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ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Pinewood Derby

2019-03-10 | アメリカ事情

scoutingmagazine.org 

 

 

五人のうち三人は息子で、カブスカウトからイーグル・スカウトになるまで、夫と私は、長いことスカウト活動に寄り添ってきた。父親も、伯父達も、従兄弟達も皆イーグル・スカウトであるから、三人の息子達も当然のように、イーグル・スカウトを目指してきた。カブスカウト時代は、den motherとして、スカウト時代はメリット・バッジ・カウンセラーとなって、多くの少年たちのスカウト活動に、およそ20年ほど奉仕した。ここにあるパインウッドダービーとは、文字通り、松の木のブロックから、レース用の車を作り、カブ達同士で競う毎年恒例の行事である。ほとんどはこの話のように、父親や祖父やらが手伝うが、私も何度かそれを手伝ったことがある。タイヤの滑りをよくするために、グラファイト(鉱物:黒鉛、石墨:粉末は油分を含まないが、潤滑性がある)で手指を黒くしながら滑走具合を検討したり、車体そのもののデザインの手助けと作成もしたものである。 実はレースの勝ち負けは、重大なことではなく、親と子供が協力して何かをやり遂げることに、パインウッドダービーの意義があると言える。この作者不詳の話をviewmypdf.com/inspire21.comで見かけた時、題名で懐かしく思って読んだが、こんなに若い少年が、大人よりも純粋に神を理解していることに驚いた。では、そのお話をどうぞ。


 

 

 

 

 

私の息子のギルバートは8歳でカブスカウトに入ってほんの少しである。あるカブスカウトの会合で、彼は一枚の紙、木のブロックと4つのタイヤを手渡され、それらを家に持ち帰り、「お父さん」にすべてを渡して、言われた。


ギルバートにとってそれは容易なことではなかった。普段彼の父親は息子と一緒に物事をすることを受け入れはしなかった。しかしギルバートは試みた。父親は渡された紙を読み、一生懸命な息子と一緒にパインウッドダービー車を作るという考えを嘲った。松の木のブロックは、数週間が経っても手つかずのままだった。ついに、彼の母親が堪り兼ねて自分に車を作れるかどうか見てみた。いよいよパインウッドダービー車作成プロジェクトが始まった。


大工の技術がなくても、私が解説書を読んでギルバートに仕事を任せるのだったら。。。そして彼はその通りにした。規定の寸法、できることやできないことの規則などを私は、声に出して読んだ。数日で松の木のブロックはパインウッドダービー車に変わっていった。少し歪(いびつ)だが、見栄えは良い(少なくともこの母親の目を通して)。ギルバートは他の子供たちの車を見たことがなく、この「ブルーライトニング」を自分で作ったのだということをかなり誇りに思っていた。

そしてその大きな夜が来た。息子は、彼の青いパインウッドダービー車を手に、心には誇りを持って、私と大きなレースに向かった。そこに着くと、一度に私の小さな息子の誇りは謙虚さに変わった。ギルバートの車は明らかに彼自身が作った唯一の車だった。他のすべての車は、かっこいい塗装とスピードをあげるために作られた滑らかな車体で、皆父と息子のパートナーシップの成果だった。

二、三人の少年たちは、ギルバートの歪(いびつ)で、ガタガタした、かっこの悪い車を見て笑った。惨めさに加えて、ギルバートは父親が寄り添わなかった唯一の男の子だった。母子家庭の少年たちでさえ、そのうちの少なくとも2人は、叔父または祖父が寄り添っていたのに、ギルバートは母親がいただけだった。

レースが始まったとき、それはいくつかの予選の除去方法で行われた。もし予選に勝ち続けたら、勝者であり、そのため予選レースを続けた。一台ずつ車は丁寧に磨かれた傾斜路を下って行った。いよいよギルバートとそこで最もすらりとして速そうな車とのレースだった。最後のレースが始まろうとしていたとき、驚くことに、恥ずかしがり屋の8歳の息子は、祈りたいので、ちょっとの間、レースを中断できるか尋ねた。レースは中断された。

ギルバートは彼の両手の間に松の木の不恰好なブロックを握りしめながら膝まづいた。眉をひそめて、天の父と会話を始めた(祈った)。息子はとても長い1分半の間真剣に祈っていた。そして終わると、彼は立ち上がり、微笑みを浮かべて、「いいよ、僕は準備ができています」と言った。

群衆が歓声を上げたとき、トミーという少年が自分の父親のそばに立って、親子の車が傾斜路をスピードをあげて下っていくのを見ていた。ギルバートは心の中にある天の父と共に立ち、驚くほどの速さで松の木の塊のような車がスロープをガタガタと降りていくのを見ていた。彼の車は、トミーの車の1秒前にフィニッシュラインを駆け抜けた。皆がよくやったと歓声をあげる中、ギルバートは「ありがとう」と大きな声で言いながら飛び跳ねた。

スカウトマスターはマイクロフォンを持ってギルバートの許にやって来て、明らかな質問をし、私の幼い息子は答えた; 「君は勝てるように祈ったのかな、ギルバート?」「ああ、いいえ。他の誰かを倒すのを助けてと神に頼むのは公平ではないでしょう? 僕はただ負けても自分が泣きませんように、とお願いしたんです。」

子供たちは私たちをはるかに超えた知恵を持っているようである。ギルバートは神にレースに勝つように頼まず、彼は結果を正すことも神に頼まなかった。ギルバートは結果において自分に強さを与えるように神に頼んだ。ギルバートが最初に他の車を見たとき、「不公平だ、ずるいよ、あの子たちには皆父親の助けがあったんだもの!」と神に泣きつかなかった。ギルバートは天の御父に強さを求めてはしなかったのだ。

たぶん、私たちは、自分を鼓舞するためや、一番になれるように神に願ったり、苦しい試練から逃げ出すために、神の力を求めて祈りに時間を費やし過ぎるのではないだろうか。

「私に力を与える彼を通して、私はすべてをすることができます。」ピリピ4:13。

ギルバートの簡単な祈りはその夜そこに居合わせた人々には、千万無量なことだった。彼は神が実際に彼の願いに答えることを疑わなかった。自分が勝つことを祈るのは、他の誰かを傷つけることだから、彼は自分が尊厳を持って負けることができるようにと神に祈った。ギルバートは、神に祈るためにレースを中断することによって、人々に、彼がそこに天の「父親」と共にあったのを示した。その夜、彼は、天の父の傍で、勝者としてレースを去ったのだった。

私たち全員がこのようなマナーで祈ることを学びますように。

 

 

   

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