創業から50年,経営の第一線煮立ち続けたウシオ電機の牛尾治朗会長(89),「サンリオ」創業者で92歳の辻信太郎社長のお二人が,トップの座を降ります。分野は異なりますがフリーアナウンサーの久米宏(75さん)は,14年続いている唯一のレギュラー番組を,自らに意思で,惜しまれながら6月で幕を下ろします。
この3例を通じて,成功者と目される人の引き際を考えてみます。
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┗■ ウシオ電機 牛尾治朗氏が会長を退任, 50年以上経営トップ務める -出処進退-
ウシオ電機の創業者で56年にわたって経営トップを務めてきた牛尾治朗(89)氏は,5月12日付けで会長を退任し,取締役相談役に就任されました。
会社の事業基盤を強化し,新規事業を創出する取り組みが進んだことで信頼できる経営体制が整ったとして,本人から退任の申し出があったということです。
牛尾氏は兵庫県出身。東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。米国留学を経て,1964年にウシオ電機を創業。約56年間にわたり社長や会長を務め,ランプやプロジェクターなどで高いシェア(占有率)を維持する光学機器メーカーに押し上げました。
平成7年から4年間,経済同友会の代表幹事を務めました。小泉政権下では政府の経済財政諮問会議の民間議員を務め,規制緩和を訴える論客として,政財界に幅広い影響を与えました。以来の歴代政権を陰で支え,「平成の後白河法皇」とも呼ばれました。
安倍政権に代わっても牛尾氏の政界への影響力は衰えなかった。「牛尾氏は安倍晋三首相の父・晋太郎氏と親交があり,後援会であった『総晋会』の会長も務めました。その関係もあり,安倍政権での民間人登用では牛尾氏に相談する機会が多かった」(財界幹部)とされます。
牛尾氏は自著,『わが人生に刻む30の言葉』(平成15年第1刷 致知出版社)の87~91ページで
出処進退について 「「逢おときは人に任せ,退くときは自分で決めよ」,で 次のように記しています。
難しいことの一つに,ジャスト・タイミングということがあります。
人生においてすべてをジャスト・タイミングで成し遂げられたら,それ
は完壁な人生ということができるでしょう。しかし,これは至難の業で
す。
後から「これはちょっと早すぎたかな」とか,「あれは遅すぎたな」と
反省することばかりを,私は繰り返してきたような気がします。
中でもタイミングを誤ってならないのは,出処進退に関してだと思い
ます。出処進退に関してのタイミングは,その人の評価を決定すると
いっても過言ではないほど,重いものがあります。
出処進退については,安岡正篤先生から教えていただいたことがあり
ます。
こういうことです。
「進むときは人に任せ,退くときは自分で決めよ」
・・・・・・(中略)
平成十三年,私は経済同友会代表幹事を退任しました。
そのとき,元経団連会長の平岩外四さんから,「少なくとももう一期
務めてほしい」という要請をいただきました。
尊敬する先輩の要請です。正直,迷いました。
しかし,これはどう考えても遅すぎてはいけないケースに当てはまり
ます。ことに地位を去るときは絶対に遅すぎてはいけないと考えました。
私は「退くときは自分で決めよ」という安岡先生の教えに従って,そ
の後,誰にも相談せず,退任を発表しました。
これはジャスト・タイミングだった,と信じているのですが。
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