相洲遁世隠居老人

近事茫々。

永井路子 『連作小説 炎 環』を讀む。

2022-06-19 13:00:09 | 日記


永井路子 昭和三十九(1964)年 初出、直木賞受賞作品『連作小説 炎 環』を讀む。

<連作小説>とは 四つの作品が 夫々 獨立した作品でありながら、孰れも北條氏に纏はる關連した内容である。 即ち;

惡禪師とは、 幼名「今若」、頼朝の異母弟であり、「牛若」即ち 九郎冠者義經の同母兄である 阿野全成の事。

黒雪賦とは、惡名高き 梶原平三景時の事。

いもうととは、北條時政の娘であり、北條政子の同母妹だと謂はれる、惡禪師・阿野全成の妻。
そして、覇樹とは、北條義時の事である。
當然の事ながら、毎週 NHK 大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」に登塲する。

この「鎌倉殿の十三人」、殆どの登塲人物が定説通りの名乘りながら、何故だか;
宮澤りゑ演ずる <りく> と 宮澤喜一総理の混血の孫 宮澤エマ演ずる<実衣>が通説の名乘りに見當たらない。

<りく> は 明らかに「牧の方」なのだが 三谷幸喜のシナリオ設定が 北條時政大番で結ばれ 京から連れ歸ったと謂う筋書きの爲 わざわざ<りく>としたものか?
「牧の方」は 駿河國・大岡牧 即ち 現在の沼津近辺の開拓牧塲主の娘ゆえ 呼び名を <りく> としたか?    宮澤エマの方は 阿野全成の妻ゆえ これも「時子」の筈だが 何故か <実衣> となってゐる。

「炎環」の中での「いもうと」の名乘りは「保子」(やすこ)。  兄弟姉妹として、四郎、高子、元子、榮子、五郎 の名前が出てくる。

四郎は 言わずと知れた 覇樹・北條義時である。 高子は 足利義兼妻。 元子以下は 牧の方腹であり、稲毛の女房、即ち 稲毛重成に嫁ぎ、榮子は 畠山重忠室。
NHK ドラマの中では 稲毛の女房は「あき」、畠山重忠室は「ちゑ」を名乘らせてゐる。

面白い事に 小説では 保子の阿野全成との婚儀の事にもふれ、千幡(小説では 千萬) 即ち 後の 源 實朝の乳母になった時に 名乘りを「阿波局」(あわノつぼね)に變へたとある。

 北條義時の若き日の愛人であり、長子・金剛 即ち 後の第三代執權北條泰時の生母の通稱が 同じ「阿波局」であり、よく混同される。

NHK ドラマでの北條義時の名乘りは終始「小四郎」である。 嘗て父親が「平四郎(たいらノしろう)」を名乘ってゐたことから、「小四郎」の名乘りの正當性は頷けるし、 3/13 放映 第10 回「根據なき自信」の中で 相模國府での論功行賞の中で、頼朝直々 「小四郎に江間を與へよう!」と謂う塲面が出てくる。  この一言に 三谷幸喜シナリオの正當性が込められてゐる。
小説の中では永井路子は「四郎」で一貫してゐる。

ことほど左様に 北條一族の名乗りは輻輳混沌としてをり 三谷幸喜にとっていかようにも 自由自在 惟ひ通りに書けるわけである。

6/12 放映第23回「狩りと獲物」の中で 富士の巻き狩りの最中 騒動に乘じての頼朝暗殺計畫を北條時政が事前に承知してゐたとの筋書き、新説ながら 豫てからの思いを代辯して呉れたの感 深し。
2022/06/14 記

ロシアを決して信じるな

2022-06-19 10:19:36 | 日記

ロシアを決して信じるな   中村逸郎  2021年2月20發行  新潮新書

本書は 魯西亞(ロシア)の烏克蘭(ウクライナ)侵攻 一年前に上梓されたものであり、内容的にも それを意識して書かれたものではないが、誠に 時宜を得た著作である。

著者は 學習院大學法學部政治學科を卒業後 蘇聯(ソれん)・魯西亞に留學した國際政治學者であり 本年三月 筑波大學を定年退官した 同大學名譽教授である。



序章 核ボタンはいつ押されたのか?
 先ず、1995(平成七)年 ボリス・エリチン大統領時代、情報傳達の不備から「核のボタン」が押されたが、器械の作動不備で あやうく 米蘇核戰爭が回避されたと謂う 物騒なお話から始まる。





序章、終章を含めて 全十二章に 蘇聯・魯西亞の惡口満載である。
當然の事ながら、本年5月の對魯制裁に對する報復措置として 魯西亞への永久入國禁止リストに著者の名前が加へられてゐる。

我々 國民學校世代は 大戰末期から戰後にかけての 蘇聯軍の無法・残虐行爲の記憶が生々しく、讀んでゐて 然りの惟ひを覺へる。

それにしても、日蘇不可侵條約を頼りに 半島出身の東郷茂徳外務大臣を中心に 對米英和平の仲介を依頼したり、戰後も 橋本龍太郎、森喜朗、安倍晋三と 延々 北方領土 返還交渉を期待を持って續けてゐるが、魯西亞側當事者からみると 日本人は何と阿呆な連中だと見ているに相違ない。
鳩山一郎・ブルガアニンの時代、二島先行返還の可能性はあったようだが、當時 米國が沖縄を不法占據してをり、國際聯合加盟を最優先課題だとする重光葵外務大臣の意向と 東西冷戰最中 沖縄絡みの米國との複雑な問題があって實現しなかった。
蘇聯邦崩壊の時點でも 二島先行返還の可能性はあったが、四島一括を絶對條件だとする國内勢力を説得出來づ みすみす見送られた。  今や 四島はおろか 二島も永久に歸って來まい。
將に「魯西亞ヲ決シテ信ジルナ!」だ。

私自身の 乏しい魯西亞體驗は 2014(平成26)年初夏 クルウズ船でサンクトペテルブルクでの二日間の滞在だけだが、豪華絢爛のエカテリイナ宮殿、エルミタアジュ博物館 ピヨオトル大帝夏宮 等々、ロマノフ王朝の榮耀榮華に壓倒される二日間であった。

しかも この聖ペテルブルグは二年半にわたる獨逸軍に依る包囲に耐へ抜き、 しかも 獨逸軍は撤退にあたり街を完全に破壊し盡くしたものを プウチンが大統領になるや  威信をかけて再建したものだと謂う。
その 不撓不屈のスラブ民族魂を まざまざ見せつけられる二日間でもあった。
兎も角 笑顔を見せるのは不謹愼だとばかりの佛頂面。 融通の利かぬことおびただしい。
決められた事は 雪が降ろうが、槍が飛んで來ようが 何が何でも任務達成。
我々西側からの乘客にとっては 四角四面の二日間でもあった。
日本を含め、(中共ならびに 南北朝鮮を除く)西歐世界とは 全く異質の別世界。

本文の中の『蘇聯・魯西亞人で 海外に移住して 後悔した人は 唯の一人もゐない。』と謂う一言は さもありなんと ドンと響く。


我々 一般の日本人は 蘇聯・魯西亞と謂はれて思い浮かぶのは;
莫斯科(モスクワ) であり 聖(サンクト)・彼得堡(ペテルブルグ)、斯拉夫(スラブ)民族、魯西亞語、魯西亞正教であるが、著者の 別作、「シベリア最深紀行」知られざる大地への七つの旅 によると;
莫斯科や 聖・彼得堡は 蘇聯・魯西亞の國土のごく一部であり 廣大な國土の大部分は西比利亞(シベリア)だと謂う事になる。

人口の比較的 稠密な カザフスタンと國境を接する西・西比利亞の面積は 魯西亞全土の15% に相當し 人口 1,460 萬人、民族数 140 を數へると。
判りやすく謂うと、10 萬人單位の、140 の異民族が 古代ないしは 中世から交雑する事なく、それぞれ孤立して 極寒の不毛の大地で 營營 生を營(いとな)んでゐると謂う 信じがたい世界である。

次に 人口稠密なのが モンゴルと國境を接する東・西比利亞地域であり、その他 現在でも ツンドラに生える苔をもとめてトナカイと移動しながら暮らす極北の原始遊牧民 等々。
西比利亜は シャアマニズム(原始宗教)發祥の地だとも云はれ 多民族、多言語、多宗教國家であり、その大部分が 現在でも 電氣や瓦斯・水道・電波と謂った近代文明の恩恵に浴すること無く 原始生活を送ってゐると謂うから驚く。

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シベリア最深紀行  ー 知られざる大地への七つの旅 ー
中村逸郎  岩波書店  2016年2月18日


西側世界の文化・文明から隔絶された異界であり、西側世界の常識が通用しない原始・別世界が 魯西亞の略々半分を構成してゐると謂う 信じがたい實情である。

2022/06/16  初稿