ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

1914年のクリスマス停戦

2018-12-12 | 人間性

Mansell—The LIFE Picture Collection/Getty Images

 

 

 

 

ヴェトナム戦争が激しかった頃、よくニュースで、「クリスマス停戦に入った」ということを何年か耳にした。幼かった私は、クリスマスだけの停戦ではなく、いっそ全面停戦で戦争を終結にすればいいのに、と生意気に思ったものだった。次の実際に起こった話は、かなり年月が経って大人になった頃知った。

 

1914年に勃発した世界大戦は、20世紀初のヨーロッパ戦争で、当初、両軍兵士とも、勝利を祝うためにクリスマスには、帰還できるだろうという予想が、保証されていたほど楽観的だった。勿論その予測は明らかに間違っていた。

 

戦争が四年目に突入すると、戦線ではクリスマスに帰還できるかどうかより、生きて帰れるのかどうかさえ覚束なかった。その四年間に8,500,000人が死亡し、さらに数十万人が戦傷が原因で死亡した。 「すべての戦を終わらせるための戦争」は、恐ろしい人間の犠牲を払い、ヨーロッパを変えた。[ちなみに合衆国は大戦の後半、1917年にやっと重い腰を上げて参戦したのだった。これは時の大統領ウッドロー・ウィルソンがクエーカー教徒で戦争を嫌い、穏健派であったせいである。その為、合衆国軍隊の死傷者は少数ですんだ]

 

しかし、1914年のクリスマスイブに於いて、軍事史上最も珍しい出来事のひとつが西部戦線で起こった。 12月24日の夜、天候は急激に変化し、水は凍りつき、兵士の詰めている陣地の塹壕は、すぐにぬかるみとなった。ドイツ陣地では、兵士たちがろうそくを灯し始めた。英国側の兵士は敵陣の塹壕上に、柱や銃剣の先に小さな灯りがぽつぽつと見えると、指揮官に報告した。

 

これらの灯りはドイツ軍をはっきりと照らしていて、射撃を受けやすいようにしていたが、イギリス軍は射撃をせずにいた。さらに驚くべきことに、英国の将校達は、双眼鏡を通して、敵軍が枝に灯した蝋燭を飾ったクリスマスツリーを頭上に持っているのを見た。 12月24日のクリスマスィヴの夜、それを祝いたかったドイツ兵たちはその挨拶を彼らの敵にまで広げていたのだった。

 

それを目撃した瞬間に、英国兵は幾人かのドイツ軍兵士が、クリスマスキャロルを歌っているのを聞いた。すぐにドイツ軍側のすべての兵士が合唱し始めた。

 

聞いた言葉は、「Stille nacht、heilige nacht」だった。そのメロディが「Silent Night」(きよしこの夜)であるのを即時に理解した英国軍は、これが迅速に両国間の敵対行為を中和させ、攻撃を停止させたと気が付いた。一人一人英国軍兵士は、「無人地帯」と呼ばれる両陣営間の、爆撃によって更地になったちいさな地帯にそれぞれの武器を置いた。両陣営の余りに多くの兵士たちが、そうするので、上官が異議を唱えるのを妨げているかのようだった。そこに公式には宣告されていない休戦状態が生まれた。

 

フランク・リチャーズは、この非公式の停戦の目撃者だった。彼の戦時日記で、彼はこう書いている。「私たちは板切れに”メリークリスマス”と印し、それを掲げ持った。敵は同じことをした。我々の二人仲間は、装備していた武器を置き、両手を頭上に組み、ドイツ人の二人にも同じことをするよう促した。仲間の二人が彼らに会いに、頭上に手を置きながら塹壕を飛び出た。

 

「彼らは握手をし、そして我々は皆塹壕から出たのだった。ドイツ人もそうだった。」とリチャードは言った。

 

リチャードはまた、何人かのドイツ軍兵士は、完璧な英語を話し、戦争に疲れて果てていることや、戦争が終われば、どれほど喜ばしいことかと述べた。英国軍兵士たちとて、それには同意したのだった。

 

その夜、少し前まで敵同士だった兵士たちは、同じキャンプファイヤーの周りに座っていた。 彼らは、携帯していたチョコレートバー、ボタン、バッジ、小さな牛肉の小さな缶詰など、つつましい小さな贈り物を交換しあった。数時間前に敵対する相手を殺戮せんとしていた男性たちは、ここでクリスマスを祝う時間を共有し、お互いの家族のスナップ写真を見せあったのだった。このささやかな、でも終了しがたい 停戦は、相互合意によって、突如始まり、終わったのだった。 

 

英国軍ロイヤルウェルシュ師団歩兵軍団長のC.I. ストックウェルは、まさに "サイレントナイト"の後、12月26日午前8時30分に大気に3発を撃ち、塹壕の土手に足を踏み入れたことを覚えていた。 前夜ストックウェルと贈り物を交換したドイツ将校も、塹壕の土手にいた。彼らはお辞儀をし、挨拶をして、それぞれ塹壕に戻った。 数分後、ストックウェルは、ドイツ軍将校が大気中に2発銃弾を撃ち放ったのを聞いた。

 

第一次世界大戦時、クリスマス休戦・停戦は、他の地域でもあり、この兵士たちのように喜び合っていたわけではなく、戦友を失った恨みや悲しみから、祝いたい気持ちを押し殺したり、あるいは上官たちは、これをしたら、戦う意欲を兵士から奪うとして、禁じたりした。そうした人の中には、あのアドルフ・ヒットラーがいて、彼は、仲間に戦時中はすべきではない、と言った。上官の中には、もし敵にむかって両手を挙げて塹壕を出るならば、即時に撃ち殺すと告げた者もいた、と言われる。

 

この「きよしこの夜」については、1966年サイモンとガーファンクルが出した7 O'Clock News/Silent Nightと言う曲も思い出す。ユダヤ人である二人がクリスマスの歌を?と当初不思議だったが、生意気な子供だった私は、実際に聞いて納得できると思った。これは、Charlie O'Donnellと言うDJにニュースを読ませ、それにからませて二人が「きよしこの夜」を静かに歌うものである。そのニュース内容は、公民権法案が上院で難航していることや、ヴェトナム戦争の状況、時の人気コメディアンのレニー・ブルースが麻薬過剰摂取で死亡したことなど、トピックを連ねるだけで当時の暗い世相が伺われる。そのニュース内容の悲惨さと正反対の静謐な歌が一つになったこの曲は、時には人々を涙させたのを覚えている。

 

私はここで、「だから戦争は。。。」や、「人間は。。。」などを論じる気持ちはひとつもなく、むしろほんの短い間でも戦争を、世界大戦を停めたこの歌の持つ威力に感銘するとともに、クリスマスというのは、尊いことだと思うのである。いつか世界に本当の平和がやってくることを祈りつつ。

 

 

 

 

 

参照:http://time.com,Wikipedia, .history.com

 


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