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ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

一点の絵画から

2021-04-04 | 信ずること

Photo credit: meisterdrucke.uk

A Hopeless Dawn by Frank Bramley 1888

 

 

 

フランク・ブラムリーという画家の1888年に描いた上記の、題してA Hopeless Dawn「絶望の夜明け」という絵画は、コンスタブル、レインズビル、レンブラントなどの数々の巨匠の絵画を蔵する英国ロンドンのテイト美術館の片隅に、ひっそりと展示されている。

この一点の絵画、瞳がその光景を捉えるのと同時に、心を強く惹きつける。若い漁師の夫が嵐の海に出て夜になっても帰らず、妻は夫の老いた母親と二人でまんじりともしない夜を過ごし、二人の目はずっと窓越しの海原にやられ、そしてとうとう夜が明けるが、それは絶望の夜明けであったのが手に取るようにわかる。若い妻が年老いた義母の膝に顔を埋めて泣いている。この絵には不安、失望(絶望)、悲しみがはっきりと浮かんでいる。窓辺の燃え尽きた蝋燭が一晩中の募る不安と絶望をよく表し、観賞する者の心を抉るような悲しみを与える。そしてこの絵を見て、すぐに頭に浮かぶ言葉がある。

旧約聖書ヨブ記にある言葉:人がもし死ねば、また生きるでしょうか。(ヨブ記第14章14節)この質問は何千年もの間おそらくこの地上に生まれた全ての人が問うだろう質問である。

そして次に脳裏に浮かぶ言葉は:わたし(イエス・キリスト)は平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(新約聖書のヨハネによる福音書第14章27節)

過越(すぎこし)の祭の前に、キリストは御自らこの世を去り、天の父の元へ時が来たと知り、また弟子たちの一人が裏切ることを知っていたのでそう仰ったのだった。キリストは続けて仰った。『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』...もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。」(ヨハネによる福音書第14章28節)

イエス・キリストが神の属性を持っておられることで、苦しみと死をその身に受け、復活を遂げることにより、霊と肉体の死に打ち勝たれ、だからこそ無限にして永遠の贖罪を全人類のために行うことが可能だった。彼が救い主と呼ばれる由縁がここにあり、救い主は全てのことを正しくされる。死すべきこの世の不公平や死でさえも永久のものではない。何故ならば彼は生命を再び回復し、主の絶対的な正義と憐れみがあるので,屈辱,障害,裏切り,虐待が最終的に償われるのである

同時に,人は皆,その人生,選択,行い,思いさえも主に対して責任を負っており、人々を堕落から贖われたので,人の生命は現実に主のものである。そして全ての人には復活と最後の裁きとがある訳である。

キリストの恵みは実在し,悔い改めた罪人に対して赦しと清めの両方をもたらす。キリストへの信仰は実に想像や人が心の中で創り上げたものを超えるものであり、絶対的で普遍的な真理があり,普遍的で変わることのない道徳的な標準がある。

100年ほど前、ロバート・ブラッチフォードは、その著書『神とわたしの隣人』(God and My Neighbor)の中で,神,キリスト,祈り,不死不滅といった,キリスト教徒が信仰する事柄を激しく攻撃した。大胆にもこのように主張もした:「わたしは自分が証明を試みた事柄は全て完全に,はっきりと証明し尽くしてきた。たとえどんなに偉大で能力のあるキリスト教徒であっても,わたしの主張に対抗し,論拠を覆すことはできない。」

彼はいわば,懐疑論という壁で完全防備していたが、ある日そんな彼の妻が亡くなった。打ちひしがれて,妻の亡骸が安置された部屋で彼は,心から愛した彼女の死に顔を見詰めた。その部屋から出て来た彼は,友人にこう語った。「あれは彼女だが,彼女ではない。何もかも変わってしまった。以前にはそこにあった何かが取り去られ,今は前と同じ彼女ではない。その取り去られた何かが魂というものでなかったとしたら,いったい何だろうか。」

主は本当に亡くなられて,再び生きられたのだろうか。そのとおりである。世界的なキリスト教リーダーの一人トーマス・モンソンは言った:「キリスト教の基本原則は,使徒と預言者たちがイエス・キリストに立てた証です。すなわち主が亡くなり,葬られ,3日目に再びよみがえって,天に昇られたことです。わたしたちの宗教に関する他の全ての事柄は,それに付随するものにすぎません。」(トーマス・S・モンソン「主は生けりと知る」『リアホナ』2007年5月号,23)

故に多くのキリスト教徒と同じく、わたしは,新約聖書の中にある救い主の復活に関する多くの証人,すなわち,ペテロと十二人の使徒たち,清いマグダラのメリー(マリヤ)とその他の人々の経験や証を信じるのである。

フランク・ブラムリーという画家の1888年に描いたA Hopeless Dawn「絶望の夜明け」という絵画の海に失われた漁師の妻とその母親の嘆きが実はこの世限りのもので、やがてこの二人がいなくなったと思った愛する人に再びまみえることを、その希望をも、わたしは、その暗い部屋に見るのである。ちょうど復活祭の日曜日の今日、燦々と降り注ぐ陽光に、木々に色とりどりの花々が、また草花が輝くように。

 

もう【主は】ここ【墓】にはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。

さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい

マタイ伝第28章6節

 

 

 

 

 

 


イースター

2021-03-17 | 信ずること

 

 

 

 

ジェレミーは、身体と知的障害を持ち、又慢性の不治の病を持って生まれてきた。それでも、彼の両親は彼に可能な限り普通生活を送らせたいと、息子をカトリック系私立小学校に入れた。

ジェレミーは12歳でも、2年生で、それは学ぶことができなかったからだった。そのクラスの担任教師のドリス・ミラーはしばしば彼に憤慨した。彼は自分の席にじっと座っていられず、よだれを垂らし、又うなり声を上げた。そしてある時は、まるで光のスポットが彼の脳の暗闇を貫通したかのようはっきりと明瞭に話した。けれども、ほとんどの場合、ジェレミーは先生を苛立たせることが多かったので、ある日、担任教師は両親に電話をして、学校で懇談したい旨を伝えた。

空室の教室で両親が静かに待っていると、教師のドリスは口を開いて言った。「ジェレミーは本当に特殊学校に所属すべきです。学習の問題がない年少の子供たちと一緒にいるのは彼にとって公平ではありません。他の生徒たちより5歳も年上です。」

父親が話している間、母親はティッシュの陰でそっと泣いていた。 「ミラー先生」と父親は言った。「近くにそのような学校はありません。ジェレミーをこの学校から連れ出さなければならないのなら、それはひどいショックを彼に与えるでしょう。彼がここを本当に気に入っているのを私たちは知っています。」

ドリスは両親が去った後、窓の外の雪を見つめながら長い間座っていた。その冷たさは彼女の魂に浸透しているようだった。彼女はジェレミーの両親に同情したかった。結局のところ、彼らの一人息子は不治の病の末期にいた。しかし、彼を彼女のクラスに留めておくことは公平ではなかった。彼女には他に18人の生徒がいて、実際ジェレミーはこの生徒たちが学習する時はいつも皆の気を散らしていたのだった。さらに、彼は読み書きを学ぶことは決してあり得なかった。なぜこれ以上時間を無駄にしなければならないのだろうか?
彼女が状況を熟考したとき、罪悪感が彼女に押し寄せた。 「ああ、神様」と彼女は声を出して言った、「私の問題がその可哀想な家族と比べて何もないのに、ここで私は不平を言っています!ジェレミーに私がもっと忍耐強くなるのをお助けください。」

その日から、彼女はジェレミーのたてる雑音と空白の凝視を無視しようと懸命に努力した。ある日、ジェレミーは彼女の机に彼の悪い方の足を引きずりながらやってきた。

「僕は先生を愛しています、ミラー先生」と彼は叫び、それはクラス全員が聞くのに十分な大きさだった。他の生徒たちはニヤリと笑い、ドリスの顔は赤くなった。彼女はどもりながら言った。「ま、まあ、それはとてもいいですね、ジェレミー。それじゃ、あなたの席にお戻りなさいな。」

春が来て、子供たちはイースターの到来について興奮して話していた。ドリスは彼らにイエスの話をして、復活ー新しい生命が湧き出るという考えを強調するために、彼女は子供たちのそれぞれに大きなプラスチックの卵を与えた。 「さあ、これを家に持ち帰って、新しい生命を示す何かを中に入れて明日持ってきてください。分かりますか?」と彼女は彼らに言った。

「はい、ミラー先生!」ジェレミーを除いて、子供たちは熱心に反応した。ジェレミーは、ただ熱心に耳を傾け、その目は決して教師の顔を離れなかった。彼はいつもの雑音を立てさえしなかった。

ジェレミーは彼女がイエスの死と復活について言ったことを理解したのだろうか? さっき出した宿題を理解したのだろうか?おそらく彼の両親に電話してその宿題について説明しなければとドリスは思った。

その夜、ドリスの台所の流しが詰まった。彼女は家主に電話し、家主がやって来て詰まりを取り除くのを1時間待った。その後、彼女は食料品の買い物をし、ブラウスにアイロンをかけ、翌日の語彙テストを準備しなければならなかった。彼女はジェレミーの両親に電話することを完全に忘れていた。

翌朝、19人の子供たちが学校にやって来て、ミラー先生の机の大きな籐のかごに持ってきたプラスチックの卵を入れながら笑ったり話したりした。算数の授業を終えた後、卵を開ける時が来た。
最初の卵で、ドリスは中に花を見つけた。 「そうそう、花は確かに新しい生命の印ですね」と彼女は言った。 「植物が地面から顔を出すとき、私たちは春が来たことを知りますね。」

最初の列の小さな女の子が腕を振って 「それが私の卵です、ミラー先生!」と叫んだ。

次の卵にはプラスチックの蝶が入っていて、とてもリアルに見えた。ドリスはそれを持った手を掲げて見せた。 「毛虫が変化して美しい蝶に成長することは誰もが知っています。そうです、それも新しい生命です。」

小さなジュディは誇らしげに微笑んで、「ミラー先生、それは私のものです!」と言った。

次に、ドリスは苔のついた小さな岩をプラスティックの卵の中にみつけた。苔も生き生きと命を表現している、と彼女は説明した。ビリーは教室の後ろから声を上げた。 「パパが助けてくれたんです!」

それからドリスは4番目の卵を開けた。一瞬彼女は戸惑った。卵は空だった。確かにそれはジェレミーのものであるに違いないと彼女は思った。そしてもちろん、彼は彼女の指示を理解していなくて、それなのに彼女は両親に電話するのを忘れてしまっていた、と思った。

彼女はジェレミーを当惑させたくなかったので、静かに卵を脇に置き、別の卵に手を伸ばした。

突然ジェレミーが声を上げた。 「ミラー先生、僕の卵について話してくれませんか?」

慌てて、ドリスは答えた、「でも、ジェレミー、あなたの卵は空ですよ?」

彼はドリスの目を真っ直ぐに見て、「はい、でもイエスのお墓も空でした!」とそっと言った。

時間が止まったように思えた。彼女が再び話すことができたとき、ドリスは彼に「なぜお墓が空だったのか知っていますか?」と尋ねた。

「はい、勿論!」ジェレミーは叫んだ。 「イエスは殺されてそこに入れられました。すると天父は彼を蘇らせました!」

その時休憩ベルが鳴った。 子供たちは興奮して校庭に駆け出していく間、ドリスは泣いた。 彼女の中の冷たさは完全に溶けてしまった。

3か月後、ジェレミーは亡くなった。 葬儀所で敬意を表した人々は、彼の棺の上に19個の卵があり、それらがすべて空であるのを見て驚いた。それは彼の級友18人と教師からの卵だった。

あなたの御友人や御家族全員のイースターエッグも空になりますように。