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you are my sunshine

40代でblog始めてあらもう60代。
光陰矢の如し。年が明けたらあっという間に年の暮れ。

こちらあみ子 ~今村夏子~

2012-04-16 | 

いつだったか朝日新聞で、穂村弘さんの書評を読んで俄然興味を持った「こちらあみ子」
(著者にとってなんとこれが第一作なのだそう。この作品で三島由紀夫賞と太宰治賞をダブル受賞している)

いったいあみ子はどんな子なの!?
ものすごく気になって読み始めた。

あみ子は今でいう発達障害なのかな。
あるいは知恵遅れがあるのかもしれない。

感想を書きたいけど、これは何にも知らずに読んだ方がいいと思う。
あみ子がグーで何発も殴られたみたいに、私も頭をガーンと殴られたみたいな衝撃を受けた。

~十五歳で引っ越しをする日まで、あみ子は田中家の長女として育てられた~

第一章はこの言葉で始まるのだが、
読み終わってこの言葉がひどく切なく感じられた。



「こちらあみ子」を読んだら、昔出会った女の子のことを思い出した。
これまでたったの一度も思いだしたことがなかった女の子のことを。

わたしが20代前半だったから、今から25年くらい前のこと。
幼稚園に勤めていたのだけど、その当時はまだ世の中がのんびりしていて、
わたしたち職員にも盆休みではなく「夏休み」があった。
たしかお盆をはさんで2週間くらいだったと思う。(それからほどなくして盆休みに変更された)

何度か訪れたことのある由布院に、その休み中行ってみたいと思った。
時間はたっぷりあるけどお金がないわたしは、
ガイドブックのうしろに載っている宿泊施設の中からペンションを選びだし、
片っ端から電話をかけた。

「○日から10日間住み込みで働かせてもらえませんか。お金は要りません。ご飯だけ食べさせてもらえたら」

幸いなことに3軒目のペンションの女主人が
「あなたのようなひとが今うちにひとりいるわよ、いらっしゃい」って言ってくれ、さっそく出発。

国道から山道に入り込み、ウネウネと登って行き着いたペンションは、
当時はかなり珍しい和モダンな建物だった。

着いた時はすっかり暗くなっていたが、そこのひとたちは明るく迎えてくれた。
小太りで気さくな女主人(以下ママ)と、わたしのようにいきなりやってきたまるでチーママのような雰囲気の綺麗な女性Sさん。(通いの板場さんもひとりいた)
そしてふたりの若い女の子。どちらも化粧っ気のない素朴な雰囲気の10代の女の子だった。
似てないけど娘さんかな?と思ったら従業員だという。

それがノンちゃんとハッちゃんだった。
ふたりは養護学校の同級生だとSさんに教えてもらった。
ノンちゃんは小柄でふっくらしていておとなしく繊細な感じ。
ハッちゃんは棒みたいに細くて髪も坊主に近く男の子みたいで、どこかそわそわして落ち着きがない。
「丸」と「ギザギザ」のコンビ。

ノンちゃんはSさんと同室で、わたしはハッちゃんのお部屋にお世話になることに。
ノンちゃんの部屋は小物が飾ってあったり化粧品などもあって女の子らしいのに、
ハッちゃんの部屋は客用のシーツやら枕カバーがド~ンと置かれ、その片隅でハッちゃんは生活しているようなもの。
またその隅にわたしの布団を敷かせてもらった。

ノンちゃんはポエムを書いていて、情報誌なんかにも載ったそう。
お昼の喫茶の珈琲を淹れるのを任せられていてちょっと得意げ。

ハッちゃんは、ひたすら力仕事をいいつけられていた。
大浴場を洗うのはハッちゃんの仕事、
汗だくで毎日頑張ってた。
ハッちゃんは、文句を言わずただ言われたことを必死にやっていた。
そして夜はグーグー気持ちよさそうに寝ていた。

平気でわたしの前で真っ裸で着替えたり、汚れたショーツそこらに放ってる、人前で鼻もほじる。
恥じらいとかほとんどない子だった。

ある夜、クラシックのコンサート会場になったことがあり、
ママは場所を提供しただけで、主催は別のひとだったので、
わたしとノンちゃんとハッちゃんは先に部屋に戻っていいと言われた。

せっかくの夜の自由時間なんで、
下(くだ)って街のスーパーに買い物に行くが、二人も連れて行っていいかとママに聞いたら、
ダメって言われてしまった。

テレビもなく、休日もなく、ほぼ毎日仕事だけの二人。
そんな彼女たちにとっては、ちょっと街に下るだけでも非日常のとても嬉しいおでかけ。
ダメって言われてとてもガッカリしていた。

わたしだけ下って、余計な期待をさせたふたりにお詫びにお菓子を買って戻った。
そして3人で部屋でお菓子を全部広げて食べた。

ハッちゃんは口いっぱいにお菓子を詰め込んで食べていた。
たくさんあるのに(笑)

最後の日、
お金要らないと言ってたのに、ママが封筒を差し出した。
聖徳太子が入っていた。

また来るから!と言って山を降りた。

すぐにお礼の手紙をママとSさん、ノンちゃん、ハッちゃんに書いた。

返事が来る前にまた車を飛ばして山に行った。

そんなことを3回くらい繰り返していたら、
道路が凍る季節になり、行けなくなった。

春が来て、夏が来て、また行ってみたら、
ノンちゃんもハッちゃんもいなかった。

なんでも地元のある団体から、障害者を劣悪な労働条件で働かせているという告発があったらしい。
辞めたのか辞めさせられたのか結局忘れてしまったのか思いだせない。
でもふたりはいなくなり、無理にでも連絡をとろうという気持ちはその時のわたしにはなかった。

3人で夜にお菓子を食べた時、ノンちゃんが「姉ちゃんもう(辞めて)帰ってこい」って弟が言ってくれると話していた。
ハッちゃんはまったく自分のことを話さなかった。

ノンちゃんは素直ないい子だってママやSさんに可愛がられても、
ハッちゃんはそれをうらやましく思ったり、ノンちゃんに意地悪したりすることもなかった。
食べ物のことと仕事をしっかりやってママから叱られないようにすることでハッちゃんの頭の中はいっぱいだったのだと思う。

ママは、成人式にはちゃんと着物を着せて写真を撮ってあげたり、予約のない日は皆で遊びに行ったり、
服を買ってあげたりとふたりのことを大事に思っているようなことを言っていた。

海千山千でどこか狡猾な匂いもしないではなかったが、
可哀想にっていうだけの人ではなかった。

男で苦労したから一緒に働くのは女だけがいいと、板場のひとも女性だった。

そんなことを言っていたママだったけど、
数年後にそのペンションを閉め、別の場所にオープンさせた旅館に泊まりに行ってみたら、
従業員はママ以外全員男だった。

その旅館は今では予約がなかなか取れないことで有名な宿になった。


ハッちゃんもノンちゃんも今頃、どこでどうしているのだろうか。
ふたりとも暖かい場所の出身だったけど、そこに戻ったのかもしれないな。
もしかしたら結婚してお母さんになっているのかも。


ハッちゃんもノンちゃんも、元気でいてくれるといいな。
あみ子みたいに。


舟を編む 本屋大賞受賞!

2012-04-11 | 

三浦しをんさんの「舟を編む」が第9回本屋大賞に選ばれましたね。
今朝の新聞も、中一面を使ってお祝いしてました。

図書館の数百人の予約待ちに待ち切れず購入して読みました。

三浦しをんさんの小説は、まるで漫画を読んでいるように読みやすいし、読後感がスカッとします。

最初に読んだ「風が強く吹いている」で即ハマり、「まほろ駅前多田便利軒」で笑い転げました。

「神去なあなあ日常」
「仏果を得ず 」は、三浦さんが描くことで、
世間にはあまり馴染みのない林業や文楽の世界を、わかりやすくとっつきやすくしてくれました。


三浦さんは小さい頃は、
「長くつしたのピッピ」やケストナー(特に「飛ぶ教室」が好きだったそう)を繰り返し読んでいたそうです。
作家の読書道より、←これおもしろいですよ)

角田光代さんもピッピを読んでいたと書いてました、多分。

「長くつしたのピッピ」
わたしは小学生の頃、1回読んだきりなんですが、
娘は1週間に1回は必ず読むくらい好きです。
なんであんなに引き込まれるのかわたしにはよくわかりません。

先日「ピッピは9歳なんだよね~」としみじみお風呂でつぶやいていました。
自分とそう年が変わらないのに、
お父さんもお母さんもいないのに、
自由に楽しく暮らしているピッピがうらやましいみたいです。

名作っていわれるものは、時代は変わってもひとの心をとらえ、色褪せることはないんですよね。
あ!だから名作ってことなのか。


めいさく【名作】 すぐれた作品。有名な作品。  (角川必携国語辞典より)



~追記~

大賞にノミネートされた小川洋子さんの『人質の朗読会』
わたしはこれまで読んだ小川洋子作品のなかでベスト1をつけます!
小川洋子さんの小説も、小川洋子さんでしか描けない唯一無二の世界ですよね。


ボクらの時代 ロングヘアーという生き方

2012-04-02 | 


「ボクらの時代 ロングヘアーという生き方」

ボクらの時代で対談した高見沢俊彦さんとみうらじゅんさんとリリー・フランキーさんの話が、
朝の放送では流せない内容ばかりだったので、本にしちゃったようです。

個性的なロン毛の3人なんで借りてみました。

男子の生態と、ロックと、仏像のお話が中心でした。

みうらさんの御両親は、みうらさんの小学校のテストとか作品とか全部とっておいたそうです。
高見沢さんちは子どもの時に使っていた茶わんくらい。
リリーさんちは引っ越しのたびに捨てていたそう。

そうか~、将来娘が有名人になった時のために取っておいた方が・・・ってこないな、そんな日。

うち片っ端から捨ててます。
テストなんて翌日。
教科書、ノート、ドリルすべてまとめて、今月の古紙回収にだします。
作文は自分が読み返して面白いのでとってます。
作品は工作は全部、折りをみて捨て、絵は少しだけ取ってます。
夫からも捨て魔って言われてます。

高見沢さんを一度すぐ近くでみたことがあります。
福岡で浜田省吾の野外ライブがあった時に、すぐ前で高見沢さんがみてました。
何度も振り向いてこっちをみるのでわたしに気があるのかと思いました(笑)
ステージに集中しろ!高見沢!

リリーさんは子どもの頃、粘土で近所のおじさんの顔をリアルに作るのをライフワークにしていたそうです。
男の子ってそういうところありますよね。

わたしが幼稚園に勤めていた時に、担任していた年中の男の子(5歳とか)がわたしにプレゼントってくれたものが、
紙で作った便座だったんです。
びっくりするくらい精巧にできていて、ふたもちゃんとカパッと開くようになっていました。
なぜに便座だったのかわかりませんが、彼は便座だったんですよね~。

ずっと職員室のわたしの机の一番下の引き出しの奥に大事にしまっていて、
退職する時に家に持って帰り、本棚に飾っていたのですが、その後どうしちゃったんでしょうね~。

ロン毛3人組の事を書くつもりがわたしの昔話になってしまいました。


すごく可愛らしかったいけぐちよしひろくん、どうしてるかな~・・・。
TOTOにお勤めだったりして!







みうらじゅん著「とんまつりJAPAN」おもしろそ!



たったこれだけの家族 ~河野裕子~

2012-03-13 | 


河野裕子さん、
歌人で2年前に亡くなられたってことくらいで、
どんな歌を詠まれていたのかも知りませんでした。

図書館で「たったこれだけの家族」というタイトルに惹かれ、この本を手に取りました。

エッセイ本ですが、最後に「河野裕子の歌一〇〇首」ということで、
息子さんと娘さんが選ばれた歌が載っていました。

妻として、母として、そして女として、
日々のなにげない暮らしのなかから生まれでるさまざまな思いを、
そぎ落とした短い言葉で詠んだ河野さん。
ガンで亡くなる前日まで。

文字にすればたった30字くらい。
そこまで潔くなれるのかと圧倒されます。


特に好きな歌



しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ




はぁ~、漂ってくるなんという幸福感。
子育て、ここに極まれりです。




                  



手で作る本 ~山崎 曜~

2012-03-12 | 


フランス語のレッスンで「MON PORTRAIT GHINOIS」というのをやりました。

あなたの好きな国は、季節は、場所は、色は、音楽は、映画は・・・。
そんな質問に直感でパッと答えます。
そのひととなりがわかる自己紹介みたいなものです。

先生が、答えを絵やコラージュ、写真なんでもいいからノートに表してきてと宿題をだされました。
レッスンは月に2回ですが、先生は気を遣って次回までってことではないからっておっしゃいました。
わたしたちはニッコリ顔を見合わせました。

がぁ~~、次のレッスンの時、
わたしをのぞいた3名(ひとりお休み)が皆ノートを提出!
わたしなんて手もつけてませんでした(汗)
あのニッコリはなんだったの!?

皆すごいの、マスキングテープをたくさん使ったり、1ページにすごくオシャレにまとめたり、
絵を描いたり・・・とそれぞれの個性が出ていてどれも素敵。

おかげでわたしのお尻にも火がつき、次のレッスンの2日前にとりかかりました(←どこに火がついたんだろうね)


ちょうど三浦しをんの「星間商事株式会社社史編纂室」を読んでいたので、
主人公幸代が仕事の合間にこっそり同人誌を作っているのがなんかいいな~と思って、
わたしも既成のノート買うんじゃなくて、手作りのノートを作ってそれに貼ろうと思ったんですね。
っていうか元来負けず嫌いなんで、負けちゃいられないわけです。
どんだけ負けず嫌いかというと一瞬映画「私の中のあなた」のケイトのスクラップブックを真似ようと思った・・・。
2秒で無謀だって気づいたけど。

それで参考にしたのが「手で作る本」

簡単に考えていたけど作るのって大変なのね。
でもうっとりする、手作りの本。

本を借りる前にイメージはできていたのです。じゃばらで作るって。

                  

でも説明みたら難しすぎ・・・、なんせ不器用なもんで。

結局一番簡単なものに(汗)
本借りた意味ない。この展開はだいたい予想通り。

                  

結婚式でもらう座席表じゃんってツッコミはなしでお願いします。
紐に一応こだわりをみせてみました、トリコロール!
気づいてくれましたよね!


                  

好きな色は赤。好きな動物はパンダ。(直感だから適当なの)

雑誌を切り抜きたいんだけど、うち雑誌がほとんどなくて。
パンダの写真もなくてネットのイラストで検索し、これはいいとパクリました。
わたしパクるの昔から得意です。

正味1日必死こいてやりました、設問13問中9問。
そう全部できてないんです(涙)

あとは麦畑を探さなきゃ・・・。

佐野洋子対談集 人生のきほん

2012-03-10 | 
佐野洋子さん、リリー・フランキーさん、西原理恵子さんは武蔵野美大卒です。

この本は、佐野さんのお宅で、2007年に西原さんと、2009年にリリーさんとそれぞれ対談したもの。


(佐野さんは2004年に乳がんがみつかり、2006年には転移再発し医師から余命2年の宣告をうけます。
 しかし余命は延びて2010年11月に永眠)





●佐野洋子語録●

自分で自分を変えない人、変えられない人、変えようという気がない人、それは結婚に向いている。
それから文句ばっかり言う人も向いている。一生文句言ってる人は向いている。
「あーでもない、こうでもない」と一生、夫の悪口を言いながら絶対別れないというのがいちばん多い気がする。


金と命は惜しむな(←佐野父の名言)

イ・ビョンホンはね、口を少し開いているとき、唇の両端に薄い膜ができるのね。そこに色気を感じるの。


●西原理恵子語録●

私らの間では、娘への共通ワードとして「九州男児と、ひとりっ子で専業主婦に育てられた男とは絶対に結婚しちゃいけません」というのがあるんです。

(好きなタイプを聞かれて)
昔、がたいがよかったり太った人が、年を重ねてちょっと垂れ下がってきて、肩や背中が丸くなってきたころがすごく素敵だと思うんですよ。
(少数派かと思ったらハードゲイの友人に「デブフケ専」はスタンダードノーマルな好みだからあなた正常よ!って言われたらしい)

若い男の子って、何も持ってないでしょう?それなのに、なんでもできるような口きくじゃない。あれはバカがうつるから嫌いなんです。
毎日、息子のこぼしたご飯粒ひろって、テーブルマナー教えているのに、若い男にベッドマナーまで教えなきゃいけないなんてぞっとする。「熟練工呼んでこい!」って感じ。

●リリー・フランキー語録●

女の人って弱々しそうな人ほど根性が悪い。根性が悪いから弱々しそうにしてるんだなって。


                  


リリーさんは卒業して5年働かなかったそうです。
その間毎年思っていたのが
-「来年が今より悪いはずはない」「今より悪いことが見当がつかない」なんか自信ありました-

かたや西原さん
-「今日より明日は絶対に悪い日に違いない」「絶対に悪いことが起こるからお金を貯めとかなきゃ」-

あれだけ売れていても未だに日々楽観したことがないという。

ロマンチストな男と現実を生きる女の違いでしょうか。
ロマンチストなのは女だと子どもの頃は疑いませんでしたが、
夢見がちなのは絶対に男だと大人になって気づきました。

佐野さんが自分は日常生活をするために生きている。
そのためには仕事とお金が必要で、仕事のために生きているというふうに感じたことは一度もない。仕事は好きじゃないの。
って言ったら、
西原さんが「いい猫(100万回生きたねこのこと)がいらっしゃるから」って突っ込むんです。
うちもそういう猫、欲しいわっ!って。
さすが西原さんだと思いました(笑)

西原さん、対談の中で子どもの頃はものすごく貧乏だった、貧民層出身だ
という話をされますが、
貧乏なお家の子が地方から東京の私立のしかも美大になんて絶対に行けませんってわたしなんかは思っちゃいます。
同じ世代なんですが、ものすごく貧乏なお家の子は中卒か定時制を選んでいました。
まわりもそういうもんだって思ってましたね。可哀想とかなかったです。
選択肢に大学進学が入る余地は微塵もなかったと思います。
だから西原さんの語る貧乏の次元はどこか違うだろって思ってしまいますね。

リリーさんは、エッセイを読んだりテレビでの対談なんか聞いてると毎日飲んだくれて、
知的なスケベって感じがしますが、
対談の写真をみると、仕立てのよさそうな白いシャツをピシッと着て、背筋を正してお話しされている居住まいにヤラれます。
わたしこういう男性に非常に弱いんです(汗)

最後にリリーさんから佐野さんへのお手紙も収められているのですが、
そこには「存じます」って言葉がでてきたりするんです。
意外だったな~、リリーさんが存じますを使うなんて。

こういうのもリリーさんのテクニックだな、用心しなきゃって思うのですよ、わたし。
ってなに用心するんだろ(笑)

あと、リリーさんの本名が中川雅也だと知りました。
(思わず沖雅也が浮かびました)
あ~雅也ぽいな~リリー・フランキーって。

佐野洋子さんを中心にした対談集なのに、佐野さんの感想が少ないな(汗)
興味ある方はアマゾンのレヴューなんかをみて参考になさってください!

佐野洋子さんのエッセイもおもしろいです。
ただわたし、あれだけ読まれているらしい絵本「100万回生きたねこ」を読んだことがなかったんです。
手に取ったことはあるんだけど・・・。

                  


サンタクロースの部屋 ~松岡享子・著~

2011-12-20 | 
サンタクロースはいるのか
もちろんいるに決まっているのですが、

「サンタクロースの部屋」(松岡享子・著)は、
その疑問にヒントを与えてくれます。





「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースは本当はだれかを知る。

 知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。

 しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、

 信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、
 
 サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力ゆえに、

 サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」

-中略-

 心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、

 心の中に、サンタクロースを収容する空間をつくりあげている。

 サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。
 
 だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。

 この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、

 ここに迎えいれることができる。

-中略-
  
  むしろ、見えないものを信じることを恥じ、サンタクロースの話をするのは、

 子どもをだますことだというふうに考えるおとなが、

 子どもの心のふしぎの住むべき空間をつぶし、

 信じる能力を奪っているのではないだろうか。」




僕の寂しいサンタクロース(仮)





サンタクロース。
されどサンタクロース。
悲喜こもごもの思い出。


きかんぼねずみのクリスマス

2011-12-08 | 

娘が学校の図書室でみつけ、
かなり詳しく内容をお風呂で話してくれました。

きかんぼねずみがサンタさんに書いた手紙の内容で、
トナカイへこうしてあげてくださいっていうのが、
あまりにもチャーミングで、
いいお話だね、お母さんも好きだな~って言ったら、
しばらくして借りてきてくれました。

裏に貼ってある貸出ハンコの紙をみたらもういっぱいで、
娘の小学校でも人気の1冊のようです。

クリスマスの絵本、たくさんありますね。
きかんぼねずみのクリスマスもおすすめです。

大人になったら、着たい服 秋冬

2011-10-31 | 
前回の「大人になったら、着たい服」が人気だったのでしょうか。
秋冬号が書店に平積みされていました。

今回は前回以上にモデルの方の年齢があがっています。
そして白髪短髪のモデルさん、やたら多し。

                  
愛知にあるセレクトショップオーナーの鵜飼弘子さん
時々雑誌で見かけますが、染めるのやめられたみたいですね。
この方はわざわざ東京にカットにいらしているとなにかで読みました。



n100の大井さんも、パーマネントエイジの林さんも白髪ショート。
パーマネントエイジの奥様は、白髪で小柄なかたのよう。
わたしも似たタイプなんで、アドバイスしてほしいな~。
お店が近かったら行ってみるんだけど。


ページの後ろのほうで、ヘアスタイリストさんが言ってました。

「40代~50代はショートがいい。特にセシルカットがおすすめです」

セシルカットのひとってヘアスタイルだけでオシャレにみえますよね。

わたしも白髪が多いので、服の雑誌なのに、ヘアスタイルが大いに参考になりました(笑)


今回もモデルの方のお気に入りの服が紹介されていますが、
特にわたしがすきだったのは、

セミオーダーショップオーナーの広川マチ子さんのプラダの服。
プラダなんて1枚も持ってないし、買えないけど、
素敵だな~って思ってクレジットみると、決まってプラダ。

襟ぐりの感じといい、生地の光沢といい、なにからなにまでわたし好み!
ショップに入ったことさえ(靴のコーナーはある)ないから、実際わたしが似合うかどうかはわからないのだけれど、
いつかは着てみたいな~と憧れているプラダ。

                  

広川さんのルイ・ヴィトンのステンカラーコートもいいな~。
折り返した袖口はモノグラムの柄。

                  

こういったコートはきちんとした服はもちろんカジュアルなものにあわせても圧倒的な存在感を発するんだと思う。
縫製もしっかりしてそう。


                  

大胆な柄のスカート。
こういうの着てるひとみると、なぜかオシャレさんだなって思ってしまう単純なわたし(笑)


最近のファッション雑誌ってほとんどのページが広告で占められていてつまんないけど、
これは広告らしきものがない。
好感度高しです。

ファッション雑誌を買うことはほとんどなくなったけど、
たまに無性にみたくなる。
そして無性に服がほしくなる。

秋冬ってマフラーや帽子など小物を使うことも多いし、
特にオシャレが楽しめる季節ですよね。

寒くなってきたから、
ロイヤル・スチュワート柄のストールを出してきたんだけど、20年くらい使っているもの。
ソニアリキエルのボーダーのカットソーは7年前くらいに買ったもの。
この2つをあわせて最近はよく出かけています。

わたし、こうみえて物持ちいいんですよ~。


Trois blend ~キジブックス~

2011-10-03 | 



                 




同じく「小春展」にて。

古本屋さんもいらしてました。
北軽井沢のブックカフェ「本とコーヒー 麦小舎」の分室「キジブックス(kiji books)」というお店です。



                   


並べてある本の中でおもしろいものをみつけました。

「Trois blend」(トロワブレンド)

珈琲豆を入れる袋に3冊の文庫本が入っています。
なかはみえません。

でも裏をみると

種類のところに
「おとなのおとぎ話」「幕末の男達」「おいしい話」「おんなの生き方」などなどジャンルが書いてあるので、
選ぶめやすになります。

わたしが選んだのは↓

                  

絶対に図書館では手を伸ばさないであろうジャンル。

本の福袋ですよね。
こういうの大好き。
本を選ぶのって結局自分の好みに偏ってしまうので。



                  

この秋はエジプトにハマってみます(笑)


娘には偕成社文庫の「長ぐつをはいたねこ ペロー童話集」を買って帰り、
さっそく読みだしたはいいものの、
「お母さん、これ怖すぎる・・・」って。

眠れる森の美女からはじまっていますが、ディズニーのオーロラしかしらないので、
花輪莞爾訳の残酷なお話にドン引き。

よく中を読んで買わないとダメだわね(汗)

ここのキジブックスさんと少しお話をしたのですが、
面白いことを聞きました。

長野市にバックパッカーというお店があって、
そこは本屋さんだけど店頭には本は少ししか並べていないそうです。

お客さんとお喋りをしていく中で、このひとにはどんな本がいいのか、
それをお店の方が出してくださるのだそう。
まるで薬局みたいですね。
ずっと以前に新聞に載っていた本屋を思い出しました。
そこは本は全部紙袋の中に入っていて、めやすは読んだ人の感想が書いてあるメモだったかな。
多分東京の本屋さんだったと思う。
今もあるのかな?

家に戻って「長野市 バックパッカー」で検索したら、
こちらは以前新潟で開催された「一箱古本市」の行った時、
出店されていたお店にこちらのフライヤーが置いてあったので、
手にとってみていたら、
ここおすすめです、長野に行かれる時は泊まってみるとおもしろいかもって教えてもらっていた宿泊所でした。

あれれ~って思いながら
もしかしたら「バックパッカーではなくブックパッカー」なのかしらと思い(なんたって3歩歩けば忘れる)
再度「長野 ブックパッカー」で検索したら・・・。

でてきました!

どっちのことだかよくわからなくなりましたが、
バックパッカーブックパッカー
どっちも面白そう~!



                  

こういうのもついつい買ってしまう。
もったいなくて使わなかったりして本末転倒だったりするんだけど・・・。


きのうの神様 ~西川美和~

2011-09-19 | 
『ゆれる』を撮った西川美和さんの短編集です。

図書館でなんとなく手に取り、なかもよくみないまま借りてきました。

よかった。どれも。

特にどれがと聞かれればどれもなんだけど、

最初の『1983年のほたる』
小学6年生の女の子が主人公なんだけど、
この女の子の気持ちが、まるで昔のわたしと一緒。
ふわっと湧きあがるなんともいえない嫌~な気持ちとかがあ~同じだと。

『ノミの愛情』も『ディア・ドクター』もよかったな。


何の予備知識も無くなにげなく手に取った1冊が、当たりでした。

買っちゃいました♪

2011-09-01 | 

『ザ・トレーシー・メソッド2 ~最強の腹凹ワークアウト編』

1時間ウォーキングを始めて50日(ほぼ欠かさず毎日)
減った体重はたったの1キロ・・・。

筋トレに3ヶ月通って3キロ増えたのに比べたらいいんですが、
やっぱりこの膨れたお腹はどうにかせんといかんと思い、
カーヴィと迷ったんですが、
同じ150㎝という小柄なトレーシーに親近感が湧き、こちらに決めました。

トレーシーメソッドは1.2.3とでているので1と2で迷ったんですが、
2は出産後の体型戻しと書いてあり、まさにわたしにぴったり。
産んだのは8年前ですが、今はなんと臨月の時より重いのですよ。

ガァァァ~初めて10分くらいでダウン。
だってあなた、ずっと腹筋するのよ。
たぶん10分で100回くらいするんじゃないの~。

もう死ぬわ。
疲れてちょっとヨコになったつもりがなぜか!?爆睡。
義母からの電話に起こされたんだけど、もうDVD終わってました(汗)

ビリーもとっとと除隊、モムチャンダイエットも本買っただけ・・・。

でもトレーシーは3000円もしたから頑張らないと。
今のわたしは6月までのデブまっしぐらのわたしとは違うのよ。

『いや~ん、ズボンがブカブカ~、Sサイズ買っていいかな!』

絶対あいつに言ってみせるんだから!!!(鼻息荒し)


未来ちゃん ~川島小鳥~

2011-06-13 | 


「未来ちゃん」

写真集です。撮った方は川島小鳥さんという男性。
川島さんの友人のお子さんで新潟県佐渡在住の女の子未来ちゃんの2歳から3歳にかけてのものです。

昨日立ち寄った北書店で、初めてみることができました。
評判は聞いていましたが、想像以上でした。


未来ちゃん、今時のほよよ~んとした子どもと違って、眼力がすごい。

                 

わたしが特に印象に残っているのは、
ウサギちゃんを抱っこしている未来ちゃんと、
このハムエッグにすさまじい形相で食らいついている未来ちゃん。


一部は撮影者のやらせ(着物に鎌持って笑っているのとか)なのでしょうが、
それでも全ページ、未来ちゃんの圧倒的な存在感が炸裂。
未来ちゃんなくして成立しなかった。
こんな女の子よくみつけたな~。

バックが佐渡の自然というのも未来ちゃんの強さを際立たせています。

それにしても未来ちゃんち散らかりすぎ。
今時のお母さんは家を清潔にして飾って、落ちたものは絶対食べさせず、
衛生面に対して異常にギャーギャー言うけど、
それと対極の生活している(であろう)未来ちゃんち。

どんなふうに育っていくのかな~。

もしかしたら未来ちゃんは、この写真集のなかにだけ存在するのかもしれないな。



どこか奈良美智の女の子も浮かんだそんな写真集でした。


                    




                  

川島小鳥さん(撮った人はこのかたです)



追記

川島小鳥 未来ちゃんで検索していたら「奈良美智」という文字をみつけたので、
みてみたら、わたしと同じように奈良美智の絵を思わせると書いておられる方がいました。→コチラ


川島さんへのインタビューもあって、
川島さん自身これは「ドキュメンタリー」ではないとおっしゃっていました。
「未来ちゃんという作品設定だから、彼女が未来ちゃんになった時にシャッターを切る」のだと。

そうですよね。
普段子どもを撮っている方なら、あの写真集は自然ではないということがわかると思います。


架空の女の子「未来ちゃん」時代を逆走する衝撃的な2歳児だわ!


ブローチ ~内田也哉子~

2011-06-03 | 



ロックンローラー内田裕也氏が事件を起こしたニュースが流れた時、
わたしはすぐに娘の内田也哉子さんのことを思った。
きっと大きなため息をついているだろうな~と。

内田裕也さんと樹木希林さんの娘で、本木雅弘さんの奥さん。
それが内田也哉子さん。


                          



彼女をみたのはもうずっと昔「フライデー」とか「フォーカス」だか忘れたけど、
写真週刊誌だった。
当時多分10歳くらい。
たしかアメリカに1年留学して帰国した成田空港で撮られた彼女の写真は、
実に強烈だった。
大きなサングラスをかけていたと思います。帽子もかぶっていたと思う。
服がまるでヒッピーみたいでぶっ飛んでた。
まったく子供っぽくなく堂々としてみえた。
まだ子どもなのにアメリカからひとりで帰国してきて、なのに迎えもなかったみたいで、
空港のなかをひとりスタスタ歩いているのと撮られたものだったと記憶している。

さすが内田裕也と樹木希林の娘、ただ者ではないなと思った。


それから数年の月日が流れ、
次に彼女が世間に登場してきた時も、ある意味センセーショナルだった。

本木雅弘さんが結婚相手に選んだのが内田也哉子さんだったのだ。
本木さん27歳、内田さんはまだ19歳。(プロポーズは17歳の時)

内田さんのエッセイ「ペーパームービー」は、
母親、父親、そして夫のことが書かれているが、昔のぶっ飛んだ写真から受けたイメージとまったく違い、
内田さんってとても泣き虫で繊細で優しい素敵な女の子なんだな~、
本木さんはお目が高い!って思った。
「ペーパームービー」では一度も一緒に暮らしたことのない父親への思いや、
夫である本木さんとの出会い、そして結婚に至るまでも書かれているのだが、
彼女の文章がわたしはとても好き。


そんな内田さんが文章を書いた絵本が「ブローチ」

言葉ひとつひとつが宝石みたいにキラキラしていて、
渡邉 良重さんのイラストもうっとりするくらい美しく素晴らしい。

そっと閉じて、余韻に浸る・・・そんな大人の絵本。



                  





あの日に戻れたら ~葛西 文子~

2011-05-02 | 
豊栄図書館の地震特集のコーナーでみつけました。
1999年9月に東海村で起きたJOC臨界事故を一主婦の目線からリポートしたものです。

葛西さんは当時26歳、5歳と2歳の子どもを抱え、東京新聞水戸支局の女性レポーターをしていました。
彼女はJOC敷地境界まで400メートルしか離れていないアパートに住んでいたのです。
しかもそのJOCがそこにあることさえ知らなかったという。
なぜなら日本核燃料コンバージョンという会社が1年前にJOCと名前を変えていたから。

彼女のレポートを読んでいると、現在の福島を取り巻く状況が当時とほとんど変わらないのに愕然とします。
情報を操作する国、行政や会社の後手後手の対応、情報の遅さ・不確かさ・目くらまし、風評被害。

今からたった12年前の話、無事解決との確認のみで、
その後私たち国民のほとんどが他人事として「東海村で臨界事故あったよね」くらいの認識なのではないでしょうか。
チェルノブイリだってそうですよね。

この事故により彼女の生活は一変します。
夫が経営する塾は、敷地境界から100メートル、塾は結局閉じることになり、タクシー運転手に転職。
借金だけが残ります。
葛西さんは、事故後から不正出血が続きます。10月に妊娠がわかりますが、
その後検診で、胎児に異常(事故との因果関係は不明)がみつかります。苦渋の末堕胎します。

原子力関係者が多い村で、多くの人が口をつぐむなか、葛西さんは、住民説明会を皮切りに村原子力安全対策懇談会委員になったり、裁判を傍聴したりして、なぜこの事故が起きたのかを調べていくのです。

東海村の臨界事故は原子力発電所ではなく、JOCという核燃料加工施設が起こした原子力事故です。
この事故によって死者2名と667名の被曝者がでました。

この事故は発生から約20時間後に終息しました。
しかし福島原発は今後の終息の見通しも立たないまま、
1ヶ月以上そして今現在も放射能が垂れ流されているわけです。

しかも怖ろしいのは、症状がすぐにでないこと。
6~7シーベルトが致死量ということですが、
毎日じりじりと長い間にわたって放射線を浴びた結果がどうなるかそんなデータなんてあるわけないですよね。
私たちが人体実験されているようなものでしょう。

当時の東海村でも大量のカラスが死んだとか、JOCの西側の木が枯れ、季節外れの桜が咲いた、1本の茎から3個の花を咲かせているタンポポがあったなどの噂が飛び交ったそうです。

実際に臨界事故があった日に、自宅の鳥小屋の鳥が変な声で鳴いていて、見に行ったら死んでいた。
でもどうせ偶然だからって言われるに違いない。引っ越せるわけでもなくここに住むしかないんだししかたない。
そういって不安を抱えながらも、口に出せば風評被害を煽りかねないと口をつぐむ農家の主婦の証言も。

きっと福島のひとも同じような思いの人がたくさんいるのだと思う。


年間20ミリ・シーベルトの放射線量を上限に福島県の保育園や幼稚園、
小中学校の校庭利用を認める政府の方針に抗議して、
小佐古敏荘内閣官房参与が辞任したにも関わらず、国は妥当だと言ってますよね。

たしかに専門家の意見も分かれるところだと思う。
でも自らが依頼した専門家がダメだ!と言ってるのに、それを曲げてしまう政府。
いったいどんな圧力がかかっているのだろうと思う。

もどかしいです。
子どもを守らない政府など要らない。
あの日に戻れたらどんなにいいだろうけど、それは叶うはずもないこと。
これまで関心も持たず任せきりにしてきた原発。
また同じことをしたら、こども達に申し訳がたたない。
せめてひとごとにするのだけはやめようと思います。



―「無関心でいることは罪なんだ!私にも、この事故を止めるチャンスはあったのだ!」

何度も時代は警笛をならしていたのだ、それに耳を傾けなかったのは、私たちの責任なのだ。

「私たちにも、人生を変えることはできる。いつでも、これからは」― 「あの日に戻れたら」より抜粋


福島老朽原発を考える会(フクロウの会)