炎と水の物語 2013 Apprehensio ad Ignis et Aquarius.

広大な宇宙を旅する地球。私たちは今、どの辺にいるのでしょう. 

1888年磐梯山の噴火 その3. 噴火の前兆記録 .

2004-12-16 | 日本列島の災害
明治21年の会津磐梯山の大噴火の前兆現象が、東大地震研究所で、『日本地震史料』の編纂にあたった、武者金吉の『地震なまず』に収録されています。 「明治二十一年七月十五日、福島県の磐梯山が爆発して多くの死者を生じたが、爆発の少し前、長瀬川の魚がおびただしく浮かんだので、村人が先を争ってすくい取り、それを猪苗代の町へ売りに行ったため、危難を免れた者が少なくなかった。(地学雑誌第一集)」同書、29ページ . . . 本文を読む

1888年磐梯山の大噴火.その2. 噴火史メモ

2004-12-16 | 日本列島の災害
明治21年の磐梯山の水蒸気型大爆発についての補足です。 文献上の大同元年(806年)の噴火とされるものの放射性炭素法による年代測定結果*の一つは、1950―1360年±90年=西暦590年±90年で、大同年間より古い可能性もあります。磐梯山の東南東側斜面に見られる、琵琶沢に沿った崩落地形が、その噴火痕とされています。 吾妻山の明治26年(1893年)の噴火以前の確たる記録は少なく、長い眠りから目 . . . 本文を読む

1888年磐梯山大噴火の背景を考える 1.

2004-12-16 | 日本列島の災害
猪苗代湖の湖畔にたたずむ会津磐梯山。地名は、マレー・インドネシア語系の「bantai」=shore.に由来するのだろうか。ともあれ、この火山、明治21年7月15日に大噴火を起こし、北麓に山体崩壊して、村々を埋め、せき止め湖の桧原湖、五色沼などを生じさせた。 この山の噴火史を調べたところ、文献上は、806年大同年間の地変まで、大噴火の記録はないようである。地質学上の調査でもこの間、大きな噴火の形跡 . . . 本文を読む

一瞬の何かが....-.登呂遺跡、最後の日を考える.-

2004-12-16 | 日本列島の災害
 今日は、私たちの祖先が遭遇した、ある災害について考えます。  登呂は、弥生時代末期の社会や農業の様子を知る上で、とても重要な遺跡です。その発掘は、総合的学術分野を結集させた、戦後の新しい日本初の実証的歴史研究として、今も光輝いています。登呂遺跡の発掘は、それまでの、天皇の名前を暗記するだけの抽象的な歴史から、真実を探る歴史への出発点としての意義をもっています。  私は、この発掘に参加した考 . . . 本文を読む