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掃除で心は磨けるのか-その是非を考える-その2

2019-05-26 00:05:31 | 書房

 掃除で、美しい日本人の心を育てる ー。そんな価値観を持った先生を通して、"トイレ掃除運動"を採り入れる学校が増えている。
 埼玉,奈良、兵庫、石川、茨城など全国各地の高校や中学校で、「素手トイレ掃除」が行われている。宮城県の中学校では、PTAも巻き込んで素手でトイレ掃除が行われている。横浜市は2010年度から、中田宏前市長の肝いりで市内の全小中学校計500校で、用務員の仕事であるトイレ掃除を生徒が行うことが奨励されている。

 "トイレ掃除運動"は,車用品販売会社「イエローハット」の創業者で、同社の相談役である鍵山秀三郎氏が創業時から実践してきた素手によるトイレ掃除を原点とする。掃除による社員教育で社風を変え、会社を成長させた経験を広げようと、1993年、トイレ掃除を実践している企業人らと一緒に、「全国掃除に学ぶ会」 http://www.souji.jp/  を岐阜県で開催。その後、トイレや街頭を清掃する「掃除に学ぶ会」を立ち上げた。同会のホームページによると、2000年には第一回日本を美しくする会全国大会が開かれ、1200人が参加している。「日本を美しくする会」は2007年、NPO法人になった。

 "トイレ掃除運動"について,朝日新聞記者杉原里美氏は,自身の著書『掃除で心は磨けるのか』で,懐疑的・批判的な見解を示している。そこで,この運動の意義や是非を私なり考察する。まず,提唱者の鍵山秀三郎氏の著書『掃除で心は磨けるのか』から,鍵山氏の説く掃除の意義,その「志」に迫っることとした。

凛とした日本人の生き方』-鍵山秀三郎著

  教育の原点  p13~14

 掃除の時間に教師が職員室でタバコを吸って雑談をしているような学校で、掃除を真剣にやる生徒が育つはずがありません。生徒に同情されるくらい懸命に掃除に取り組む教師の後ろ姿が、子供たちの心を開かせるのです。経営も同じです。
「社員が育たない」と嘆いている経営者は、社員から気の毒がられるくらい一心不乱な経営姿勢を自分は持ち得ているのか、省みることから始めるべきでしょう。
 私は一年三百六十五日、休みなく先頭に立って仕事をしてきました。それだけではなく、いかにして社員の心を穏やかにし、正常な社会人になってもらえるかに努力を注ぎました。いろいろなことに取り組みましたが、中でも創業以来、徹底してきたのが掃除です。掃除の意義を理解してもらうために率先垂範をし続けました。しかし、最初は熱心でも、少し会社の規模が大きくなると、率先垂範がおろそかになりがちの人が多いのです。私の心の支えとなったのは、両親の後ろ姿でした。
       
  名教育者の芦田恵之助先生の言葉に「自己を教育するは、他を教育する最捷径(さいしょうけい)である」とあります。自分を育てることなくして人を育てることはできないと 気づくことから、本当の教育は始まります。

 よい社風が会社を強くする p60~61

 ある小学校で掃除実習を終えた後、参加した児童の一人がこう言いました。
 「なんだかトイレが広くなったなあ」
 掃除をしただけで、スペースを拡げたわけでも照明を増やしたわけでもないのに、トイレが明るく、広くなったように感じられる。これは徹底した掃除によって、そこに充満していた「悪い気」が除かれ、「よい気」が発散されたからです。
 「元気」「根気」などの言葉に含まれる「気」は、生命の原動力であり、活力の源泉として、人間の行動や生活に大きな影響を与えます。
 汚いものは悪い気を発散して、悪者を招き寄せます。きれいに掃き清められた伊勢神宮や明治神宮に悪者がたむろしているということを、問いたことはありません。悪いことは、いつも汚いところからはびこるのです。

 大きな努力で小さな成果を p78
 
 「大きな努力で小さな成果を」
 学歴も知識も、技能もない私ですが、ただ人生でこれだけは信念を持って実践してきました。こう言いますと、多くの方が怪訝な顔をされます。「逆ではないのか」と言われるのです。

 問題から逃げない p108~110

 避けられない問題を受け入れ、本質に近づいて解決を図る。それがリーダーの役割です。
 平成二十六年、心ある教師の方々を対象にした会を始めました。毎回、必ずトイレや街頭の掃除実習を行います。
 ある時、トイレの横にある自動販売機のゴミ箱のフタを開けたところ、缶以外のものも詰め込まれていたため、中身を全部取り出して、分類しました。すると、その様子を見ていた教師のお一人から「なぜ、わざわざそんなことをやるんですか」と質問をされました。
 私は答えました。「ここには入れてはいけないものが入っている。これは問題ですよねア フタのしてあるものには問題が隠れています。それが見えているから、私はフタを開け、問題を撤去しているのです。教育の現場はこれと同じです。
目の前の問題から目を背けているから、よくならないのです」と。たとえフタがしてあっても、中がどうなっているのか、見えないものが見える人間にならなければ,よい教師にはなれません。経営者も同じです。
 

 

 
掃除で心は磨けるのか (筑摩選書)
杉原 里美
筑摩書房
   
凛とした日本人の生き方
鍵山 秀三郎
モラロジー研究所
 
       

 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (とんちき)
2022-06-01 22:01:42
私は、素手でトイレ掃除を3回やりました。
はっきり言います。
心が磨かれるなんてウソです。
衛生面の懸念がずっとありました。
終了後、私は只管手を消毒しました。おにぎりを出されたが、食べる気がしませんでした。
清掃で心が磨かれるなら、清掃業者はみな人格者なんですかね?
返信する
Unknown (トンチキ)
2022-06-01 22:05:05
掃除が心を磨くなんてウソ。
私は素手でトイレを掃除する取り組みに3回参加したが、衛生面の懸念がずっと払拭出来なかった。
おにぎりを出されたが食う気がしなかった。只管消毒した。
清掃が心を磨くなら、清掃業者はみな人格者なのか?
返信する
Unknown (とんちき)
2022-07-21 21:39:08
素手でトイレ掃除を、3回やった。
はっきり言います。心を磨く、なんて嘘、ナンセンスです。私は3回とも、なんでこんなことしなきゃならんのだ、という思いでいっぱいでした。作業後おにぎりを出されたが、便器を洗った汚れた手で食う気には全然ならなかった。
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