としま広報に載っていたこの言葉
「介護から快護へ」
本当にその通りだと実感しました。
介護される側、介護する側、両者にとって「快護」へと
進展してゆけるものならば・・・・。
ですが現実問題、介護を快護へ導くのは、とても難しいことだと思います。
双方に課題がまだまだ沢山あるのです。
特に、介護される側の「努力」というのは、介護する側の努力に比べると、
軽視されているような気がします。
身体が思うように動かない、ほとんど寝たきり、
認知症の診断が下された人に・・・何の努力が???
と思われるかもしれませんが、でも努力は必要なのです。
「動けないのだから当然」とか
「お金を払っているのだから」
というやってもらって当たり前の姿勢は極力避けたいですね。
さらに、私達は老いれば老いれるほど、
自分で自分の事ができるようにしようと、
日々努力をしないといけないものだと最近感じます。
その為にも、最低でも40歳を過ぎた頃からは、
健康管理、体重管理、体力・筋力の維持、趣味をみつけ、人と沢山会う、
人の言う事を寛大に受け止める心の訓練
など、老いた時にどういう自分でありたいかを意識し、
予防をしていかないとならないのです。
そう、人は常に老いていくにあたり、
予防と努力・・・そして感謝ですね。
健康でいられたのであれば、健康に感謝。
誰かの手を煩わす事になってしまったのであれば、
生かされて、人に助けてもらう事に感謝。
対する、介護する側にしては、
なるべく心の余裕をもつことを心がけたいですね。
78歳の要介護1の認定をされている母が、時々我が家に居候をする時、
なんてことはなく、自分の気持ちが落ち着いてる時はなんとも思わない事が、
心に余裕がないと、小さな事でもイライラしてしまい、
口調もだんだんと強くなる事もしばしば。
これでは快護にはなりませんよね。
お恥ずかしい次第です。
余裕をもつには、やはり時間と助けてくれる人の存在が大きいです。
プラス実際問題、「お金の余裕」も大事なんだなぁと日々実感。
デイサービスや在宅介護などのサービスをうまく利用して
自分の時間をつくったり、介護される本人も気分転換。
サービスを利用する事も時には大事と思っております、
そうなると、やはりお金もかかってくるのです。
全てをクリアし、「快護」と呼べる日が本当に来るのか。
「任侠ヘルパー」の女社長が言っているように
「理想」でしかないのか。
まだまだ解決、検討しなければならい事項の多い介護現場ですが、
私自身がまず、母親に対して「快護」と呼べる対応ができるように
無理せず少しづづ、努力していきます。
「介護から快護へ」
本当にその通りだと実感しました。
介護される側、介護する側、両者にとって「快護」へと
進展してゆけるものならば・・・・。
ですが現実問題、介護を快護へ導くのは、とても難しいことだと思います。
双方に課題がまだまだ沢山あるのです。
特に、介護される側の「努力」というのは、介護する側の努力に比べると、
軽視されているような気がします。
身体が思うように動かない、ほとんど寝たきり、
認知症の診断が下された人に・・・何の努力が???
と思われるかもしれませんが、でも努力は必要なのです。
「動けないのだから当然」とか
「お金を払っているのだから」
というやってもらって当たり前の姿勢は極力避けたいですね。
さらに、私達は老いれば老いれるほど、
自分で自分の事ができるようにしようと、
日々努力をしないといけないものだと最近感じます。
その為にも、最低でも40歳を過ぎた頃からは、
健康管理、体重管理、体力・筋力の維持、趣味をみつけ、人と沢山会う、
人の言う事を寛大に受け止める心の訓練
など、老いた時にどういう自分でありたいかを意識し、
予防をしていかないとならないのです。
そう、人は常に老いていくにあたり、
予防と努力・・・そして感謝ですね。
健康でいられたのであれば、健康に感謝。
誰かの手を煩わす事になってしまったのであれば、
生かされて、人に助けてもらう事に感謝。
対する、介護する側にしては、
なるべく心の余裕をもつことを心がけたいですね。
78歳の要介護1の認定をされている母が、時々我が家に居候をする時、
なんてことはなく、自分の気持ちが落ち着いてる時はなんとも思わない事が、
心に余裕がないと、小さな事でもイライラしてしまい、
口調もだんだんと強くなる事もしばしば。
これでは快護にはなりませんよね。
お恥ずかしい次第です。
余裕をもつには、やはり時間と助けてくれる人の存在が大きいです。
プラス実際問題、「お金の余裕」も大事なんだなぁと日々実感。
デイサービスや在宅介護などのサービスをうまく利用して
自分の時間をつくったり、介護される本人も気分転換。
サービスを利用する事も時には大事と思っております、
そうなると、やはりお金もかかってくるのです。
全てをクリアし、「快護」と呼べる日が本当に来るのか。
「任侠ヘルパー」の女社長が言っているように
「理想」でしかないのか。
まだまだ解決、検討しなければならい事項の多い介護現場ですが、
私自身がまず、母親に対して「快護」と呼べる対応ができるように
無理せず少しづづ、努力していきます。
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