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ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

クリスマスの物語

2020-12-18 | クリスマス

fluentu.com

 

 

クリスマスには物語がつきものだ。それは少年と犬、少女とお人形、針に糸、そんな風なコンビネイションである。

 

この少年のクリスマスへの3番目の期待は、この凛々しいエリー。

この少女と科学セットは切っても切れない関係、らしい

 

子供達に読んで聞かせる絵本や物語と言えば、アメリカではまず、クレメント・クラーク・ムーアの1823年の詩、The Night Before Christmas日本語で「クリスマスの前のばん(よる)」やYes, Virginia, there is a Santa Claus「サンタクロースはいるんだ」は、定番中の定番かもしれない。

私自身サンタクロースにばかり焦点をあてるクリスマスは軒を貸して母屋を取られるの譬え(たとえ)のごとくに感じるので、子供たちにサンタクロースに重点を置いたり、強調することはしなかった。それは決してその存在を否定したり、揶揄することではなく、奉仕のお手本として教えていた。サンタクロースは立派なクリスチャンとして人々を助けたことは有意義で敬意を表するが、あまりに商業的に利用され、前面に押し出されすぎているような気がしてならないのは否めない。

それはさておき、この二つの物語は、長い間アメリカ人には愛されているし、暖炉の前で子供たちに読み聞かせることは、楽しいクリスマス行事の一つでもある。

まずは、「サンタクロースはいるんだ」をご紹介。実在した少女ヴァージニア・オハンロンが1897年ニューヨーク・サン新聞に投書したことから始まり、答えを書いたのは、社説担当者のフランセス・ファーセラス・チャーチである。以下は青空文庫から。(参照:aozora.gr.jp)

 

サンタクロースはいるんだ

YES, VIRGINIA, THERE IS A SANTA CLAUS

ニューヨーク・サン紙社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ) The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church)

大久保ゆう訳

ニューヨーク・サン新聞 1897年9月21日 社説欄


 本紙は、以下に掲載される投書に対してただちにお答え申し上げるとともに、このようにまっすぐな方が読者におられることを、心から嬉しく思います。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。
 わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
ヴァージニア・オハンロン」


 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。
 サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。
 あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
 サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

※ そのあと、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、四七年間子どもたちを教えつづけたそうです。
 
*******
二つ目は、「クリスマスの前のばん」で、伊藤サム氏の英和対訳で。クレアモント・クラーク・ムーアのこの詩は、サンタクロースブームの火付け役かもしれない。学校やクリスマスの寄り集まり等で、子供達に暗唱させて発表させることも多い。
 

The Night Before Christmas  
クリスマスの前の夜

By Clement C. Moore

訳 伊藤サム

'Twas the night before Christmas, and all through the house,
クリスマスの前の夜 家じゅうどこにも
Not a creature was stirring, not even a mouse.
生きものひとつ 動いていない ネズミさえ
The stockings were hung by the chimney with care,
靴下はかけてある 煙突横に 念入りに
In the hope that St. Nicholas soon would be there.
サンタクロース 早く来て 
The children were nestled all snug in their beds,
子どもたち ぬくぬくベッド 寝そべって
While visions of sugar-plums danced in their heads.
お菓子が踊る 夢見てる
And Mama in her kerchief, and I in my cap,

ママはスカーフ 私はキャップ
Had just settled our brains for a long winter's nap;
ちょうど頭を休ませた 眠りは長い 冬だから

When out on the lawn, there arose such a clatter,
その時だ 外の芝生で すごいガチャガチャ
I sprang from the bed to see what was the matter.
私はベッドを 跳ね起きた いったい何が起きている?
Away to the window I flew like a flash,
窓のところへ すごい速さで 飛んで行く
Tore open the shutters and threw up the sash.
雨戸こじ開け サッシをサーっと 持ち上げた
The moon, on the breast of the new-fallen snow,
月がある 新たに落ちた 雪が抱き
Gave the luster of midday to objects below —
真昼みたいに ピカピカ光る この世界
When, what to my wondering eyes should appear
その時なんと 不思議に思う目の前に 現われたるは 
But a miniature sleigh and eight tiny reindeer.
小さいそりと 小さなトナカイ 8頭だ!
With a little old driver so lively and quick,
一緒に小さな おじいちゃんが御者(運転手) 生き生き素早い
I knew in a moment it must be St. Nick.
すぐに分かった これはサンタに 違いない
More rapid than eagles his coursers they came,
ワシより速く 俊足トナカイ やって来た
And he whistled and shouted and called them by name —
サンタ 口笛吹いて叫んだ 名前を呼んだ
“Now, Dasher! Now, Dancer! Now, Prancer! Now, Vixen!
「さあ突進! さあ踊り子! さあ軽跳ね者! さあキツネ!
On, Comet! On, Cupid! On, Donner and Blixen!
行け彗星! 行け天使! 行け雷と稲妻よ!
To the top of the porch! To the top of the wall!

ポーチのてっぺん! 壁のてっぺん!
Now, dash away! Dash away! Dash away, all!”
さあ突進だ! 突進だ! みんな突進!」

As dry leaves before the wild hurricane fly,
枯れた葉が 台風来れば 舞うように
When they meet with an obstacle, mount to the sky,
何かあっても ぶつかる前に 空へとひらり
So up to the housetop the coursers they flew
屋根めがけ 俊足トナカイ ひとっ飛び 
With the sleigh full of toys, and St. Nicholas, too.
そりにはおもちゃ サンタもね 
And then in a twinkling, I heard on the roof
またたく間 うちの屋根から 音がする
The prancing and pawing of each tiny hoof.
軽く跳ねたり 足で蹴る 小さなひづめが あちこちで
As I drew in my head, and was turning around,
頭を引っ込め 振り向いた
Down the chimney St. Nicholas came with a bound.
煙突通って サンタさん ズドンと落ちた  
He was dressed all in fur from his head to his foot,
着ているものは 毛皮だね 頭から 足まで全部
And his clothes were all tarnished with ashes and soot;
服はすっかり 灰まみれ 煤(すす)まみれ
A bundle of toys he had flung on his back,
おもちゃの束を 背中に乗せてた
And he looked like a peddler just opening his pack.
まるで旅する行商人 まさに袋を開けるとこ
His eyes — how they twinkled! His dimples, how merry!
おめめキラキラ! えくぼウキウキ!
His cheeks were like roses, his nose like a cherry;
頬はバラ色 鼻はチェリー
His droll little mouth was drawn up in a bow,
おどけた小口 口角アップで 弓みたい
And the beard on his chin was as white as the snow.
あごには髭が 雪の色
The stump of a pipe he held tight in his teeth,
パイプの吸い口 しっかりくわえ 
And the smoke, it encircled his head like a wreath.
煙がモクモク 頭の周り 花輪の形
He had a broad face and a little round belly,
顔は広くて ちょっとだけれど 太鼓腹
That shook when he laughed, like a bowlful of jelly.
笑うとプルプル まるでボウルの ゼリーだね 

He was chubby and plump, a right jolly old elf,
ぽっちゃり ふっくら まさしく陽気な おじいちゃん妖精
And I laughed when I saw him, in spite of myself.
サンタを見たとき 思わず笑って しまったよ
A wink of his eye, and a twist of his head,
サンタはウィンク こちらを向いて
Soon gave me to know I had nothing to dread.
それで分かった 怖がることは 何もない 


He spoke not a word, but went straight to his work,
何も言わずに まっすぐ仕事
And filled all the stockings — then turned with a jerk,
靴下に おもちゃいっぱい くいっと振り向く
And laying his finger aside of his nose,
鼻に指置き 満足そうだ
And giving a nod, up the chimney he rose.
うなずくと 煙突をまた 登って行った

He sprang to his sleigh, to his team gave a whistle,
そりに飛び乗り チームに口笛
And away they all flew, like the down of a thistle;
飛んで行ったよ まるで綿毛だ ふわりとね
But I heard him exclaim ere he drove out of sight,
でも叫んでくれた 視界の端で


“Merry Christmas to all, and to all a good night!”
「すべての人にメリークリスマス。おやすみなさい!」

 

19世紀アメリカの本、クレアモント・C.・ムーア(1779-1863)作の詩’T was  The Night Before Chrstmas「クリスマスの前のばん」の挿絵(Corbis/Getty Images)

 


クリスマスデイナー

2020-12-17 | クリスマス

©iStockphoto.com/Dieter Hawlan

 

 

 

何もかもキャンセルされてしまったCovid-19の第三波は、世界中の至る所で、多くの人々に落胆、孤独感、不安、懸念を抱かせている。先週末に、厳しいロックダウンの少し前にドイツからスエーデンへ早めのクリスマス休暇のために行った次男家族。ドイツにいても学校は閉鎖され、アパートで閉塞感を持ち、家族の健康維持にも神経を尖らすならば、と二人の幼い子供達と妻を連れて、8時間車で北上し、南スエーデンの広い妻実家で過ごすことにした。スエーデンとて、南のスコーネ地方は感染がひどく、しばらくは文字通りの自宅でロックダウンだが、母方の大好きな祖父母と過ごす孫たちは楽しく遊べる。息子は、ストックホルムの病院は、たった1%しか空きがないという。ワクチンがまだ健康なうちに皆に行き渡ることを切に願う。

そんな中で迎える今年のクリスマスは、例年よりももっと孤独感と厭世感を持つ人々がいると思われる。パンデミックにより失業者が増え、レストラン業も土台から崩れんとしている中、例年のクリスマスデイナーをそうした方々と分け合うことができるのではないだろうか。飽食とさえ言える今までのクリスマスの食事はどなたも残り物で冷蔵庫に隙間がなくなるほど大量に用意したのではなかっただろうか。我が家では、今年はそうした食事を用意するのに先駆けて、まずアルミやプラスティックの一人食事用の容器を用意して、10人から15人程度の料理が出来上がるように調理を始めるつもりである。メインと付け合わせの野菜、サイドデイッシュの他に、ジェラテイン・サラダ、パイやケーキなども別の容器に分けて一人分づつ用意できるのではないだろうか。

裕福とは程遠い我が家でも、多人数分の食事は、子供たちが家にいた頃から、その友人の分も一緒に作ったから、それほど難しくもなく、難はない。それを隣街にある救貧院に持って行って、皆さんに召し上がっていただける。あるいは、知り合いには、今年思いがけず失職した方や、未亡人になられた方や、今でも燃え続けるクリーク火災で(9月に始まって3ヶ月鎮火率は未だ100%ではない)被害を受けた方もいらっしゃる。州外からこちらへ仕事のために移り、実家へ帰ることもままならないお一人の方もいらっしゃる。ロックダウン故、我が家にお招きしたくともそれが憚れるならば、せめて温かい食事温かいうちにお持ちして召し上がっていただきたいと思う。

普通の年でもクリスマス時期には、冬の寒さも相まって、孤独感や寂寥感に陥る方々もいらっしゃる。かつて西部の雪深い州で学生だった頃、日本から遠く離れ、しんしんと積もっていく窓外の雪を眺めながら、小さな頃のクリスマスの家族との思い出に浸って、寂しかったが、そんな感傷は、直ちに吹き飛んでしまった。何故ならば、ルームメイトや友人が私をさらうようにしてそれぞれに家へ招いてくれたからである。あの時、他人のお宅へクリスマスに伺う無礼を恥じたが、楽しく過ごし、ご両親やご兄弟姉妹に感謝したことだ。ご馳走ではなくとも、ピーナッツバターとジャムのサンドウイッチでも、一緒に食べれば、話は弾む。

次の話は、実際にアリゾナの女性に起こったことで、まさにクリスマス精神に溢れていて、読み手の心を動かし、胸を打つ。

サラ・クラークは、フェニックスのピタ・ジャングル・レストランのウエイトレスだ。彼女は9か月の身重で、夫はその週膝の手術を受ける予定だった。土曜日に、彼女が受け持ったテーブルの客は、以前も受け持ったことがあった。その客は、61.30ドルの請求書の上に900ドルのチップを残していった。

サラ・クラークはフェニックスのテレビ局CBS5 KPHOのインタビューで、「金額が非常に高かったため、最初は信じられませんでした。900ドルはとても大きな額のお金です。」と語った。 「そして、その金額を理解するのにしばらく時間がかかりました。一旦理解すると、私はしばし泣いてしまいました。」

クラークは1月上旬に産休に入る予定で、夫が怪我のため仕事がなく、お金が大いに必要だったのだと彼女は言った。

彼女と同様身重だったその客は、「これは神からのお金です。私たちがあなたにそれを差し上げることができるように、彼は私たちにそれを与えたのです。神のご加護があなたにおありになりますように。」とレシートにメモを残していった。

「私は少し前に、夫が負傷して仕事を休んでいること、私が産休を取ることについて彼女にちょっとだけ話したことがあります。彼女の行為は、本当に素晴らしい寛大さの証だと思います」とサラは語った。

「これが今シーズン私たちにどれだけ役立つかを彼女が本当に理解しているかどうかはわかりません。」とサラは続けた。 「私が産休中、夫は手術からの回復中で仕事を休みますから、その間の収入はありません。だから、これは家賃やその他の請求書支払いなどに本当に役立ちます。」

 

今年もしかしたら私の友人や、隣人や、同僚は、こうした状態に陥ってしまった方がいるかもしれない。このような方達がクリスマスだけでなく、この冬、暖がとれ、空腹で寒い夜を過ごさないことを祈りつつ、フードバンクに少額でも寄付してこようと思う。

下のヴィデオは、ダイアログが出るが、言葉がなくとも小さな親切は、やがて恩返しになってやってくるということをよく表している。

 

 

 

 


輝く星

2020-12-16 | クリスマス

cardsdirect.com

 

 

 

日曜の晩から月曜日の朝方にかけて、双子座流星雨到来があった。あいにくカリフォルニア州中部は久しぶりの雨で夜空には雨雲しかなかったが、インターネットのおかげで自宅に居ながらにして、日本やスペインの夜空をリアルタイムで見ることができた。途中何度か人工衛星が左から右へ流れ、時折航空機も光の点滅と共に現れ消えていった。

天体観測には冬の凍てつくように瞬く夜空が、一番好きだ。空気が幾分澄んでいるのは気のせいだろうか。そして冬のこの時期、流星雨があろうがなかろうが、しばしば私はあのベツレヘムの星について思いを馳せてしまう。

三年前のブログですでにベツレヘムの星について書いたが、昨日2020年12月14日付の英国BBC放送のSky at Night Magazine (夜空の雑誌)でナイジェル・ヘンベスト氏の記事を読み、その番組も今年鑑賞した。題してStar of Bethlehem: did it really exist?(ベツレヘムの星:それは実際に存在したか?)である。ご存知のように、何世紀も昔から、天文、数学、宗教学などの科学者は、ベツレヘムの星が一体宇宙のどの現象だったのか、東方の賢者たちをベツレヘムへ導くほどの強烈な光を放った存在はなんだったのかを立証しようとしている。

BBCの放送でも、スーパーノヴァ(超新星)、ノヴァ(新星)、彗星、複数の星(木星と土星)の会合(あるいは合)、木星と土星と魚座との合、流星などなど提案をしていたが、いずれも確固たる証明は未だ成り立ってはいない。そのために、外周りから本題に近づこうと、真のキリスト降誕はいつか、三賢者はどこからやってきて、どこであの輝く星の光を観たのか、などを掘り下げようという試みだった。

実際のキリスト降誕は冬至後の12月25日ではなく、羊飼いが原野で羊を放牧していることから、雪も降る寒さの冬ではなく、おそらく4月から9月の間のどれかの日であることは間違いない。

そしてキリスト降誕時に生存していたローマ帝国のヘロデ大王が、生まれたのは紀元前73年で、没年は紀元前4年であったことを鑑みると、キリストの降誕は、ヘロデの晩年周辺の紀元前4年あたりではなかったかという見方がされる。

もともと西暦(キリストの誕生から始めるとする)は、ローマの神学者ディオニュシウスが、6世紀に算出したもので、今日算出されるキリスト降誕年と4年ほどのずれがあるとされている。それは新約聖書の二つの書かれていることによる。ひとつは、ルカによる福音書第2章に「国勢(人口)調査があった年にキリストが誕生した」とあるが、それは紀元前4年とされる。次にマタイによる福音書第2にある「ヘロデ大王による男子幼児虐殺令」があったのも紀元前4年とされているからである。もちろんそこに歴史的な裏付けはないが、当てずっぽうではない、知識に穿った推測である。

東方の三賢者はベツレヘムの東にあるメソポタミアでその輝く星を見たと言われる。古代メソポタミアでは占星学や天文学が盛んで、進んだ知識を三賢者(マギと呼ばれるゾロアスター教あるいはそれ系統の司祭)は持っていたと言われている。

マタイによる福音書(2:1-16)によるが、キリストの降誕時、(おそらくメソポタミア)で良き知らせを意味する輝く星を見た三賢者(マギ)が星に導かれて、エルサレムへ赴き、ユダヤ人の支配者のヘロデに誕生した御方はどこかと尋ねた。

ヘロデ大王は新しい王など沽券に関わると動揺しつつ、側近に尋ね、側近は(旧約)聖書の記述からすると、それはベツレヘムであると三賢者に教えた。彼らは輝く星にしたがってイエスのいる場所に着くことができ、幼子の前で、ひれ伏し、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。

ヘロデ大王は「新しい王」など生まれては困るので、その「王」の居場所を教えるよう三賢者に命じていたが、彼らは啓示により、ヘロデを避けて別の道から故郷に戻った。依ってヘロデは怒り、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男子の幼児虐殺を命じたが、イエスは両親とともにすでにエジプトへ逃れていたわけである。

キリストの降誕年を紀元前4世紀とすると、その輝く星はおそらくその頃実際にあった惑星間(魚座の天体も含む)の「合」であった可能性はある。然し乍ら、それを「観て」救い主の降誕を知ったのは、羊飼いと三賢者である。羊飼いは天の使いによってキリスト降誕を知り、三賢者同様に星に導かれてキリストの元へ赴いたのだ。万人が見上げて、その意味を理解した旨の表記はない。

この輝く星を「科学的」に立証しようとする科学者の努力は立派だが、信仰の力、と思う方が、より真実に近いかもしれない。たとえ日本や中国の古書に彗星や合や超新星らしき天体状況が記され、朝鮮半島でも観られたという記録があったとしても、人々はその意味を一つも知ってはいなかった。

そんなことをそぞろに考えているが、今日のハッシュタグ#輝く星は、その星についてではなく、その星のように輝きを持って人々を明るく照らす人々についてである。つい脱線して趣味的な思考を展開してしまったが、ブログ界において輝く星のような方々がたくさんいらっしゃり、そのお一人お一人に毎日たくさん私は感化され、多くのお教えをいただいていることの感謝についてなのだ。

そのたくさんのブログ名を一つづつ星型の金色の紙に書いて、切り取り、それだけで一本のクリスマスツリーの飾り付けが終わりそう。ブログを始めて、なんとたくさんのことを学び、感動し、感謝してきたことだろうか。また日頃から恩師、同僚、隣人、友人、そして遠く離れた家族親戚への感謝も記したら、もう一本クリスマスツリーは必要になりそうだ。

この場にて、皆様に深く感謝申し上げます。私に多くのお知恵をお与えになってくださり、本当にありがとうございます。学びとは幾つになっても面白いものです。

さて、至近の次なる天体ショーは、21日頃の土星と木星の「合」である。これが一番クリスマスの星にふさわしいと、巷は囁いているので、6歳児の天体望遠鏡も用意して、夜更かしする予定である。

 

2020年、三賢者(モデルナ、ファイザー、アストラゼネカ)は、この東方に輝く星(注射器)を目指している。米国ではこの月曜日からワクチン接種が始まった。月曜日に接種を受けた医師は、このワクチンの持つ意味はと問われ、希望です、と答えたのが印象的だった。まずは医療関係者・老人施設関係者から。この星がもっと健康な世界へ導いてくれるように切に願う。

 

 

 

 

 


親子というもの

2020-12-15 | クリスマス

Greg Olsen The Holy Family

 

 

 

子供が生まれて、親は新生児のもつその荘厳さに畏敬の念さえ覚える。そしてその清々しい気持ちを日記に表したり、将来その子が読むだろう手紙にしたためたりする。一目見た時から、この子は長い間夫婦が待ち焦がれていた子供なのだと理解する。その子供が障害や病気を持って生まれてきても、その子供は大切な夫婦の宝であり、できることはなんでもしたいと思う。それが人間の持つ数少ない神性さかもしれない。

 

この1歳児もやがて親となり、きっと我が子への思いを綴る日が来るのだろう。

 

スタンダード音楽で定評と人気のあるカナダ出身のMichael Steven Bubléマイケル・ステイーブン・ブブレは日本でも広く知られている。彼は、その歌手生活が軌道に乗り人気も実力も上々だった頃に結婚し、三児に恵まれて幸せの絶頂だった2016年突然、長男ノアが3歳にして、肝芽腫と診断された。直ちにそれからの公演を全てキャンセルした彼は、化学療法と放射線療法を始めるこの幼い息子と一緒にいつもいることを決心した。そして2年後に英国のジェイムス・コーデンのトーク・ショウで初めてその件について話した。幸いなことにその後ノアは治療が成功し、現在はキャンサー・フリーである。

2年以上に及んだ人気歌手の小さな息子に対する愛情と献身は、息子の快復に伴って終了なのではないのは、もちろんのこと、その気持ちは、彼が歌うForever Nowの歌詞に当てはまり、人々の胸を打つ。そしてこの歌詞は、この夏私たち夫婦の初子の長女へ夫がしたためた手紙 にも当てはまる。そしてこの歌詞の行間に、Love, Mom and Dad(愛を込めて、父母より)という言葉が見える。

今日のハッシュタグ#LoveMomandDadは、実は親への愛情についてが主であろう。しかし、このハッシュタグを見て、最初に思ったことは、子への手紙で結ぶ言葉だった。もちろん人生の荒波を越えてきた父母の存在は、例えば今手に触れられなくとも、揺るぎなく私の心にあり、実に恩と愛情は、そこへ寄せられ、またそこから発っせられ、それが幼い、若い世代への愛情を持たせてくれる。

それではマイケル・ブブレの心からの歌をご覧あれ。

 

 

 

 

 

Forever Now

Songwriters: Alan Chang / Michael Steven Buble / Ryan Daniel Lerman / Tom Jackson
Forever Now lyrics © Warner Chappell Music, Inc, Kobalt Music Publishing Ltd., Reservoir Media Management InI just met you

It seems like yesterday
You opened up your eyes
And I recognized your face
You know that you're the one that we've been waiting for
We're gonna keep you safe
First time I held you in my arms
I knew I'd love you all the way
I tuck you in at night
Another day has passed
Every week goes by a little faster than the last
It wasn't so long ago
We walked together and you held my hand
And now you're getting too big to want to
But I hope you'll always understand
That I'm always gonna lift you up
And I'm never gonna let you down
No matter what you do
I'm forever proud of you
I'll love you forever now
Through your ears I hear it
Through your eyes I see
A world full of magic
Full of possibilities
You know as well as anybody how tough this life can be
But you've got so much strength inside you
A strength I pray you'll never need
And I'm always gonna lift you up
And I'm never gonna let you down
Time flies by
I hope you realize that I
I'll love you forever now
I'm always gonna be right here
Always gonna cheer you up
I'm always gonna have your back
You're never gonna be alone
And I'm always gonna lift you up
No, I'm never gonna let you down
No matter what you do
I'm forever proud of you
I'll love you forever now
I'll love you forever now
 
生まれたばかりのあなたにあったのは
昨日のことのよう
あなたは目を開いて
私はあなたの顔に見覚えがあった
あなたはわかっている、私たちが待ち望んでいたのはあなただと
私たちはあなたをずっとこれから守っていく
初めてあなたを抱きしめた時
ずっとあなたを愛していくとわかった
夜あなたを寝かせ
そうして1日が過ぎていく
毎週初めての週より少し速く進むよう
それほど昔ではないのに
私たちは一緒に歩き、あなたは私の手を握った
そして今、そんなことあなたは大きくなりすぎてやりたくない
けれど私はあなたがいつもわかっていることを願う
私はいつでもあなたを支えることを
そして、私はあなたをがっかりさせはしない
あなたが何をしても
私はあなたを永遠に誇りに思い
そしてあなたを永遠に愛している
あなたの耳を通して私はそれを聞き
あなたの目を通して私は見る
魅力に溢れ
可能性に満ちた世界
誰もがこの人生がどれほど厳しいかを知っている
しかし、あなたは自分の中にとても強い力を秘めている
それが絶対に必要ない強さであるのを祈っている
そして、私はいつでもあなたを支える
そして、私はあなたをがっかりさせはしない
時間はあっという間に過ぎ去る
私はあなたに理解してほしい
あなたを永遠に愛することを
私はいつもここにいるつもり
いつも応援し
私はいつもあなたの後ろから励ましている
あなたは決して一人になることはない
そして、私はいつでもあなたを支える
いいえ、私はあなたをがっかりさせない
あなたが何をしても
私はあなたを永遠に誇りに思っている
私はあなたを永遠に愛する
私は今あなたを永遠に愛する
 
 
 

 


声を揃えて

2020-12-14 | クリスマス

Adoration of the Shepherds by Dutch painter Matthias Stomer, 1632

 

 

 

この二週間私はハッシュタグ #LightTheWorld(世界に光を)を付けてブログを書いている。その理由は次のヴィデオ#1に凝縮されている。一年のうちでどの日も大切で重要で有意義に過ごしたいと心がけているが、この季節、クリスマスの季節が一番好きだ。

そして今日のハッシュタグ#Social Sing and Serve(歌って仕える)にも深い思い入れがある。毎年クリスマスに、我が家を訪れてクリスマス・キャロリングを家族で、あるいは友人たちとなさる方達に感謝するのは、Good Tiding(よき知らせ)をお運びになられるからである。もう一つのヴィデオ#2でお分かりになると思うが、これは300名プラスを擁するテンプル・スクエア・タバナクル合唱団に加えて世界中の1700名のプロやアマチュアの人々がヴァーチャルで参加し、総勢2000名のコーラスで、ヘンデルのメサイヤからハレルヤ・コーラスをするものである。4年前に製作されたが、4年後にこのヴァーチャル形式がノームになるなど誰が想像したことだろうか。

ヘンデルのメサイヤについては様々な逸話があるが、その一つ、1743年に、初めてロンドンで演奏された際、非常に感動した英国王ジョージ2世が涙を流し、「ハレルヤ」の途中で起立し、後に観客総立ちで敬意を表した、と言うものである。現在ではこれは史実ではないという意見もあるが、これによって、英国では全知全能の神を讃える歌が演奏される際には起立する習慣があったのである。

ドイツから英国に帰化し、名前も英語読みにしたジョージ・フレデリック・ヘンデルは、英国でオラトリオ作家の天才として成功した。私はこのオラトリオの第12番、For Unto Us A Child Is Born(幼子我らに生まれ)が特に気にっている。これは新約聖書からではなく、イザヤ書(9:6)引用である。ヴィデオ#3でご覧あれ。

それではクリスマスヴィデオ三昧の月曜日、お楽しみあれ。

#1

 

#2

 

#3