Norman Rockwell
子を育てることは大変な仕事である。私たちを囲む大抵の社会状況は、子供への注意や親の言うことや道徳などから反らせるために非常に多くの競争力を持って「しないほうが良いこと」や「できるなら知らない悪習」を与えようとし、「白は今や黒で、黒は今や白である」と言うようなことを喧伝して、子供たちをいかに横道へ行かせるか「戦っている」のである。そうした誘惑の結果が逆に成功しているかのように見え、子供たちを惑わすことがますます力を増している。本当に重要なことに集中して親が教え続けるのは難しいかのようにも見えることもある。
人気、運動能力、才能、ストレートA(オールAやつまり100点満点のオンパレード)を成功のベンチマークや、クールなこととして使用する文化では、そうしたこと以外の、思いやり、優しさ、共感、包括性を擁護し、親が教えて行きたいことはしばし困難にさえ感じる世の中である。
そんなある日ふと訪問したFacebookで、ヘザー・M・ジョーンズのことを知った私は、彼女が世界中の親たちを開眼させてくれる方だと確信した。
「今日、私はレストランでウェイトレスが運んでいた山のような汚れた使用済みの皿やカトラリーをうっかり落としてしまった時、それらを拾うのを手伝うために自分の席から即時に飛び上がって躊躇なく助けに行く子供を私は育てていることを知りました。
彼が良い成績をとっても構いません。
彼が人気があるかどうかは気にしません。
彼が才能があるかどうかは関係ありません。
彼がスポーツが得意かどうかは気にしていません。
彼が部屋をきれいに保っているかは重要ではありません。
彼が標準テストでどれほどうまくやっているかも気にしません。
彼が学校のスポーツ試合で主役であったり、最も多くのゴールを決めたり、大会で1位になったりしても、私は気にしません。
これらのことのどれもが私にはあまり重要ではありません。私は:
彼が偶然出会い頭に猫にぶつかったとき、真っ先にその猫に謝罪するかを私は気にします。
彼が小さな弟を出先のお手洗いに連れて行ってくれるかを気にします。
彼が苦労して稼いだお金を他人への心のこもったサプライズに費やしているのかが気になります。
彼がメモを書いて、彼がどれだけ相手を気にかけているかを人々に伝えるのかが気になります。
彼が一人で座っている子供を見て、遊びに誘うかが気になります。
彼が好意を持って他人に席を譲られるのか、あるいは敬意を表して立ち上がるかが気になります。
彼が自分の信念のために立ち上がるかが気になります。
動物や人が怪我をしたり、からかわれたりする不幸を「面白い」とするYouTube動画が嫌いであるかが気になります。
彼がテリー・フォックス*を自分の「お気に入りの」スーパーヒーローだと思っているかが気になります。
彼が他の人に挑戦し続けるように励ましているかを気に掛けています。
彼が深く感じ入り、無条件に人々を愛しているのかが気になります。
彼が助けを必要とする人に手、耳、そして肩を貸してくれることを気にしています。
そして、皿の落ちる音が鳴り響くのを聞き、頬を赤らめてウェイトレスが大慌てで、早く拾おうとしているのを見るや否や、彼の本能が、それを笑うことではなく、いち早く立ち上がり、床から汚れた皿を集め始められるかを気にしています。
そういう子を私は育てたいです。そういう人を世に送りたいです。そして、私が彼を私の子供と呼ぶことを誇りに思っている類の若い男性です。」
*テリー・フォックス(Terrance Stanley "Terry"Fox)(1958−1981)は、カナダの義足マラソン・ランナーとして知られる。1977年骨肉腫で右足を切断した後、癌研究資金を募るために、1980年4月12日、カナダ東部のニューファウンドランド州セントジョンズから 「希望のマラソン」を開始した。鉄のような固い意志で、北米大陸を横断し、西海岸のバンクーバー島のポートレンフリューを目指し、毎日フルマラソンと同じ42kmを走り続けた。目標は完走と100万ドルの募金を集めることだった。しかし143日目の9月1日5,373kmを走ったところで、癌の肺への転移のためオンタリオ州。サンダーベイ付近でマラソンを断念し入院。1981年6月28日、テリーは22歳の若さでこの世を去った。
ヒーロー。
以前、電車に乗ったたき、私の隣に座っている女子高生の前に高齢者の方が経ちました、彼女たちは気づかなかったのか、話に夢中
私は席を立ち、彼に席を譲りました
すると2人が「顔を合わせ、立場ないじゃん」と言ったのです
驚きと共に残念な気持ちになりました
私も彼女たちの親よりは上の年齢
もし親なら席を譲らないのかな?と感じたのです
優秀な学校で学んでも、マナーや道徳は親が教えるべきもの、家庭で自然と身につけるものと思っています
そんなことわ今回のストーリーで思い出しました
苦い話で終わるのは残念なので、この反対のストーリーも!
動画で見たストーリー
父親とカフェにいる男の子、まだ小学生でない少年
外を見ることができ、そこにはホームレスの男性がベンチに座っていました
するとその少年がお父さんに「僕のケーキ、あの人に食べて欲しい!いい?!」そう言って、飲み物とケーキを外のホームレスの男性に運んでいきました
まさな、自然と湧き出た行動でした
心が温かくなるストーリー、そして彼のご両親にありがとう!と思いました
娘が高校生だった頃にスタートしたのです。
「生命の駅伝」という名称で、大学の研究支援に寄付されています。
今春、オリンピックの聖火リレーで地元松阪を走られたのは
この活動を26年間続けて見える方でした。