶヒトは居ないだろうか?
日本コンダラ製鉄株式会社
http://www.nishiarai.net/nichikon/
遂に出た!全幅100mの超ロングコンダラ!!
http://www.nishiarai.net/nichikon/special/special.html