ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

11月11日

2019-11-10 | アメリカ事情

grossmontcenter.com

 

 

 

11月11日は合衆国ではVeterans Day(退役・復員軍人の日)でカナダ、英国、フランス、オーストラリア等で同日に休日である。アメリカ合衆国ではVeterans Day だが、他国ではRememberance Dayと言われる。ドイツでは休戦記念日と言われる。11月11日に第一次大戦は終結したことによる。

 

アメリカに住むと、軍人として国に奉仕した人を何人か知る。退役軍人の日は彼らの奉仕について彼らに尋ねる絶好の機会である。 尋ねるとよいだろう質問は次である。軍隊で何をしたか? どれくらいの期間奉仕したか? 従軍中で一番好きな瞬間は何か? あなたの家族で他に誰が従軍したか? 従軍した軍へなぜ志願したのか?


誰かを殺したかどうかなどとは、決して尋ねないこと。そして質問したい退役軍人は、自らが経験したことを話したくはなく、また他のひとと共有したくないかもしれない。差し出がましいことは口にせず、あくまでも軍人として奉仕した方を支えるように優しく接すること。時には何も言わずに、ただ耳を傾けて退役した方の話すことを十分に注意を払って聞くことである。


私の生まれるずっと前の遠い昔、第二次世界大戦で私の父は満州と台湾へ出兵した。父は自分の所属した部隊の人々の楽しかった思い出については本当に面白そうに話したが、戦闘については勿論、衛生班としての仕事についてはひとつも語らなかった。苦労しただろう終戦後の引き揚げ時の話もしなかった。そして子供だった姉や弟や私も、一切そのあたりについては、聞くべきではないと不思議に理解していた。本当の戦争のありようについては父はそのまま心に抱えたまま逝ってしまった。これは敵国の軍人だった夫の父についても同じだった。


空港で迷彩服や軍服を着ている軍人を見かけることは少なくない。 友人の何人かはそうした人々を見かけると必ず、「ご奉仕ありがとうございます。」と一言声をかける。現在このような人々は徴兵されて兵士になったのではなく、自ら志願して従軍し、アフガニスタン、中東などで奉仕している兵士であることを忘れるべきではない。そして日本で見かけるアメリカ合衆国の軍人は、日本での有事発生時には日本と日本人を守る目的を持っている。


summerlandreview.com

英連邦国のカナダやオーストラリアの11月11日はリメンバランス・ディで、赤いポピーの花がそれを象徴する

何故赤いポピーの花かについてはこちらで。





 

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自分自身

2019-11-08 | 人間性

 

 

 

 

 

先日、クエーカー教徒の友人と共に新聞売り場に歩いて行き、彼は新聞を買い、新聞販売人に丁寧に礼を言った。新聞売りはそれを受け止めもせず返礼もしなかった。「不機嫌な人だね」と私はコメントした。 「ああ、彼は毎晩そうですよ」と私の友人は肩をすくめて言った。 「それでは、なぜ彼にそう礼儀正しくあり続けるの?」と私は尋ねた。 「どうしてかって?」と友達は言った。 「どうして私がどう行動するかを彼に決めさせなければならないのでしょうか?」


後にこの件について考えたとき、重要な言葉は「行動」であると私は思った。私の友人は自分から人々に向かって行動するのだ。私たちのほとんどは他の人々の態度・言動に反応する。彼は私たちのほとんどに欠けている内なるバランスの感覚を持っているのだ。彼は自分が誰であるか、何をするのか、どのように振る舞うべきかを知っているのだ。相手の行動を統御ができなかったので、不作法を受けたとしても不作法で返すことを拒否したのだ。 永久に故意に快く反応しないほど不幸な人はいない。 彼の感情面での重心は、自分の中心にあるのではなく、彼の外の世界に根ざしてる。


人の体温は、自分の周りの社会的風土によって常に上下し、これらの要素に翻弄される単なる生き物に過ぎない。 私たちが自身の言動をマスターするまで、平静さ、沈着さは達成できない。


私たちが無礼であるか優雅であるか、意気軒高か、落ち込んでいるかを別の人が判断できるようになることは、自分自身の性癖の自己制御を放棄することである。 唯一の真の所有とは自分自身を持っているということである。

—シドニー・J・ハリス


シドニー・J・ハリス(1917-1986)は、シカゴ・デイリー・ニュース紙、後にシカゴ・サン・タイムス紙でジャーナリストとして活躍し、11冊の著書の作者でもあり、また週日刊行紙のコラムも担当したアメリカ合衆国のジャーナリストである。



 

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クリスマスにローズマリー

2019-11-06 | 私の好きなこと

sweetcarolinablues.tumblr.com

 

 

 

 

先月のある土曜日の夕刻からディーン(学部長)宅で、彼の婚約を祝うささやかなパーティがあった。ディーンはスコットランド出身の女性との婚約に伴って住まいを移したのだが、その平屋の新居は居心地よく整えられ、美しく造園されている庭で、食事が供された。夕刻のそよ風がウィンドチャイムをかすかに鳴らし、夕日を帯びたピンクの雲がたなびく心地よい宵に、どこからか清潔な香りが漂っていた。ふと後ろを振り返ると、こんもりとローズマリーのブッシュが二か所に植えられている。ちょうど寝室の窓の下に一つ植えられていて、夜は特に窓を開けると、その芳香が眠りを助けてくれる、とディ―ンが言う。さもありなん。ローズマリーだもの。

 


 

ラテン語名Rosmarinus officinalisは、おそらくローズマリーが一般的に海岸地方でよく育つ(水はけのよい砂の多い土壌を好む)ので、「海の露」とも呼ばれてきた。古代ローマ人によって香として使用され、埋葬儀式では棺の上にローズマリーの小枝を置くのは中世まで慣習として続けられていた。ローズマリーの精油はペストに感染した患者の治療に使用できるとかなり間違って信じられもしたが、実際にローズマリーにはいくつかの効用がある。

 

関節炎、静脈瘤の減少、不定愁訴症状の軽減、発毛促進、記憶力を高める(忘れっぽさを軽減する)などなど。これらの効果はローズマリーティを飲用したり、記憶力に関しては、ローズマリーの小枝を髪につける、ブラウスやジャケットのボタンホールに小枝を挿す、などで得られると言う。なるほど、この花言葉は記憶である。又、枕の下に小枝を置くと、悪霊や悪夢を避けると言われることから、催眠効果もあるのかもしれない。その他にローズマリーは古代からの除虫効果があるとして多用された。

 

 古代ローマやギリシャで頻繁に多様に使用されていたように、ローズマリーは、中世のヨーロッパで特にクリスマスの季節には広範囲にわたって使用され、伝統、象徴、および伝説のある植物である。 教会堂ではローズマリーで飾られた祭壇は、礼拝者に特別な祝福と保護を与えるとされ、教会や家の床にもたびたびこのハーブは撒かれた。英国ではクリスマスの祝祭に食された猪は、その頭がローズマリーで飾られていた。下の英国オクスフォード大学クイーンズ校のクリスマスカードに描かれたクリスマスの食事のメインの猪の頭。耳にはローズマリーが挿してある。

 

www.queens.ox.ac.uk

 

ローズマリーは聖書にその名は、フランキンセンス(乳香)やシナモンのように出てこないが、それはおそらく現代私たちが使う石鹸のように、ごくありふれた日常生活によく使われる物だったからだろうか。ローズマリーの除虫効果は、ジョセフやメリー(マリア)の時代の中東で頻繁に活用されていたと思える。これはわたしの想像に過ぎないが、ベツレヘムのあの馬小屋のあたりにも、ローズマリーが雑草のようにたくさん生えていたのかもしれない。あの晩、やっと辿り着いた馬小屋の床や飼い葉おけやメリーの褥に、ジョセフはローズマリーを撒いたかもしれない。長いこと独り身であったジョセフにそうした生活の知恵が備わっていたかもしれないし、また神の御子を迎えるにふさわしく飼い葉に加えてローズマリーを入れたかもしれない。

 

ローズマリーは、青い花をつけるが、その理由についてのカトリック信者にはひとつの伝説がある。それはエジプトへ逃れんとしていたメリー(マリア)が青いマントを纏っていて、それを白い花をつけるローズマリーの茂みに広げた時、花が青く変わったと言われている。ただしローズマリーには白い花をつける種もある。ここに真実があるかどうかは別の話だが、ウィリアム・シェイクスピアも庭に植え、アメリカでも、トーマス・ジェファソンのプランテイション、ヴァージニアのモンテチェロに1794年植える植物のリストにローズマリーも含まれていた。薬用あるいは調理用としてローズマリーは新大陸にも伝えられた。

 

このローズマリーは、クリスマスにも使用される。16~17世紀の英国の詩人Robert Herrickロバート・へリックがその詩に詠んだように、ローズマリーの葉は常緑樹のクリスマス・ツリーにも似て、松葉のような芳香があるので、テーブルのセンターピースとして飾るようになった。勿論食肉の味を良くする効果があるので、鵞鳥や猪の頭を使う料理にも頻繁に利用されてきている。ヴィクトリア時代には、クリスマス・ツリーの下にローズマリーの枝をたくさん撒き、人々に踏まれる度に芳香が生まれ、キリストの誕生を考えるということもあった。

 

現代ではローズマリーでクリスマス・ツリーを作ったり、ガーランドなどの飾り付けに使ったり、人気がある。ローズマリーは室内の空気を浄化するとも言われており、その芳香は記憶力を助けるとも。その他に、アイロン台カバーの下にペイパータオルで包んだローズマリの枝を入れ、洗濯物がアイロンをかけることでよい香りが移り、私は好きだ。

 

davesgarden.com

ローズマリーのクリスマス・ツリーは贈答にも喜ばれる。

 

 

ローズマリーはベイキングにも使える。おすすめはレモン・ローズマリ―ショートブレッド・クッキーである。レシピはこちら。クリスマスでも秋の夜長の読書のお供にでも、合うクッキーである。Enjoy!

 

 

 

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To Brave Blossoms

2019-11-04 | 人間性

 babybedding.com

 

 

 

 

 

あなたが打ち負かされていると思うなら、あなたはそうです。
あなたに勇気がないと思うなら、あなたはなにもできません。
勝ちたいが、勝てないと思うなら、あなたはほぼ負けています。
人生の戦いは、常により強いまたはより速い男に勝利が行くとは限りません。
しかし、遅かれ早かれ、勝者は自分ができると信じる人がそうなるのです。





 

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師か主か

2019-11-02 | 人間考察

 ILLUSTRATION BY JEAN-LEON HUENS, NATIONAL GEOGRAPHIC STOCK

 

 

 

 

 

次の話を「都会の伝説」、「民話」またはMeme「ミーム」(ウィルスのようにまたたくまに模倣によって伝播され、やがて淘汰される情報)、あるいは真実だとお思いだろうか。

 

 

英国の偉大な科学者であるアイザック・ニュートン卿には同じく偉大な科学者の友人がいたが、その友人は信仰を持たず、ニュートン自身は敬虔なクリスチャンであった。 科学に対する彼らの相互の関心が彼らを引き寄せたが、二人はしばしば神に関するそれぞれの見解を議論した。

 

 

ある時ニュートンは、熟練した職人に太陽系のミニチュア模型を作らせ、それは歯車とベルトでつながれた惑星を表すボールが、クランクを回して始動させると、調和して動くようになっていた。

 

しばらくして、ニュートンを、その神を信じないという科学者の友人が訪問がした。ニュートンが書斎でその模型の置いてある大きなテーブルの傍で本を読んでいると、その友人は、部屋に入ってきて、相対的的な速度でそれぞれの軌道をなぞる惑星であるボールを目の前にして、あからさまな感嘆の声を上げた。

 

その模型から少し離れて立っていた彼は、叫んだ。「これはなんて素晴らしいのだろう!誰がこれを作ったのかね?」と叫んだ。読んでいた本から目をそらさずに、ニュートンは「誰も。」と答えた。

 

すぐにニュートンに目を向けて、信仰心のない友は言った、「見たところ、あなたは質問を理解していなかったようだね。 私は誰がこれを作ったのかと尋ねたんだよ?」

 

今度は目を上げて、ニュートンは厳かに彼に誰もそれを作ってはいず、たいへんに称賛されるこの模型の集大成はたまたま元からあった形に、似せているに過ぎない、と言った。


しかし、驚いた友人は少々熱を帯びて返答した。「私がバカだとお思いなのかい! もちろん誰か天才である人がそれを作ったに決まっているから、私はそれが誰か知りたいんだ。」


ニュートンは本を脇に置いて立ち上がり、友人の肩に手を置いた。


「これは、あなたが知っているどの法則よりもはるかに壮大なシステムの模倣にすぎません。そして、この単なるおもちゃには設計者や製作者がいないことを私はあなたに納得させることはできないでいるのに、あなたは、この設計の基となった偉大な原型が設計者も製作者もなしに、ただ存在していると信じ、それを公言しているんですよ! さて、あなたはそのような矛盾した結論にどのような推論で到達するのか教えてください。」


********


森鴎外は、亀井勝一郎によると、「多くの師には会ったが一人の主にも会わなかった」部類の人であったが、1913年から毎年自宅でクリスマスを祝ったと言われている。時代が合えば、ニュートン卿の「お友達」になったかもしれない。そしてブレーズ・パスカルと友人だったら、森鴎外はどう反応したことだろうか。。。などと、タッティング(シャトルで編むレース)をしながら秋の夜長、妄想は尽きない。


見上げる夜空に瞬く数多の星を見て、あるいは小さな命が生まれる瞬間、その命の体の緻密な機能、毎年時計を持っているかのように冷たく固い土の中から芽を伸ばす草花に、人と人との間に芽生える柔和な感情に、無私で他人を助ける人のいることに、神を感じることがある私は、単純な者でよかったと単純に思う。






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