とりあえず覚せい剤というものは世の中では排除されるべきものである。「悪いのは罪を犯した本人であり、彼の残した楽曲に罪はないので以後の楽曲販売、使用にまで制限を加える必要はない」という考え方もある。しかし覚せい剤を使用すると、現実的にはそこまで社会的ペナルティが課せられるということは常識なのである。覚せい剤を使用した芸能人のファンは、出待ちなどをすれば「彼のなした行為も含めて応援している」ととられることになる。しばらくファンは復帰のことなどを求めてはいけない。今は本当に心配しているファンであればこそ彼を「放置」しておくのがファンとしてなすべきことだろう。それにしてもファン心理は微妙というか不可思議なものである。「ただ好きだから出待ちに行く」「心配だから行く」というのでも理由なるのかもしれないが、それが理由だとしたら幼稚である。AKBのファン世代よりももっと上である。上というか親の世代である。AKBのファンの子が出待ちをしているのとは社会的状況が違うのである。今回は「事件」であることを忘れないでもらいたい。<o:p></o:p>
そうであっても「本人が心配だから出待ちしている。それが何かわるいのか?」と言われれば悪いことはないがずいぶん暇な人たちであると思う。この手の芸能人の犯罪におけるファン心理は特殊である。まだ刑も確定していない段階から「一刻も早く現場に復帰して・・・」とか「早くまた歌を唄えるように・・・」とか先のことを言うことが多い。しかし実際は罪の確定とその償いが先である。それを通り越してその先の応援をするのは贔屓の引き倒しにも匹敵する。今はまだ彼を社会人として応援する時期ではない。心配な気持ちはわかるが警察署の前に行って出待ちをすることは応援しているということを具現化した行動形式ではない。ただの通りがかりのやじ馬の方が罪はない。心配しているというファンであればこそ警察署の前での出待ちは控えたほうが彼のためなのである。ただ、時に芸能マスコミはあのようなファンをアルバイトとして「仕込み」、やらせでインタビューする映像をとっていることもあるというので真偽については要注意ではある。<o:p></o:p>
歌手のASKA氏が覚せい剤にて逮捕され7月3日夕方一時保釈になった。それを受けて警察署の前には、いつものごとく多くの報道陣、TVカメラが待ち構えていた。まるでお約束のようにここで容疑者芸能人は一礼したり、また一言コメントを述べたりして用意された車に乗り込むというのがいつものパターンである。そして今回も同じであった。今後の裁判の心象もあるのか格好は地味目の服装であり、コメントはなかったが一礼して車の中に消えた。別に目新しいものはなかったのであるが、出迎えていたのは報道陣だけではなかった。女性ファン、しかも分別をわきまえたと思われる年代のファンであった。別に通常の「出待ち」をすることはそのファンの価値観であるのでとやかく言うつもりはない。コンサートや演劇などが終わった後で会場の通用門あたりで本人を出待ちしているような感覚なのであろうか? しかしこれは通常公演のあとの出待ちとは異なるのである。一時保釈の出待ちなのである。<o:p></o:p>
通常、法廷内で裁判長の「命令」をきかない場合は、そのものは係員によって退廷させられるのが常である(日本では)。しかし相も変わらず傍聴人が「騒ぐ」なかで裁判が行われたのである。お国柄の違いなのか自分はなんとなく違和感を覚えた。法廷内での流れは中立な立場の裁判長がコントロールすべきである。それが何回も傍聴席に向かって「騒がないように」と確信犯的傍聴者にむかってお願いしている様は、法廷の中立性が絶対的なものではないと疑ってしまうのである。あるいは韓国における司法の現場では、裁判の進行を妨げる傍聴人席からの抗議(換言すればヤジ)を容認しているのかと感じたのである。遅滞なく裁判業務を進行させるためには、裁判の審理に水を差すものはすべて排除すべきであろう。日本であれば法廷内で裁判長の命令をきかない傍聴人は退廷させられるのに、これはお国柄の違いなのかと感じた一幕であった。<o:p></o:p>
6月11日セォウル号の船長の裁判をTVのニュースで見た。開始前に裁判長が傍聴席に向かって「被告人入廷の際はくれぐれも落ち着いて抗議や罵声など発することのないように」と傍聴席にお願いしていた。しかしそれにもかかわらず傍聴席からは「絶対に抗議します」となかば確信犯的な返答が返ってきたのである。これには驚いた。犠牲者の家族の心情は十分に理解できる。しかし法廷の場で「騒ぎますよ」と事前に予告することは日本ではあまり聞いたことはない。案の定というか、被告らが入廷してきたときには罵声が浴びせられ、入廷が一時中断され、あらためて裁判長から「くれぐれも騒いだり大声を出したりしないようにしてください」と再度注意がなされたのである。しかしながらそれでも再度の被告入廷の際は法廷内は騒然となった。何となく違和感を覚えている。<o:p> </o:p>
冒頭からガツンとインパクトの強い態度を示せば自分がコントロールした流れを作れるのである。また終始、絶叫していれば「何をいっているのかわからない」ので、失言した時に言葉じりを捉えようと待ち構えている記者ですら指摘しようがない。そして最後のコメントは、今回の絶叫状態から180度逆の、極めて冷静な態度で「感情的になりましたことを、ここでおわび申し上げます」と述べている。実は最初から彼の狙いはここだったのである。肝心なところでは泣きじゃくったり絶叫したりしてごまかし、最後に「そうなったのは、あなた方記者がいけないのですよ」と暗に臭わすようなコメントを、しかもこれだけ冷静にきちんと述べたのである。この最後の「きちんとした」コメントをきけば、今までの幼児的劇場型会見が最初から計画されたものだと感じられるのである。そして彼の台本通りに事がうまく運び不透明なまま終わらせたのであるが、唯一の誤算は彼の「次期」が厳しいということである。次期、市民は投票してくれないであろう。<o:p></o:p>
N議員はあれだけ肝心な場面で取り乱し意味不明な言動をしたのにもかかわらず、最後の言葉ではかなり明瞭に落ち着いて述べている。「最初に、わたし自身、感情的にならないよう、記者の皆さまにご注意申し上げましたのに、自ら感情的になりましたこと、誠に申し訳ございませんでした」と述べた。つまり「記者の皆様に注意したにもかかわらず」なのである。ということは「私のせいじゃなくてそっちが悪い」と暗に言っているのである。これを聞いての自分の感想であるが、この県議は、かなり演技の得意な役者さんで、綿密に練り上げられた台本通りに記者会見をすすめたのだろうと思えた。まず号泣、絶叫すれば「相手が引く」ので少しばかりでも自分が優位にたてる。感情がコントロールできない振りをするということは、ある意味「心神耗弱状態」ともとられるので周囲から突っ込みようがないのだ。このような記者会見は会見と名を借りた記者からのつるし上げの場なのである。追及の手を緩めるためには相手が少し「引いて」くれたほうが好都合である。<o:p></o:p>
N議員は「質問にかこつけた暴言や、どう喝という形で、わたしが怖いなと感じた時点で、この記者会見は、打ち切りさせていただきます」と述べていた。この言を受けてこの心療内科の医師のコメントであるが、「防衛的になってらっしゃいますよね。暴言があった時点で、会見を終わらせたいということで、すでに防衛線を張っていて、非常にこの人は、不安が強い状態」と話した。そんなことは誰にでも想像がつく。そしてさらに、会見が続く中で、体が固まったように動かなくなる場面もあったが、この医師は「非常に強いストレスのために、脳の血流が低下していて、言葉がまとまりを失っているので、脳の機能が低下している印象を持ちました」、また「強いストレス状況下にあって、一時的に脳の血流や機能が低下して、体のいろいろな症状が表れているということは考えられると思います」と語った。本当だろうか? 強いストレスで脳血流量が低下するという病態が本当にあるのか疑問である。ストレスホルモンであるカテコラミンが分泌されれば血圧や脈拍が増加し脳血流量も増え、瞳孔は開き意識は覚醒する方向に行くはずである。逆だと思うのであるが・・・。<o:p></o:p>
それにしてもアンガールズの田中氏に声も身振りも似ていると感じるのは私だけではあるまい。<o:p></o:p>
昨日、政務活動費からの不透明な支出が指摘された兵庫県のN県議が、号泣、絶叫会見を行った。まるで幼児が親のいうことを聞かずどこかの店先でダダをこねているような印象であった。だれがみても記者会見でとるような態度ではないと思われるし、またこのような状態を見せつけられるとこの県議の精神構造までも疑ってしまう。さてそれについて、某心療内科の医師がどのような心理状況なのかを検証したコメントをみたのでそれについての感想をかく。「非常に強いストレス下にあって、感情のコントロールができなくなっている状態です」と語っている。まるで隣国の市民がTVカメラの前で絶叫しながら自身の感情を爆発させている様を思い出した。この状態をみればそんなコメントは別に専門家でなくとも誰でもそう感ずる。特に専門医があらためてコメントするまでもない。また「最初から強い緊張状態にあったことがうかがえる」といっているが、それも通常誰でもそう感じる印象であろう。専門医であれば、誰がきいても「あっ、そうか、そういう精神構造だったんだ」と感心するような気の利いたコメントを期待しているのに。<o:p></o:p>
何だか毎年この時期になると同じ事を書きますが、早いものでもう今年も半年過ぎてしまいました。小学生のころは1年が過ぎるのがずいぶんとゆっくりだったような気がします。高度成長期などと呼ばれていた割には実際の生活はゆったりしたものであったかもしれません。今では、特に通信インフラについてですが新たなる通信メディアがどんどん出現してきており、デスクトップPCで十分事足りている自分にとっては携帯電話もさほど活用していない状況ですが、いまではそれもスマホにとってかわられて「ガラ系」とまでいわれているような状況です。まあいずれはガラ系も消滅するのでしょう。クリニックの電子カルテもOSが古くなり、会社の方から新しいOSにバージョンアップしないかと誘いがありました。しかしこれをかえるとまたお金がかかりますし、しかも画面になれるまでには時間もかかりトラブルもありうるので、いまの業務の中ではあえて変えたくもありません。こんなのも電子カルテ会社の販売戦略の一つなんでしょうね。新しいことが目の前で次々と展開していくのは疲れるばかりです。
過去彼女がTVバラエティ番組で話した内容をネットの動画で間違いなく本人の言と確認した。なんと交際相手に妊娠したと偽り手切れ金1500万円を得たという話は本当である。これはある意味、詐欺になるのではないだろうか? また詐欺にならないとしても、少子高齢化、女性の労働環境の充実に関して質問している最中の「結婚しろよ」というヤジに対してここまで事を荒立てるとなると、今後過去の「1500万円手切れ金言動」も掘り返されて、まさに自分が追及したと同じ「品位の問題」として切り返されるかもしれない。昔、鈴木宗男議員の宗男ハウスの建設資金をめぐって、大阪の女性議員が「大相撲の舞の海は技のデパートだが、あんたは疑惑のデパートだあ」といって、鈴木宗男議員に「いくらなんでもその言い方はないでしょう」と嘆かれたことがあった。以後その女性議員は自身の選挙事務所の不透明経理について、その後追及されて失脚している(現在はまた復帰しているが)。まあ今回の女性蔑視的発言は現代の倫理コードでは否定されるべきものではあるが、自身の身の回りも固めておかないととんだ事になるかもしれない。何事もほどほどがいいのかもしれない。<o:p></o:p>