医療の現在ほど発達していなかった過去
たとえば重い内臓疾患で亡くなった場合でも
いまのように肝炎とか心臓病とか区別できたわけではなく
「病気」という大きなくくりの中で
人は亡くなっていったと思う
そこから病気の克服への挑戦がはじまったと思うが
最初はバセドー氏病や梅毒や皮膚の病気のように
見えやすいものから名前がついていったと考える
そして
その原因が見えないもの恐ろしいものだった場合
それは恐怖心とともに語られていったのだろう
聖書ではよく皮膚病の表現がでてくる
わかりやすい「恐れ」の表現でもある
またそれに対する対応策も記載がある
皮膚病にかかった時ににはその衣服を燃やす等々
文書は、それを他国の言語、文化にあわせようとしたとき
翻訳という手段が用いられ
その当時でふさわしいと誰かが判断した言語に翻訳される
---
らい病:罪の象徴じゃない、聖書の表記改めて 療養所の牧師が呼びかけ
約10年にわたり、聖書の表記変更を求め活動してきた大嶋さん=岡山県瀬戸内市の長島曙教会で
◇「無理に訳さず原語使用を」
岡山県瀬戸内市邑久町の国立療養所「長島愛生園」にある長島曙(あけぼの)教会の牧師、大嶋得雄さん(65)が、聖書中の「らい病」「重い皮膚病」などの表記を改める活動をしている。普及率の高い聖書で表記をやめたケースもある。今年は、らい予防法廃止から10年。大嶋さんは「らい予防法以外にも差別を醸成してきたものはある」と話している。【佐藤慶】
旧約聖書のレビ記には「ツァラアトの者は(中略)『汚(けが)れたもの、汚(けが)れたもの』と叫ばなければならない」「衣服にツァラアトが生じた時は(中略)その物を火で焼かなければならない」などとある。「ツァラアト」はヘブライ語で、日本語訳では「らい病」、英語などでもハンセン病と訳されてきた。
大嶋さんは83年6月、同教会牧師となって間もなく、教会員を連れて別の教会に行き、伝道師が「らい病」を罪の象徴のように語るのを聞いた。教会員から「私らが特別に重い罪を犯したわけやない」と訴えられ、最初は同様の説教を録音したテープの販売中止を、97年ごろからは聖書の出版元に働きかけを始めた。
大嶋さんは00年から2年間、米国の神学校に留学。「ツァラアト」がハンセン病を限定的に意味するのではなく、人間の皮膚や衣服、家の壁などの表面が損なわれた状態だったことを確認した。世界の神学者の間でも否定的見解が表明されており、医学的にも「患部の毛が『白く変わる』など、ハンセン病と一致しない」という指摘があるという。
予防法廃止と大嶋さんらの活動で、出版元も見直しに着手。国内で普及する4種の聖書のうち一つは「らい病」の表記を「ツァラアト」に、二つが「重い皮膚病」に改訂した。大嶋さんは「『重い皮膚病』でもハンセン病を連想する。皮膚病患者も新たな被害者になる」と懸念。「無理に訳さず、原語の使用を」と訴えている。
教会員の男性(79)は「聖書の中の『らい』という言葉を読むたび、複雑な心境だった。大嶋先生たちの活動によって記述がなくなり、心につかえたものが取り除かれた思いがする」と話している。
毎日新聞 2006年5月2日 大阪夕刊
---
果たして当時
全く知識のない状態で
聖書を受け取った人々にツァラアトで意味が通じただろうか
どんな状態を意味するか判ったのだろうか
そして
宣教師が意図したその教えはどう伝わったのか
訳としてはそんなにかけ離れていると言うわけでもない
むしろ、むかしも今もある病気であり
正しい知識と対策により被害を最小限にできるものではないのか?
らい病やハンセン氏病の名前を使わないことによって差別がなくなる?
言葉や表現を変えただけで差別がなくなる?
そんなのは思いあがりだ
そうやって一番心が休まって満足感を感じるのはその運動の推進者の浅はかな善意じゃないの
言葉なんてダシにすぎない
たとえば重い内臓疾患で亡くなった場合でも
いまのように肝炎とか心臓病とか区別できたわけではなく
「病気」という大きなくくりの中で
人は亡くなっていったと思う
そこから病気の克服への挑戦がはじまったと思うが
最初はバセドー氏病や梅毒や皮膚の病気のように
見えやすいものから名前がついていったと考える
そして
その原因が見えないもの恐ろしいものだった場合
それは恐怖心とともに語られていったのだろう
聖書ではよく皮膚病の表現がでてくる
わかりやすい「恐れ」の表現でもある
またそれに対する対応策も記載がある
皮膚病にかかった時ににはその衣服を燃やす等々
文書は、それを他国の言語、文化にあわせようとしたとき
翻訳という手段が用いられ
その当時でふさわしいと誰かが判断した言語に翻訳される
---
らい病:罪の象徴じゃない、聖書の表記改めて 療養所の牧師が呼びかけ
約10年にわたり、聖書の表記変更を求め活動してきた大嶋さん=岡山県瀬戸内市の長島曙教会で
◇「無理に訳さず原語使用を」
岡山県瀬戸内市邑久町の国立療養所「長島愛生園」にある長島曙(あけぼの)教会の牧師、大嶋得雄さん(65)が、聖書中の「らい病」「重い皮膚病」などの表記を改める活動をしている。普及率の高い聖書で表記をやめたケースもある。今年は、らい予防法廃止から10年。大嶋さんは「らい予防法以外にも差別を醸成してきたものはある」と話している。【佐藤慶】
旧約聖書のレビ記には「ツァラアトの者は(中略)『汚(けが)れたもの、汚(けが)れたもの』と叫ばなければならない」「衣服にツァラアトが生じた時は(中略)その物を火で焼かなければならない」などとある。「ツァラアト」はヘブライ語で、日本語訳では「らい病」、英語などでもハンセン病と訳されてきた。
大嶋さんは83年6月、同教会牧師となって間もなく、教会員を連れて別の教会に行き、伝道師が「らい病」を罪の象徴のように語るのを聞いた。教会員から「私らが特別に重い罪を犯したわけやない」と訴えられ、最初は同様の説教を録音したテープの販売中止を、97年ごろからは聖書の出版元に働きかけを始めた。
大嶋さんは00年から2年間、米国の神学校に留学。「ツァラアト」がハンセン病を限定的に意味するのではなく、人間の皮膚や衣服、家の壁などの表面が損なわれた状態だったことを確認した。世界の神学者の間でも否定的見解が表明されており、医学的にも「患部の毛が『白く変わる』など、ハンセン病と一致しない」という指摘があるという。
予防法廃止と大嶋さんらの活動で、出版元も見直しに着手。国内で普及する4種の聖書のうち一つは「らい病」の表記を「ツァラアト」に、二つが「重い皮膚病」に改訂した。大嶋さんは「『重い皮膚病』でもハンセン病を連想する。皮膚病患者も新たな被害者になる」と懸念。「無理に訳さず、原語の使用を」と訴えている。
教会員の男性(79)は「聖書の中の『らい』という言葉を読むたび、複雑な心境だった。大嶋先生たちの活動によって記述がなくなり、心につかえたものが取り除かれた思いがする」と話している。
毎日新聞 2006年5月2日 大阪夕刊
---
果たして当時
全く知識のない状態で
聖書を受け取った人々にツァラアトで意味が通じただろうか
どんな状態を意味するか判ったのだろうか
そして
宣教師が意図したその教えはどう伝わったのか
訳としてはそんなにかけ離れていると言うわけでもない
むしろ、むかしも今もある病気であり
正しい知識と対策により被害を最小限にできるものではないのか?
らい病やハンセン氏病の名前を使わないことによって差別がなくなる?
言葉や表現を変えただけで差別がなくなる?
そんなのは思いあがりだ
そうやって一番心が休まって満足感を感じるのはその運動の推進者の浅はかな善意じゃないの
言葉なんてダシにすぎない