いつだったか朝日新聞で、穂村弘さんの書評を読んで俄然興味を持った「こちらあみ子」
(著者にとってなんとこれが第一作なのだそう。この作品で三島由紀夫賞と太宰治賞をダブル受賞している)
いったいあみ子はどんな子なの!?
ものすごく気になって読み始めた。
あみ子は今でいう発達障害なのかな。
あるいは知恵遅れがあるのかもしれない。
感想を書きたいけど、これは何にも知らずに読んだ方がいいと思う。
あみ子がグーで何発も殴られたみたいに、私も頭をガーンと殴られたみたいな衝撃を受けた。
~十五歳で引っ越しをする日まで、あみ子は田中家の長女として育てられた~
第一章はこの言葉で始まるのだが、
読み終わってこの言葉がひどく切なく感じられた。
「こちらあみ子」を読んだら、昔出会った女の子のことを思い出した。
これまでたったの一度も思いだしたことがなかった女の子のことを。
わたしが20代前半だったから、今から25年くらい前のこと。
幼稚園に勤めていたのだけど、その当時はまだ世の中がのんびりしていて、
わたしたち職員にも盆休みではなく「夏休み」があった。
たしかお盆をはさんで2週間くらいだったと思う。(それからほどなくして盆休みに変更された)
何度か訪れたことのある由布院に、その休み中行ってみたいと思った。
時間はたっぷりあるけどお金がないわたしは、
ガイドブックのうしろに載っている宿泊施設の中からペンションを選びだし、
片っ端から電話をかけた。
「○日から10日間住み込みで働かせてもらえませんか。お金は要りません。ご飯だけ食べさせてもらえたら」
幸いなことに3軒目のペンションの女主人が
「あなたのようなひとが今うちにひとりいるわよ、いらっしゃい」って言ってくれ、さっそく出発。
国道から山道に入り込み、ウネウネと登って行き着いたペンションは、
当時はかなり珍しい和モダンな建物だった。
着いた時はすっかり暗くなっていたが、そこのひとたちは明るく迎えてくれた。
小太りで気さくな女主人(以下ママ)と、わたしのようにいきなりやってきたまるでチーママのような雰囲気の綺麗な女性Sさん。(通いの板場さんもひとりいた)
そしてふたりの若い女の子。どちらも化粧っ気のない素朴な雰囲気の10代の女の子だった。
似てないけど娘さんかな?と思ったら従業員だという。
それがノンちゃんとハッちゃんだった。
ふたりは養護学校の同級生だとSさんに教えてもらった。
ノンちゃんは小柄でふっくらしていておとなしく繊細な感じ。
ハッちゃんは棒みたいに細くて髪も坊主に近く男の子みたいで、どこかそわそわして落ち着きがない。
「丸」と「ギザギザ」のコンビ。
ノンちゃんはSさんと同室で、わたしはハッちゃんのお部屋にお世話になることに。
ノンちゃんの部屋は小物が飾ってあったり化粧品などもあって女の子らしいのに、
ハッちゃんの部屋は客用のシーツやら枕カバーがド~ンと置かれ、その片隅でハッちゃんは生活しているようなもの。
またその隅にわたしの布団を敷かせてもらった。
ノンちゃんはポエムを書いていて、情報誌なんかにも載ったそう。
お昼の喫茶の珈琲を淹れるのを任せられていてちょっと得意げ。
ハッちゃんは、ひたすら力仕事をいいつけられていた。
大浴場を洗うのはハッちゃんの仕事、
汗だくで毎日頑張ってた。
ハッちゃんは、文句を言わずただ言われたことを必死にやっていた。
そして夜はグーグー気持ちよさそうに寝ていた。
平気でわたしの前で真っ裸で着替えたり、汚れたショーツそこらに放ってる、人前で鼻もほじる。
恥じらいとかほとんどない子だった。
ある夜、クラシックのコンサート会場になったことがあり、
ママは場所を提供しただけで、主催は別のひとだったので、
わたしとノンちゃんとハッちゃんは先に部屋に戻っていいと言われた。
せっかくの夜の自由時間なんで、
下(くだ)って街のスーパーに買い物に行くが、二人も連れて行っていいかとママに聞いたら、
ダメって言われてしまった。
テレビもなく、休日もなく、ほぼ毎日仕事だけの二人。
そんな彼女たちにとっては、ちょっと街に下るだけでも非日常のとても嬉しいおでかけ。
ダメって言われてとてもガッカリしていた。
わたしだけ下って、余計な期待をさせたふたりにお詫びにお菓子を買って戻った。
そして3人で部屋でお菓子を全部広げて食べた。
ハッちゃんは口いっぱいにお菓子を詰め込んで食べていた。
たくさんあるのに(笑)
最後の日、
お金要らないと言ってたのに、ママが封筒を差し出した。
聖徳太子が入っていた。
また来るから!と言って山を降りた。
すぐにお礼の手紙をママとSさん、ノンちゃん、ハッちゃんに書いた。
返事が来る前にまた車を飛ばして山に行った。
そんなことを3回くらい繰り返していたら、
道路が凍る季節になり、行けなくなった。
春が来て、夏が来て、また行ってみたら、
ノンちゃんもハッちゃんもいなかった。
なんでも地元のある団体から、障害者を劣悪な労働条件で働かせているという告発があったらしい。
辞めたのか辞めさせられたのか結局忘れてしまったのか思いだせない。
でもふたりはいなくなり、無理にでも連絡をとろうという気持ちはその時のわたしにはなかった。
3人で夜にお菓子を食べた時、ノンちゃんが「姉ちゃんもう(辞めて)帰ってこい」って弟が言ってくれると話していた。
ハッちゃんはまったく自分のことを話さなかった。
ノンちゃんは素直ないい子だってママやSさんに可愛がられても、
ハッちゃんはそれをうらやましく思ったり、ノンちゃんに意地悪したりすることもなかった。
食べ物のことと仕事をしっかりやってママから叱られないようにすることでハッちゃんの頭の中はいっぱいだったのだと思う。
ママは、成人式にはちゃんと着物を着せて写真を撮ってあげたり、予約のない日は皆で遊びに行ったり、
服を買ってあげたりとふたりのことを大事に思っているようなことを言っていた。
海千山千でどこか狡猾な匂いもしないではなかったが、
可哀想にっていうだけの人ではなかった。
男で苦労したから一緒に働くのは女だけがいいと、板場のひとも女性だった。
そんなことを言っていたママだったけど、
数年後にそのペンションを閉め、別の場所にオープンさせた旅館に泊まりに行ってみたら、
従業員はママ以外全員男だった。
その旅館は今では予約がなかなか取れないことで有名な宿になった。
ハッちゃんもノンちゃんも今頃、どこでどうしているのだろうか。
ふたりとも暖かい場所の出身だったけど、そこに戻ったのかもしれないな。
もしかしたら結婚してお母さんになっているのかも。
ハッちゃんもノンちゃんも、元気でいてくれるといいな。
あみ子みたいに。