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you are my sunshine

40代でblog始めてあらもう60代。
光陰矢の如し。年が明けたらあっという間に年の暮れ。

手紙~親愛なる子供たちへ 樋口了一

2024-06-14 | 老いた親のこと
出勤前、バタバタ用意をしていたら、ラジオから静かに流れてきたギターの音色。
思わず聴き入りました。



88歳の寝たきりになった母親の介護をやってる方からのリクエスト。
親孝行と言われるが介護の現場はそんなものではない。
究極の時に出る自分の言動ににこれが自分の本性なのかとおぞましくなる。
一番つらいのは母だと頭では理解しているが心とからだがついてこない。
つらい時にこの曲を聴いて自分をゆるっとさせてきたと。


YouTubeでみつけ張り付けましたが、ラジオで流れたのはほんの一部だったようです。



『手紙~親愛なる子供たちへ』

年老いた私がある日今までの私と違っていたとしても どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえ切らずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり お風呂に入るのを嫌がる時には思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて 嫌がるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない

足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったら あなたがか弱い足で立ち上ろうと私に助けを求めたように

よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい 私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 私を理解して 支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで私には勇気が湧いてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ 愛する子供たちへ
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親子でかけがえのない時間

2024-05-14 | 老いた親のこと
4月下旬に義母が救急搬送され、心不全でした。
その4日後に母が救急搬送され、脳梗塞でした。

ふたりともICUに入りましたが、命に別状はないとのこと。
病院にいるほうが安心だからすぐに帰ってこなくてよいといわれ甘えました。
義母は1ヶ月くらいで退院するかなと、ちょうどスカイマークも安いチケットがあり5月22日からを予約。
レンタカーも予約。

そしたら水曜の夜に義弟から、金曜日に退院が決まった。ただこれまでの元気になっての退院とは違うのでと連絡が。
えっ!?どういうこと?
よくわからないけど明後日なんで急いでチケットをとりました「わたしひとり分」
夫はどうしようかとグダグタ言ってたのでもういいや。とりあえずと。

金曜の朝7時半くらいの便。
空港から地下鉄、JRを乗り継ぎ、駅前でレンタカー借りて1時間。
途中お昼ごはんや滞在中の食材を買って着いたのは1時前。

義母、きちんと服を着てこたつに座ってテレビみてました。
よかったー!

義弟も仕事の関係で見舞いに行けないまま退院の連絡がきたので、状況がわからなかったらしい。
日常生活は問題ないが、汗をかく運動はダメ、塩分控えめに、そんなことを言われたそう。

わたしが買ってきた昼ごはんも食べて、なんなら以前より食欲もある。

義母の話し相手をする以外は台所に立つか、トイレ掃除やら。
翌日は朝御飯のあとお昼まで庭の草取り。
お昼ごはん食べさせたら、母の日だったのでプレゼント買いにでました。

義母が思ったより元気だったので、3日目は母の病院に行くことに。
朝からいくつかお総菜を作り、ご飯を食べたら、9時半過ぎには義実家をあとに。

母の面会は2時から。
友だちに会って帰ろうと、土日だけカフェやってるMちゃんにランチを連絡、Yちゃん、Kちゃんにもいきなりだしゆっくりもできないけど会えるかなとLINEしたら行くよーとのこと。
帰りの飛行機が5時半しかとれず、レンタカーを3時に返却して、3時6分のJRに乗らなければならない。
ただレンタカー返すお店が、母の病院から車で40分、しかも雨。
夫実家からMちゃんのカフェまで1時間。
途中買い物したりトイレにはいったり、道に迷ったりして着いたのが11時半。

13時には出て、蒲鉾やさんに寄り、母の病院へ。
2時まで待って、母に会って話したのは1分。
電車に間に合わないから。
元気そうな母の顔みて「すぐまた来るからねー」

土砂降りのなか、レンタカーやさんに。
傷のチェックなどに手間取り、けっきょく電車は間に合わず1本遅らせることに。
でも空港には4時半には着けてひと安心。

慌ただしかったけど、義母も母も元気そうで安心したし、
久しぶりに友人たちに会えておしゃべりして、おかげで元気に横浜に戻ってきました。

友人に、夫がわたしの後に帰省してもなんにもしないから、退院したばかりの義母の負担は増えるんだよねー。
草取りなんてわたしにはさせても、夫には絶対させないもんね。
とか話したら、
Yちゃんが「それでも嫁よりなんにもしなくても息子なんだよ、来てほしいのは。
あと何回会えるかわからないから、息子たちと母親だけの時間も大切だと思うよ。
だからrimiもそんなに頑張って帰らなくていいと思うよ」と言いました。

たしかに母と自分を置き換えて考えたらそうかなと。
わたしは嫁の立場で考えて気を使うけど、親子だったらそれはまた違うわけで。

Kちゃんも、同居していたお義父さんが車椅子生活になったので施設へ。
Kちゃんもご主人もほとんど毎日施設に顔を見に行ってました。
同居していた時はふたりともお義父さんとゆっくり話すことはなかったそう。
お義父さんが亡くなったあと、ご主人が言ったそうです。
「(施設での)3年間、こんなに親父とふたりで話すことはなかった」と。
そういう時間を最後に持てたことがご主人にとってとてもよかったんだそう。

夫は幸い退職して4月から家にいます。
親子でのゆっくりとした時間、存分に過ごしてもらいます。

Mちゃんのカフェ。






野菜たっぷり、味噌汁も自家製味噌です。

















一階は和室。
2階は洋風。
落ち着いた雰囲気の素敵なカフェです。



窓の外からは川下りの舟がみえます。
写真が下手くそでうまく伝わらないけど。

おいしい食事と友人たちと大笑いしながらのお喋り。
疲れも吹き飛びました。
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ごみ屋敷

2024-02-17 | 老いた親のこと
夫実家に帰省中。
わたしひとりね。

今回の帰省で、夫実家の大量のゴミをみて途方に暮れる。

夫の実家は入るとまず義父の作業場があり奥が住居スペースになっている。
10年以上前に義父が仕事を辞めた後は機械類はすべて片付けられ、広い土間となっていた。
その空いたスペースの一角に生活不用品が置かれるようになった。
作業場の横に6畳がふた間があるが、そこには義父の仕事に使う材料が入っていると思っていたくらいでちゃんと見ることはこれまでなかった。

少し前に義母から、わたしたちが引っ越しの度に送っていた不用品を片付けてほしいと言われていたので今回整理しようとそのふた間をみて唖然。
要らなくなったものをすべてそこに押し込みました状態。

わたしたちの荷物は夫の本がほとんどで、それは夫が自分の部屋に本棚を買っていくらかは運んでいる。
あとは夫の仕事関係のものくらいしかないので、それは夫が帰省した時にやればいい話。
問題はあそこのひとたちが詰めに詰め込んだ不用品。
布団だのミシンだのタンスだの服だのいったいいつのもの?っていうのが、ホコリまみれで部屋いっぱいに散乱。

義母にこれまで一度も片付けたりしなかったのか聞くと、時々やって綺麗にしているのに、自分が入院して留守する度にだれかゴミを運び込んでいる。多分義弟がやっているという。
ウソつけー!

義母は義父が生きている時は、なんでも義父のせいにしていた。
例えば部屋が散らかるのもものが壊れるのも義父のせい。
義父が亡くなったので今は義弟のせいにしている。
あれはちょっと病的。

義母に、○○さん(夫)が帰省した時に少しずつやってもらえばというと、○○は自分の住まいが横浜にあるんだからこっちの荷物は関係ない、させられないという。
なのにわたしには「rimiさん頼んどくね」だって。

腹立つわー。
「無理です、あの量は手に負えません。お義母さんがお金出して業者に頼むしかないですよ」とハッキリ言ったわ。

息子にはさせないっていうくせに、同じく一緒に住んでない嫁には頼むとは。
わたしは使用人か。

実家に帰って母に話したら「90才になるお義母さんをそんなにいじめなさんな(いじめるのはやめなさい)」だってさ。
あなたたちはゴミを溜め込むだけ溜め込んで知らんぷりするだけだもんねー。
弟嫁もゲンナリだろうから、母のものはわたしと姉で責任もって捨てなければと思う。
っていうか、まず我が家よね。
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遠距離実家 年金生活には飛行機代がつらい

2024-01-12 | 老いた親のこと
現在介護はしてません。
飛行機で帰るところに年老いた義母と母がいる(幸い同郷)ので帰省が今後増えるに違いありません。

去年3月と11月に義父、父が相次いで亡くなり、葬儀、初月忌、四十九日、初盆と夫実家4回、看取りから葬儀、初七日、四十九日と3回、これは家族3人だったり夫婦だけだったり。
飛行機代、空港から電車やバス、タクシー代あるいはレンタカー代、宿泊代で75万かかりました。
今年も供養がありますし、義母や母もいるので帰省は去年同様増えるはず。

そもそも横浜に家を買った時点でわかりきっていたこと。
しかし甘かった。
まず子供の大学資金を貯めてあとは老後資金くらいしか思ってなかった。
ところがふたりの葬儀関係だけで交通費を含め160万の出費。
想定外でした。それくらい安いうちよってひともいるかもだけど。

福岡まではスカイマークで片道14,000円くらいのを基本利用しますが、変更できないのが難点。
あと急に帰るとなれはスカイマークのシニア割引で17,800円くらいで。
ただ席がなければ片道40,000円とか払うことに。
実家が空港近くならいいけど、飛行機降りてからこれまた遠い。
地下鉄と電車を乗り継ぎ1時間半。そこからバスだったら40分。でもそのバスが1時間に1本もない。
最寄駅からタクシーを使えば片道5,000円。
朝5時過ぎに家をでて夫実家にたどり着くのは午後3時とかになります。
最近は時間短縮や車がないと買い物も行けないので、最寄駅からレンタカーを借りることも。

我が家は結婚してからずっと盆正月の帰省は絶対でした。
繁忙期の一番高い時です。親戚のお土産も用意するから大変だった。
雪が降る新潟でのお正月以外帰ってこなくていいよと言われたことはなかった。
コロナで堂々と移動できなくなった時は顰蹙ものだけどホッとした。

今年から夫は年金生活に。
3月まではこれまでいた職場に日給週3勤務で雇ってもらえるらしいがそのあとは聞いてない。
帰省交通費の負担が重くのしかかる。
実家に飛行機で帰る年金生活者のかたたちはどうしているのだろう。

お金のことを言うなと夫から言われます。
そして惜しみ無く援助しようとします。
親に育ててもらった恩があるからいくらやってあげても足りないんだってさ。
ご立派!
義母、ほんとに上手く育てたわ。
そう言われたら、稼いでいるのは夫だからなにも言えない。
でもなにも言えなくするために言ってるんだと思う、頭いいから。

正直去年の葬儀関係の出費にたじろいでいるのです。
先日の義母見舞いでのわたしひとりの帰省に5万円。
義母の様子伺いに毎月一人で帰ったとして年間60万。ただ二人になったり、三人になったりすることも。
夫は数年前から加齢性黄斑変性症で片目だけですが眼に注射をしています。
始めのうちは年に10回とかでした。
去年は4回でしたが1回に45,000円支払いがあります。
これは治療ではなく失明を遅らせるためで、死ぬまで打ち続けます。
最近は反対の眼も怪しいみたいです。両目となれば9万円・・・でも失明はしてほしくないし。

あークラクラ。わたしひとりがクラクラ。

実は娘が大学卒業したら福岡に帰ろうかなと思ってました。
でも今回経験したことを考えると、娘に近い将来わたしたちのようなことはさせたくないしそもそも経済的にも無理だと思う。
とても福岡に帰る気にはなれない。
就職がどこになるのかわからないからなんとも言えないけど。

同居せず、地元にいる兄弟に丸投げしてきたツケはお金でしっかり払うことになっていたのね。
人生、いいとこ取りはできないと改めて思い知るわたし。

働らこっと!
それしかないな。
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気持ちが沈む年明け

2024-01-05 | 老いた親のこと
1日 震度7の能登半島大地震。
2日 羽田空港での航空機衝突事故

被害に合われた方にはお見舞い申し上げます。
被災地に一刻も早く平常がもどることを祈るばかりです。

そんななか2日の夜、義弟から珍しく電話が。
義母が腹痛を訴え、救急車で搬送され手術をこれから受けると。
腸閉塞でした。
大腸がんの手術したところがいくつか癒着していてそれが悪さしたみたいです。

幸い深夜の手術も無事に済み、4日にはICUから一般病棟に。
もう痛くないからと会話もできると看護師さんから聞き少し安心しました。

仕事の都合もありすぐには行けませんでしたが、今週とりあえず1泊2日で様子見にいくことにしました。
一昨年10月に義母が転んでそのまま入院した時自宅が大変なことになっていて、今回はそれも気になったこともあります。
義弟が一緒に住んでますが夜勤の仕事で疲労困憊、家のことに頓着なし。
冷蔵庫とか水回り、仏壇とか神棚の仏飯とか心配。冬でよかった。
退院して戻った時に綺麗なシーツがいいし。

義母も2月には90才。
こちらに来てもらうことも考えますが義母も嫌がってるし無理かな。
いつなにがあるかわからないし、毎回の飛行機代やレンタカー代を考えると年金生活になった我が家には辛いものが。

近くに子供がいてもひとり暮らしのかたは珍しくないけど、90才だとなー。
デイサービスみたいなものにも行きたくないという義母。

なるようにしかならないけど、義弟ばかりに負担がいく現状も考えないと。
夫も年末に9日間帰省していたので、なにか話し合ったのか。
あの家族は話し合わないからなー、ないだろうなー。

多分しないだろうけど、義弟がある日突然家を出ていっても文句言えないよなーと思う。
そうなったら、常日頃実家のことは義弟と嫁に丸投げの年金生活者になった夫に義母のお世話をやってもらおう。
わたしは時々帰るってことで。
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父の最後を自宅で看取れたのは心強いサポートがあったから

2023-11-17 | 老いた親のこと
今回、訪問看護師さんと在宅医療クリニックの先生や看護師さんがいてくださったから、父を連れて帰れたし、両方の連携もとれていて、とても心強い存在でした。
家族だけでは無理でした。

訪問看護師さんは一回の訪問が1割負担なので1,000円。
一日3回までその料金と言われました。
4回目からは高くなるけどそれ以上お願いしても対応してもらえます。
いつでも連絡くださいといわれ、連絡すると30分後くらいにはきてくださいました。ふたりいらっしゃることも。
オムツ交換、身体を拭いてくださり、着替え、足のマッサージなどすべてが丁寧でした。

先生も週1でとりあえずお願いしましたが、結局毎日、こちらも連絡したらわりとすぐにきてくださいました。
どちらも24時間体制なので、亡くなって訪問看護師さんに連絡したら深夜にもかかわらずすぐに、先生も1時間後の夜中の午前2時には来てくださり死亡診断書を書いてくださいました。

こういう経験をしてはじめて、訪問看護師さんや在宅医療クリニックの先生や看護師さんのきめ細かいしかしハードな仕事ぶりをみて、改めて頭が下がる思いでした。感謝しかありません。

父との別れは淋しいけど、いろんなことを最後に教えて逝ったなと父にも感謝です。
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父の最後を自宅で看取る

2023-11-17 | 老いた親のこと
10月30日、姉から連絡がありました。
特養に入所していた父が、2週間全く食べ物も水分も拒否、水分補給の点滴も血管が細く痛がる、もう長くないかもと。
入れ歯が一本もなく食欲だけは旺盛で食べるのが一番の楽しみだったので「父は死ぬ準備を始めた」のだと聞いてすぐに思いました。

11月2日、施設の医師の診察に母、姉、弟が同席しまた結果を伝えるけど、あなたも帰ってこれるなら来たほうがいいと言われ、3日に帰省。尾道の弟も来ました。

車椅子で連れてこられた父は、顔はそんなに痩せたようにはみえないけど、10キロ体重が減っていたそうで、肩を触ったら骨がゴツゴツしていてやっぱり痩せたことを実感したと姉。
食べ物を口に入れようとしても、歯を食い縛り開けないらしく、このままだと長くはないと言われたそうで、姉が父に「お父さん、家に帰りたいね」と聞くと「うん」としっかり答えたそうです。
担当の医師は、連れて帰るにも自宅での受け入れ体制が整うまでに時間がかかるから難しいのではと言われ、それまでに命が持たないかもと。

姉は長くケアマネをしていて、知識がありました。
帰りたいという父の言葉にすぐに動きました。

自分のネットワークを駆使して、目星をつけた24時間体制の在宅医療クリニックと訪問看護の事業所に連絡。幸いどちらもすぐに対応できるとのこと。
次に介護ベッドと車椅子のレンタル手続き。
こちらも翌日には入るとのこと。

ただ父がいつまで生きるかはわかりません。
自宅にもどったとたん食欲が戻り元気になるかもしれません。
そうなった時に、自宅で何ヵ月も介護ができるのか。我が家は無理でした。
そこで4人兄弟で交代でみることにして、その限度が11月いっぱい。
それ以上になったら、入所している施設に戻すことを決めました。

父は特養に入っているので、退所したのにまた戻りたいとなったら、入所する手続きをいちからやり直すことになります。
在宅介護と施設介護では担当のケアマネさんも代わるみたいです。
そうなると困るので、自宅で介護する間は、介護保険は使わず(つまり特養は退所せず)医療保険と実費で乗り切ると姉が決めました。
特養を退所せずに自宅介護をすることにしたわけです。
戻る前に亡くなる可能性もあるので、その時は看取り対応を施設にお願いしてきたそうです。

そうして父は4日午前11時に自宅に戻りました。
同じ時間に訪問看護士さん、在宅医療の先生と看護師さんの4人がいらして、車椅子の父の状態をチェックしてくださいました。

ここで初めて、姉はホッとしたそうです。
手配してもその前に亡くなる可能性もあるし、医師が自宅に到着する前に亡くなることもある。
自宅で亡くなると警察を呼ばなくてはいけないことも。
自宅で医師に診察してもらったら、現状がわかっているので、その後亡くなったとしても警察の介入はないようです。

帰宅した父は、やはり食べ物も水分も拒み、自分がどこにいるかわかっていないようでした。
要介護4で認知症も進んでおり、会話もあまりできないのですが、食べたいとかいらんとかは言えます。耳もちゃんと聞こえてます。
食べないのもですが、水分もまったく取らないので心配でしたが、医師からは無理してあげる必要はない、逆に誤嚥してしまうのでそちらがよくないと言われました。

一日目、弟のお嫁さんが作ってくれた冬瓜のスープをすこし飲んでくれました。
そのあとも甘酒をすこしだけあげたらもっと飲みたいといい、80cc飲んでくれ、もしかしたらこのまま食べたり飲んだりできるようになるかもと期待もしました。
この時はまだ介護のシフトを、わたしが1週間、2週目は尾道の弟、3週目は弟、お嫁さん、姉が交代でやろう、その後はお父さんには申し訳ないけど特養にお願いしようねなんて話してました。

二日目からは甘酒やアイスクリームをすこしだけ口に含ませようとしても「要らん」とはっきりいい、それからは荒い呼吸で乾いた唇を濡らすだけ。
ただしきりに両側にいる母やわたしの手を握ろうと手を伸ばし力強く握り返すので、まだこんなにちからがあるのかと思う反面、足や腰の痛みがあり寝返りもしょっちゅうしていて、辛くて身のどころがないのだと思い、ロキソニン湿布を貼ったら、1時間後くらいにだいぶ楽になったようでした。
先生も座薬を持ってきてくれました。
その日は月命日でお坊さんがお参りにきてくださったのですが、父の寝室の隣が仏壇のある座敷で、母が言うにはお経が聞こえてきてしばらくしたら、父の呼吸が穏やかになったと言ってました。 
普段から信仰心篤い父でしたので、よかったなーと思いました。

一日目、二日目は、意識もわりとしっかりしており、もしかしてよくなるかもと思ったりしましたが、三日目のお昼過ぎ、母とふたりでみていて、明らかに呼吸がかわり、仕事先の姉に連絡。
すぐに訪問看護師さんに連絡するようにいわれ、電話したらすぐに来てくださいました。
医師にも連絡してもらっており、先生と看護師さんも到着。
家族も職場から駆けつけました。
ただまた呼吸が安定してきたので、皆を呼ぶほどではなかったかなーと思ったり。

後で聞いたのですが、この時先生が帰り際玄関先で姉と弟に今夜か明日かと思うと言われていたそうです。
もう血圧も下は計測できず、上は60くらいで、機械もないので、どんな感じかよくわからず、呼吸も荒くなったり、静かになったり、止まったり。
それを繰り返しながら、四日目の午前1時過ぎに、家族に見守られながら逝きました。

ひとりで死んでいくのは不安だっただろうから、最後まで両手を家族がしっかり握ってあげられたことがよかった。
三日目に、偶然父が帰宅しているのを知った友人のかたが朝駆けつけてくださり、父の部屋に入るなりその方が父の名前を呼ぶと、父がいきなり目を開き右手を大きくあげ身体を起こしながら「うぉー」と声をあげました。
友人のかたも「あーわかってくれた、がんばらやんばい」と励ましてくれ、この時も家に連れてきてよかったと思いました。

わたしは横浜にいて、介護は地元にいる姉や弟夫婦に丸投げ。
申し訳なく思うばかりでした。
でも最後の三日間、ずっと父のそばにいて手を握ってあげることができ、そういうことができるようにしてくれた姉に感謝しかありません。

すべてが運が良かったのだと思います。

父自身は、帰ってきてどうだったのかはわかりません。
ただ家族にとっては「お父さん、家に帰ってきてくれてこうして見送らせてくれてありがとう」しかなかったですね。



父が亡くなった早朝、お寺さんが枕経をあげにきてくださいました。
その時「お父さんはたしか御本山(京都東本願寺)ですでに法名をいただいておられるはずですよ」とおっしゃいました。40年ほど前、父が50才くらいの時だそう。

仏壇を探したら出てきました。

『唯心』でした。

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父逝く

2023-11-15 | 老いた親のこと
11月7日に日付が変わった午前1時すぎ、父が逝きました。

食べ物も水分も一切取らなくなって2週間。
長くないかもしれないと医師に言われ、施設から自宅に連れて帰って4日目、家族に見守られながらの最後でした。

老衰、88才でした。


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義父が亡くなりました

2023-03-31 | 老いた親のこと
3月23日サクラ満開のなか、義父が亡くなりました。
93才でした。
入院先(昨年11月~)の午前の見回りでベッドの上で亡くなっていたことが確認されたそうで、家族はだれも看取ることができませんでした。
眠るように亡くなっていたそうで、表情が穏やかだったのが救いでした。



(火葬場の桜)



通夜、告別式、もうほんといろいろあったのよ。
それはまた近いうちに。
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高齢親の金銭問題

2022-12-02 | 老いた親のこと
義母が玄関先で転んで顎を骨折したのが10月の終わり。
1ヶ月ほど入院。
週1で1泊2日のショートステイの義父はそのまましばらく施設で預かってもらうことに。
3週間後、徘徊がでてきたのでもう預かれないと言われ、しばらく精神科のある病院に緊急避難的に入院。

12月1日に退院が決まり、24日から帰省していたわたしは29日に横浜に戻る予定だったけど、飛行機をキャンセルして迎えにいくことにした。

病気ではなく怪我だったので、義母はしっかりとした足取りだった。
顔の怪我も心配していたが綺麗。入れ歯が入れられない以外は88才とは思えないくらいシャンとしていた。
一時とても痩せて心配したけど、夫が言うように入院が骨休めになったみたい。

とりあえずわたしが入院費用を支払う。
137,000円。

明細を義弟に渡していたら、義母が誰が支払ったのか聞いてきたので、わたしですと答えると、後で渡すねといわれて、それっきり。

夫に「立て替えたけど請求する?」とメールしたら、しなくていいとの返事。

義母の見舞いにいった時、ガーディガンがないから買ってきてほしいと言われ、義父の見舞いをするのに予約したら担当の職員さんから、寒くなったの厚手の服上下3セット、電動髭剃り、シャンプー、ボディーソープは持参、夜中に便をさわるので専用の寝間着2枚(@7,000)購入してほしいといわれ用意する。
30,000円の支払い、これも負担。

義母は携帯を持っておらず、入院中にまったく連絡がとれず、一度だけナースセンターに電話して呼んでもらい話した。
今後困るかもと、ガラホかスマホか持たせようと思い、docomoへ。
ガラホは50,000円から、テレビ電話はできないとのことだったので、一番安い22,000円のスマホを購入。

義弟、義母の妹、義母の弟嫁の3人をトップ画面に並べ、そこを押せばすぐかけれるからと面会で説明し、ノートに使い方を大きく書いて渡したが。

無理だった。
そうよね。

1週間くらいで解約。
悲しいことに退院の日は12月1日。
解約したのが12月2日。
使ったのは数日なのに、2ヶ月分の基本料金。
スマホに関してはわたしの勇み足。反省。

退院2日目も夫実家へ。
義母は入院中バッグの中に入れていた通帳3冊が失くなったと言って、看護師さんからも探してもらったがでてこず。
それを義母から聞いた義弟は金融機関に連絡して口座を止めた。
思い込みだと思うがよくわからず。
お見舞いの時にこっそり看護師さんに聞いてみたら、そんなことはなかったと。

退院して自宅に戻った義母。自分の部屋から2冊の通帳発見。
でもあと1冊がない。

翌日、なかった1冊が義母のバッグからでてくる。
でも昨日みつかった2冊がまたないらしい。

すべて義弟の仕業だという義母。

義母にそろそろ義弟にお金の管理をお願いしてはどうかというと、信用ならないから絶対に自分が持っておくと。
そこから堰を切ったように話す母。

●郵便局がお金をごまかしている。埒があかないから、全部おろしてきた。
局長はボケていて話しにならない。最近新しい局長が来たからまた話しに行ってみる。

わたしが郵便局にいく。
たまたま駐車場に車を停めていたら、局長っぽいひとが外にいたので、話してみたらよくご存知だった。盗んだりごまかしたりしたら私たちは警察に捕まりますと言って説明したがご理解いただけないようだった。こちらも今後は丁寧にご説明するようにしている。局長は10年以上変わっていない。

●銀行に定期預金を預けたが、ちゃんと印字されてない。おかしい。

わたしが一緒に通帳を見ながら説明したが、納得できないと言い張る。

●JAの夫の保険が満期になったと電話がかかってきたので、翌日に窓口にいったらすでに入金されてますと言われた。でもそのお金がない。誰が勝手に受け取りに行ったに違いない。

わたしがJAに確認に。
記録を見ても出てこないので、随分古い話だと思われる。時間をいただければ調べられるとのこと。
満期の分は通帳に振り込むので見てもらったらわかる。当然誰かれ満期の金額を渡すはずもない。

以前から空き巣が自分の着物や宝石を持って行ってるという話は聞いていたが、通帳の内容もよく理解できなくなっている。

義弟にこっそり聞いたら、自分を疑っているのは知ってるし、腹も立ってはじめのうちは喧嘩していたけど、今はもう言わせている。
しばらくすると落ち着くが、また思い出したように言い出す。その繰り返しだと。

義母は今回初めてわたしに通帳を見せてくれた。
義父母の生活を心配しなくてはいけない額ではなく、その点は安心した。
義父にも夫にも義弟にもみせていない、暗証番号もわたしにだけと言いながら教えてくれた(暗証番号は前にもすでに聞いていたんだけどね)
三人には教えるとあてにするから(教えない)と。

っていうかお義母さん、お金あるんだから入院費とか払ってほしいんだけど(汗)
こんな風に嫁が思うのを用心しているのか義母。
夫はお金に執着しないから出してあげるもんなー。
夫の稼いだお金だからわたしはなにも言えないんだけどさ。あー葛藤。モヤモヤするわ。

義弟に金融機関の代理人カードを今のうちに作ってはどうかと言ったら、
今自分が義母のお金のことに関わるとあれだけお金とモノに執着し疑り深くなっているから火に油を注ぐことになると思う。
とりあえず現状維持で。
これがもっとひどくなったら兄貴(夫)にも相談してどうにかしようと思うと。

わたしは郵便局を泥棒扱いする時点ですでにかなりヤバい状態だと思うのだけど、
普段見ている義弟が現状維持でというので、それ以上何も言えない。

義弟には本当に感謝しかない。
夫はたまにしか帰れないし、帰ってもなにかするでもない。
数年前にわたしが、そろそろ実家のお金のことも把握していたほうがいいんじゃないかと言っても、
親のお金だからこっちが聞くことはできないと言っていた。
夫家族は、皆で話し合うということがない気がする。
なにかあれば義弟はわたしに連絡してくる。
兄弟仲が悪いというより、大事な話をあまりしないんだと思う。

横浜に戻り、夫に今回の顛末を話すと、

夫「俺も暗証番号、お袋から聞いたぞ」

だってさ。

なんなの、夫と義母。

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高齢親のゴミ問題

2022-11-29 | 老いた親のこと
元々帰省の目的は実家の断捨離でした。

父の部屋、縁側の物置、母の部屋、洋間と順調に進み、今回の帰省からはいよいよ自宅の隣にある物置小屋です。

農家なので、小屋と言ってもわたしの横浜の自宅の3倍はあります。
1階は5つに区切られていて、車が2台、自転車、農機具、あとは収穫した米を入れておく人が出入りできる冷蔵庫や精米機、農作業道具、漬け物樽、あと作業着を洗う洗濯場やらがあります。

問題は2階。
そこに自宅に置けなくなった洋服タンスや和ダンス、引き出し(なかにはまだ衣類が入っている)が12棹?、布団類、ざぶとん、引き出物、本、スポーツマシン、机、テーブル、ドア、わたしの結納のお飾りなど目眩がするくらいありとあらゆるものが置かれているのです。

ごみ屋敷そのもの。ほこりだらけです。





自宅の不要なものを、小屋の2階に移動させただけ。
しかし、よくタンスを2階にあげる体力があったなー、父親と母親。
っていうか上げるより捨てろって話です。





引き出しの服もそのまま。
これは嫁ぐ前に片付けない娘たちが悪いので、今ツケを払ってます。


つくづく思いました。
家はコンパクトでよい、収納スペースも最小限でよいと。

実家は、弟が親亡き後はみてくれることになっていて、この大量のゴミを甥っ子に引き継ぐわけには行かない、両親と姉とわたしの分は全部処分すると姉が決めました。

姉はひとりではあまりにすごすぎて萎えるから必ずふたりでしよう、わたしたちが元気な今のうちに片付けようと言います。
姉とわたしと下の弟の3人で10年前から毎月1万の姉弟貯金をしていて、そこから飛行機代は出していいから市の月に2回日曜日に直接搬入できる日にあわせて帰ってくるように指令が来ました。
姉は平日は仕事をしているので、日曜しか運べないからです。

それが今回で3回目。いよいよ小屋の2階に着手。

土曜日にひとりですこしやって、日曜は姉と朝から。ふたりだと俄然はかどります。

軽トラで3回運びました。




1回目 1950円(10キロで150円)130キロ
2回目 2400円 160キロ
3回目 市の指定ゴミ袋(1枚30円)19袋と段ボール(これはリサイクルで無料)

2階にあるのは全部捨てていいゴミだと思うことにして、迷うことなく捨てまくりました。
一番心が痛んだのが引き出物。
15年前くらいはどんどんバザーとかに出していたらしく、タオルとか高めの食器なんかはほとんど処分されていました。
それでも100箱以上残っていて、一度も使うことなく大きなコンテナに、磁器、陶器、ガラス、金属と分けて入れます。ステンレスの鍋や昔流行ったホーロー鍋なども、今台所に置いてるものと替えようかとも思いましたが、ほとんど母は料理しないので、処分。
グラスもマグカップも重箱もお皿も。
電化製品も使ってないのに処分。
着物も草履もバッグも小物も、まだ値札がついてる服やコート、礼服、スーツ、全部。
バチが当たりそうなくらい、捨てまくりました。

幸いなのか、実家の自治体では、燃えるゴミにプラスチックもいれていいので、選別が楽。
ちなみに引き出物の箱を潰すのも地味に疲れます。段ボールも。

戦後のもののない時代も知っている母だから、文句いうかもと思ったけど、あきらめているようです。
自分はもう片付られないから娘に頼むしかないと。

お金があるなら、小屋を壊す時に業者に頼めば、解体料金と別に100万くらい払えばやってくれるそう。
我が家は無理!
地道に運んで5万くらいで2階の家具も含め全部終わらせたいです。

うちの軽トラはマニュアルなんです。古っ!
でも思いの外、わたし運転できました。
横浜ではマニュアルどころか車の運転さえしないのに、やはり手が覚えているみたい。

あーわたしは田舎で軽トラ運転しているほうがしっくりくるわー。

バッグにいれっぱなしの1000円札8枚ゲット!
それで姉と母と3人ランチへ。

まだまだ終わりません。
次は本と布団類。そして大物の家具。

暑くなる前に、あと2回は帰らないと終わりません。

まだ体力と気力がギリギリある今のうちにやるしかない!
頑張ります。

夫実家。
なんにもできません。
後が怖いわ。
夫と義弟でやってもらおっと。
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高齢母の尿臭問題

2022-11-29 | 老いた親のこと
ただいま実家に帰省中です。

実家の断捨離と骨折で入院中の義母の見舞いが目的です。

母の尿漏れがひどくなり、パッドだけから紙オムツをしてパッド(170㏄)をしているみたいですが、そこから漏れているようで、母のズボンとかいつも座ってるソファの座布団からすごい臭いが。
トイレは自分で行けるのですが、毎日朝のテレビをつけたらほとんどソファから動きません。

父がショートステイになり月に6日だけ家にいて、弟家族とも別に、ひとりで暮らすようになった母。
週3お昼はお弁当を配達してもらい、料理も朝の味噌汁だけ。
後は姉や弟のお嫁さんが届けてくれるのでそれを食べてます。
洗濯と廊下と玄関といつも自分がいる洋間をダスキンかけると、後はほぼテレビ。
そんな生活を4年くらい続けていたらブクブク太り、尿漏れがひどくなったのはそれもあるんだと思います。

ほとんど昼間座る姿を見たことがないくらい動いて、間食もしなかった母が別人になりました。

トイレには行ってるというのですが、行ってないから漏れてるのだと思います。
腰は曲がってますが、自分で歩いてトイレに行けるのに、面倒くさいんだと思います。
あるいは尿意がわからないのか。嗅覚も衰えて臭い自覚がないようです。

姉が毎週座布団交換して洗ってくれてます。買い換えも度々しています。
革のソファなので、直接座ると大変なのでクッション座布団を置いているのですが、それに染み付いた臭いは完全にとるのは難しく。
わたしも、水洗いを何度かした後しばらくワイドハイターにつけて、それから洗濯し天日干ししましたが、臭いは手強いです。

普段でも、母が通るとぷーんと尿臭が。
週に2回デイサービス?に朝から夕方まで、たまに病院くらいが母の主なお出かけですが、まわりに迷惑かけていることが申し訳なくて。

姉や弟も当然何度も注意してきたのですが、我関せずの母なので、もう言い疲れたそうです。母を落ち込ませるだけだし、あんまり言うと可哀想になるとも。
高齢者の集まるところはそういうひとも少なくないからと、あんまり神経質にならなくてもいいよと言われてしまいました。
なんにもやってない人間がたまにきていろいろ言ってもね。
姉や弟はそれが日常だから、相当うんざりしているだろうけど時々注意するようにして、できる範囲で消臭対策しているのだと思います。
わたしもたまに帰省して、母にかける言葉が「クサいよ」ばかりではあんまりですよね。

姉や弟家族は近くにいて、弟は出張がある日以外は毎晩泊まりにきてくれているし、姉は月に6日ほど自宅で過ごす父や家にいる母に関することの様々な手続き、病院の送り迎え、掃除や買い物など全部やってくれています。
ふたりには感謝しかありません。

姉に「(母が)あんなに臭いとまわりに迷惑だし、あんなに臭いのに家族はなんにも言わないんだろうかって言われてるんじゃない」と言ったら「あなたの言い分はじゅーぶんわかるよ。それを何年も言ってきて今の状態なのよ。なんでも完璧にはできんとよ。できるだけたい」と返されました。

なんとかならないものか、尿臭問題。

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親の介護とお金が不安です ~上大岡トメ~

2022-04-19 | 老いた親のこと

 

とりあえずなにか読んでみようと書店に行き、みつけたのがこれ。

「親の介護とお金が不安です 著・上大岡トメ」

実家が遠距離のひとに参考になる情報や体験談が満載。

介護には「お金」「情報」「ネットワーク」が重要なのだそう。

特に「お金」

「親の介護にかかる費用は親のお金でまかなうのが大原則」と書いてあった。 なぜなら高齢者の多くは自分の老後資金の準備ができているからなんだって。

ただできていないひともいるわけで。親の蓄えがないひとはなおさら現状把握が必要なのだと書いてあった。

教育費などと違って、介護は終わりが予想できない。 そしていったん援助してしまうと途中でもう出せないとはいいにくい。 だからまず親の資産を把握しておくことが大事だとわたしも思う。

夫は親の懐を探るようなことはしたくないと言っていた。 義弟も同じだと思う。

ただ義母は、多分お金のことも不安になっていると今回の帰省で感じた。 そもそも我が家も数年後は年金生活なのだから、無尽蔵に援助できるわけはなく、そこはしっかり資産を確認して、今後どうしていくのか話し合ってほしい。 

結局は義弟と夫が決めること。 ただあの家族はそれぞれが話さないひとたちだし、義母は息子たちの機嫌を損ねないよう余計なことはいわないから、義母が我慢してひとりで背負っているのが現状ではないかな。 義母は自分の大変さを夫にはもちろん義弟にも言ってないみたい。 以前から、義父にはなんでも言うのに、息子たちには言わなかったもんな。

それぞれの家庭で考え方ややり方が違うのは理解できるけど、義母が少しでも楽になるよう話し合ってほしいなと思う。

 

夫にも読んでみてと勧めたが

 

 

 

読んだんだか・・・・・。

 

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離れて住む高齢の親のこと

2022-04-17 | 老いた親のこと

コロナ禍で2年帰省できてなかった。まん防も明けたし、今しか長い休みはないからと、娘が3月下旬、福岡の夫とわたしの実家へ。

1週間後横浜に戻った娘が「おばあちゃん(義母)がすごく痩せていて心配」という。37キロだったそう。

おじいちゃんも認知症(要介護2)で心配だけど、おばあちゃんの方が疲れていて全然眠れないと言っていた、病気になるんじゃないかと。

時々電話をしたり、近くに服の店がないので義父母の衣類をネットで購入して送ったりしているけど、コロナ禍で行き来もできないので言っても仕方ないと義母は黙っていたのかなと思った。

娘の帰省中のお礼の電話をして、話を聞いて心配しているというと、義母が「この前はお父さんがお風呂で寝てしまって起こして引き上げるのに大変だった」と。義父が一度だけ夜中に出ていって警察のひとが連れてきてくれたこともその時に初めて知った。義母が寝ていて連絡がつかないため、夜勤だった義弟に連絡が入り、深夜職場から慌てて駆け付けたらしい。

大変な事になっていたのだ。

職場の更新が切れて次が決まってなかったので、今しかないと、わたしも慌ててチケットを取って帰省した。

夫実家とわたしの実家両方を行き来するのに1時間かかるし、公共交通機関がないに等しい場所、ただ両方の実家に空いている車はなくて、姉から借りて夫実家に。

義父はデイサービスで不在、一緒に住んでいる義弟が夜勤から戻っていたので、義母と3人で昼ご飯を食べながら、話した。

お風呂の事は義弟は知らなかった。

義父のショートステイをお願いしたらどうかというと、ふたりともあまり積極的ではないように感じた。

義母は、義父が泊りになると義弟も夜勤があるし、ひとりになるので淋しいのだそう。

義弟曰くふたりとももう年だし(義父92、義母88)お風呂の事も、義父は絶対に入りたいという人だし、またそういうことになってもそれはそれで仕方ないのではないかと。もし義母が倒れたら、自分は仕事があるから義父には施設に入ってもらうしかないとも。

普段義母が電話してきても夫が替わることはほとんどなく、夫が直接ふたりに電話することもないそう。娘や義母から聞いた話を夫に伝えた時も「離れているのになにができるんだよ」とイラっとして言うので、それにこっちもイライラ。ふたりは「(夫の性格)わかっているから、(夫には)いろいろ言わなくていいから」としか言わない。そして兄貴には何かあった時は連絡するからと話しているからそれでいいと。

何かあった時が、どの時なのか。義弟の性格からして絶対に助けてほしいなんて言わないと思うから、亡くなったという時かも。

以前にも義弟から「親がいる間は俺が見るから心配しなくていい、ただ亡くなった後は長男としてお墓とかそういうのは全部やってほしい、俺は出ていくからと兄貴には言ってる」とわたしにも話してくれた。

そして今回も義弟はわたしに「こっちにはもう帰ってきたくないでしょ、なんもないし不便だからね」「俺も出ていきたいと思うもん」と。

 

年老いた義両親のことは義弟にまかせっきり。職場の慢性的な人員不足で勤務年数が一番長い義弟は夜勤続き、60過ぎた身体も心配。

義弟が(例えば義父がお風呂で亡くなっても)それはそれで仕方ないというのもわかる。

59才のわたしくらいの年齢で、友人や知り合いで二親揃っているひとはほぼいない。両方の親4人健在なのはわたし以外皆無。60過ぎの義弟が、親はもう長生きした、自分も自由になりたいという気持ちがもしあるならそれは理解できる。

反面、義母のことも、同じ女としてどうにかできないものかと思ってしまう。

長男は離れていて頼りにならない、一緒にいる次男を頼りにして「怒らせて出ていかれても困るからなんにも言えない」ケアマネさんとの月1の面談も義弟が電話でやり取りしていて、内容は聞いても教えてくれないという義母をみていると、このままでいいとは思えず。

義弟は夜勤が多いから、普段週4デイサービスに行くだけの義父の面倒をみるのは義母。夜中にトイレに行きたいと起こされ、自分で歩いていけるけど、途中で漏らすかもしれないので義母はついていくらしく、夜も昼も眠れず辛いと。

なにが一番大変か聞いたら洗濯だというので、少しでも楽になるようにお金は出すから乾燥機をつけようと話し、義弟にもお願いしたら遠慮していたけど、つけてくれることに。もっと早くしていてあげればと後悔。

お風呂問題は、今度ケアマネさんに話して介護保険を使って手すりを購入してもらうことに。それまではわたしの実家のお風呂につけていた手すりを、父はもう施設でしかお風呂に入らなくなったので借りて取り付けた。

ショートステイについては義弟も考えてみると言ってくれたので、横浜に戻って、義父が通っている施設にショートステイの空きがあるかと料金なども聞いてみた。

それを夫に伝えたら、GWに帰省するつもりでいたという。よかった。

本当は義弟に担当のケアマネの方の連絡先を教えてもらって、夜勤で忙しい義弟の負担を減らせる程度にこっちでもできることをやれればと思うけど、今までがなにもやってなかったくせにいきなりしゃしゃり出るのもトラブルの元だし、まずは夫が帰省して話し合ってくれればと思う。

帰省中にショッピングモールで一緒に服を選んでいる時になにげなく義母が言った「私もう90だから」という言葉にショックを受けた。毎年誕生日のお祝いを送ってはいたけど、ただ義務的に送るだけだったのだ。90近くでひとりで家事をして90過ぎの夫を介護している義母の苦労を今になってやっと思いやる自分が恥ずかしかった。

コロナ禍で帰省できないことに甘え、自分ばかりを大切にして、夫実家の事を思いやることもしてなかった。

だからと言ってずっとわたしが夫実家に行くことはできない。薄情だけど、結局それぞれが、その時にできることしかできないのだと思う。

わたしの両親のこともあるし、まずは帰省の回数を増やすことだな。

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成年後見人、姉に決まる

2020-06-27 | 老いた親のこと
6月に入り、姉から「お父さんの成年後見人に決まったよ」と連絡がありました。
新型コロナの影響で家庭裁判所の面接が遅れたようでしたが、
姉の場合、書類の準備(これが一番大変だったらしい)から決定まで、3ヶ月くらいでした。

手続きの費用は、
収入印紙と郵便切手などで1~2万円程度。
もし本人の判断能力の鑑定が必要な場合は医師に支払う費用(医師の言い値)が上限10万円。

うちの父の場合、なぜ姉が後見人になれたと思うか姉に聞いたところ、
親族全員の同意書が揃っていたこと、
本人の財産が一定額以下だったこと。
そのふたつだと思うと言ってました。

成年後見人になるには特別な資格は要りません。
民法に定める欠格事由(未成年者、後見人などを解雇された人、破産者、
本人に対して訴訟を起こしたことがあるひとなど)にあたらなければ大丈夫。

ただし、家庭裁判所は本人と候補者の生活状況や利害関係、
本人の意向を踏まえて総合的に判断します。
また本人に一定額以上の財産がある場合には、財政管理を適切にするために、
弁護士などの専門職が選ばれることもあります。
そのため申立書に書いた候補者が必ず選ばれるとは限りません。
弁護士等が選ばれたら毎月の後見業務に対する報酬(弁護士の言い値)が、
数万から10万円くらいになることもあるそうです。
誰を後見人に選任するかの家庭裁判所の判断には不服申し立てはできません。

【福岡家庭裁判所「成年後見申立てのてびき」参考】



父の場合、なぜに後見人を申し立てたのか、そのわけは・・・。

父は農業をやっていたので国民年金をもらっており、
毎月25日間泊りで利用するデイサービスなどの支払いは、貯金を取り崩しています。
200万ほどの父名義の株があり、長年パッとしないので放置していたようですが、
母と弟と姉と話し合って、これを機に売って現金に替えておこうということになったようです。

姉が証券会社に売りたいと連絡をしたところ、
お宅のお父さんはすでに認知症なので、成年後見人をたてないと(生前は)売買はできないと言われたそう。
家族のだれも父が認知症だと証券会社に言ってないのに、
なぜ知ってるのだろうと不思議に思い、誰からそんなことを聞いたのか尋ねると、
担当がいないのでわからないの一点張り。

多分母が言ったんだろうってことで、
実際に認知症なのでそれは仕方がないのだけど、
その後の営業の人の言葉が、姉の怒りを買いました。
「だいたい株はお金に余裕のある人がやるものですよ」
バカにしたように言われたそう(姉の話)

それ言う必要ある?
父を侮辱されたような気持ちになり、
姉と弟は、あの証券会社とは即効縁を切ろうということになり、
成年後見人申請にすすむわけです。

申請書類の準備をする中で、父名義の財産をすべて報告しないといけないらしく、
うちは農家なので農地とかも全部調べて書類を提出しないといけなかったそう。
それが結構大変だったみたいですが、その作業をやったおかげで、
父にかかる費用は、100歳くらいまでなら今ある本人の蓄えでやっていけるだろうことがわかり、
家族は安心したみたいです。

肝心の株も、結局解約せずそのままにしておくことに。

まぁ申請は必要なかったのかもしれませんが、
姉はケアマネをやっていて、自分の勉強になるからとも言ってたので、
無駄ではなかったのかなと思います。

独居老人ならまだしも家族がいて、財産もさほどないのに成年後見人を立てるって、
わたしのまわりでは聞いたことがないので、うちみたいなのは珍しいのかもしれません。
今の80歳以上で厚生年金受給者だったら、特老施設なら支払いは年金だけで賄えて、
自分の蓄えには手をつけなくていいとも聞きます。

そもそも証券会社の侮辱の言葉がなかったら、やってなかったと思うし。

今後デメリットもでてくるやもしれません。
その時はまた書き残したいと思います。
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