ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

駆けて翔(かけり)

2022-04-05 | 家族

 

 

 

コペンハーゲン勤務の次男が、土曜日に走者番号の下記の画像をテキストしてきた。 あら、今度はどこのマラソンを走るのだろうとよく見ると、パリマラソンとある。 金曜日までベルギー出張だった次男は、スエーデンに帰宅するや否や再びコペンハーゲン空港からパリへ飛んだようだった。 見ると今回も目標は全走3時間45分で、らしい。 走行全長42.195Km(26.22マイル)で、凱旋門をスタートし、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、バスチーユ、セーヌ河畔などの名所を廻って、ブローニュの森がフィニッシュ地点と言うことだ。 

夫、末娘と私は、その次男のコペンハーゲンでの結婚式、スエーデンでの披露宴の後、パリへ足を伸ばして訪問したが、あの時、凱旋門からブローニュの森までいつの間にか歩いてしまっていた。結婚をその年の暮れに迎えていた末娘と私たち夫婦はいろいろ話しながら歩いていたからだろう。 42.195Km(26.22マイル)は、どちらかと言うと、「亀科」に属する私にとって、漢字で書けば、難儀、である。 それを完走、しかもたった3時間45分で? 正気の沙汰とは思えない。 

ボストンマラソン参加資格はこのパリマラソンで3時間5分だかの記録が求められる、と末娘の夫が教えてくれる。 実際、ケニア人男性はこのパリマラソンで2時間5分7秒、ケニア人女性は2時間19分48秒で優勝している。 全く私の知らない世界である。 だいたい勝つ人がいること自体不思議だ。

次男の健闘結果は、下の通り。 目標よりも1分超えるが、このマラソンでの平均時間は5時間22分だから、本人は嬉しかったようだった。 「亀科」の母親を持つ息子だもの、完走しただけでもあっぱれだ。

 

よ〜い、どん、で走り始めから、次男は笑顔で、走ることが楽しい、参加することに意義がある、を地で行っていたようだ。 ちなみに伴走して、水やスナックを渡してくれていたのは、大学時代からの親友の一人、Iで、ついでに写真も撮っては送ってくれた。 

戦い終わって、ニューヨークから妻帯して駆けつけて応援してくれた大学時代の同級生M(右端)と息子が推薦してコペンハーゲンの会社に勤務するやはり同級生のI、一緒に参加した同僚と記念撮影。 思いがけず、同窓会。 大抵はこの同窓生3人は国境をものともせず集まって、次男の結婚披露宴にもわざわざスエーデンまで出席してくれた。 次男もMの結婚式にはニューヨークへ飛んだ。 IもMも2mを越す身長で、至ってフレンドリーな若者である。 仲良し3人はそれぞれ国際ビジネスマンとしてオランダやドイツやニューヨークなどで働いてきている。

ルーブルで記念撮影を終えたら、豚骨ラーメンでお祝い、だそうだ。 4人共タバコはもちろんアルコールも嗜まないが、日本のラーメンは大好物である。  

戦い終えてスエーデンへ帰宅した息子を待っていたのは、5歳の長女と今年3歳の長男と驚くほど忍耐強くしっかりと息子を支えてくれる、やはり大学時代の同窓生でもある妻。 週60時間働くこともある次男だが、育児に関わったり、家事をすることは楽しみでもあると言う。 

土曜日や休みの日には図書館や博物館や遊園地(海峡を渡れば、コペンハーゲンのチボリ公園がある)へ出かける。 そしてなによりも毎日曜日教会の後で、午餐を妻の両親宅で過ごすことが楽しみだそうだ。

また次のマラソンに向けて、健康を維持し、家族を大切にし、しっかり働いて、羽ばたいていけるように、遠くの母は願っている。

  

 

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新しいチャプター

2021-11-23 | 家族

 

 

 

 

納得できる - ままちゃんのアメリカからの続き

 

 

 

フリーウェイを使わず、「裏道」を使って、マリポサ郡へ夫と共に我が家から向かう。昨今珍しい雨量でやってきた先日の雨とその後の連日の霧で湿り気を帯びた丘陵地帯はきれいな明るい緑で、この裏道をひたすら走ること1時間半。森林地帯に入り、カリフォルニアゴールドラッシュの19世紀なかばに開けた山間の小さな町に着いた。そこに1854年に建造されたカリフォルニア州最古、ミシシッピ河以西でも最古の実際に使用されている裁判所がある。リンカーン大統領が就任した1861年より7年早くここマリポサにできた木製で白く塗られた裁判所だ。法廷は二階にある。その狭い階段を昇って法廷に入ると、すでに法衣の裁判官が迎えてくれた。

法廷の真ん中には大きな薪ストーブが備え付けられ、これからの季節、法廷のある時は薪が焚かれ、その熱は法廷内と小さめな各オフィスへパイプによって送風される。

私たちが着席すると裁判官は「みなさんはここに、離婚の申し立てでもなければ、訴訟のためでもなく、また事件を起こしたわけでもなく、裁判官にとっては本当に一番好きな式のためにお集まりくださいました。新しい弁護士の宣誓式です。」と始めたのだった。

裁判官は末娘の夫を前に呼び、宣誓の儀式を厳かに始めた。そして、おめでとうの言葉を持って、宣誓式は終了した。裁判官はもちろんマリポサ郡に住居を構えているわけではなく、近隣の郡からここの法廷へ詰める。だから、大抵は立て続けの法務があり、この日特別に時間を割いてくれたわけである。

 

 

宣誓式の後、裁判官も両家も子供・孫たちもにこやかに談笑しながら、法廷内の歴史ある写真や下の階にある古い金庫をのぞいたり、一種の博物館的な面もある裁判所を見学した。この裁判所を選んだのは、彼の父親がちょくちょくこの郡の公選弁護人として働き、その歴史からとても気に入っているのでここで、と提案したのだった。そしてその日167年の歴史ある場所で新しい弁護士が誕生した。

 

早速親子3人で記念写真。

ダダとお揃いのネクタイで。

 

こうして末娘家族の新しいチャプターが始まった。

 

 

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くだけたお気に入りの皿

2021-11-20 | 家族

 

 

 

Goodnewsオンラインからの小さな小さな記事:

数週間前、サリーは誤って下の写真のような皿を落としてしまい、それは無数の破片に砕かれ、床に飛び散った。 彼女はそれを約40年間持っていて、何年にもわたって自分の子供たちのためにたくさんの料理を調理してきたのだった。控えめに言ってもまさに壊滅的なことだった。

すると10月20日、彼女は息子のデミアンがドアを開けて小包を受け取ったのを聞いた。 デミアンはそれを開いて誇らしげにサリーに手渡した。これを彼は自分の貯金で買った(彼は障害者支援年金に加入している)と言い、あの皿が砕け散ったことにどれほどサリーが動揺したのか知り、それならば母親を驚かせたいと思い、eBayで探し、買ったのだった。

もちろん、母親のサリーはとても感情的になって感激したことだった。なんて素晴らしい、思いやりのある愛すべき人間だろうか、とサリーは喜んだ。(写真右はサリーの愛すべき息子)

 

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息をする

2021-10-07 | 家族

ベーカー山: この山を目にする度、majestic(気高く雄大)、という言葉が浮かぶ。

 

 

 

カリフォルニア州中部の著名な観光地のあちらこちらに煙が立ち、

 

こちらの地方新聞の写真。

近隣のいくつかの国立公園や国立森林への道は、下の写真のように様消防車両ばかりな日々が長く続いている。避難勧告や立ち入り禁止のサインもたくさん出ている。そして空気は非常に汚れ、大気はオレンジっぽい色あいになっている。煙たい。

 

こちらの地方新聞の写真。

外出はくれぐれも最低最小限にして、外ではN95のマスクが推奨されている。N95 はいいのだが、息苦しいのは否めず、わたしはオフィスではすぐに不織布マスクに掛け替える。日本製の不織布マスクが入手できるようになり、そんな小さなことでも嬉しい。

とにかく煙に燻された私は、北の姉を訪ねることにした。息がしたい、と願って。飛行機の窓からいつものように、毅然としたベーカー山やレーニエ山の気高い白い嶺を見下ろすと、なんだかほっとしてきた。州を越える旅は、ワクチン接種以前の去年10月にもしたが、あの時は不織布と布製のマスクを重ね掛けで、手指消毒用のワイプスやジェルをポケットに、一段と浄化された空気の航空機内で快適に過ごして旅をした。昨年は乗客も少なかったが、今回はほぼ通常営業で、みなマスクを掛け、ほどほどのソーシャル・ディスタンスも保たれて、ひとつも気がかりはなかった。

この旅の目的は末娘の私とかなり年の離れた長姉の様子を見ることだったが、すでに未亡人になって5年になる彼女は、夫婦単位からなんでも一人という生活にも慣れて、元来の活発さも戻っている。供える花束を持って、小雨の墓地へ行くと、たった一年なのに、今までなかったいくつかのモーソリアム(Mausoleum)が建てられ、その半数近くはすでに納骨されていた。パンダミック渦中のこの2年近くを感じぜずにはいられなかった。

向かいが森で海の見える墓地を秋雨の中、散歩してから後にしたが、姉と私は、やはりどの墓所にも亡くなった方々はいらっしゃらず、義兄とて、おそらく世界中を飛んでいるに違いない、などと話していた。この小雨にそよぐ風に、やがて降るだろう雪にそうした方々はいらっしゃるにちがいない。

姉は二頭のオールド・イングリッシュ・シープドッグと、二匹の猫と暮らしていて、庭には、鹿、ウサギ、三種類のリス、ウズラ、フクロウ、ときには猛禽類(ハクトウワシ)、三種類のキツツキやハミングバードを含めた多くの野鳥(孔雀さえやってきたことがある)が毎日ひっきりなしにやってくる。一人暮らしの姉は、そうした動物たちに非常に癒され、また親切な隣人一家もあり、かなり快適な隠居生活を楽しんでいる。

写真では小さく見えるが、120パウンズ(約54Kg)女の子。

 

非常に野性的な女の子。

 

私たち姉妹や弟は、みな渋谷区原宿で生まれ、育ち、後に横浜へ移り、都市生活を経験したが、特に長姉は今のこの生活が気に入っている。姉宅で、私は朝一番にまず暖炉に火をおこすことが気に入っている。そしてなによりも、窓を開けて、森を吹き渡る微風を頬に感じ、埃や煙のない新鮮な海からの空気を胸いっぱいに吸い込むことを感謝する。

たった8日間でも、喘息がちな私は、両肺の隅々まで新鮮な空気を満たせ、ゆっくりと休息できた。たちまちのうちに再び機上の人となり、中部カリフォルニアにのしかかっている厚い煙の層を眼下に見て、ため息をついた。

 

 

このリスは、毎日野鳥の餌に入っているひまわりの種を熱心に取り、その執念には驚かされた。その執念さの「ご褒美?」に、最後の朝、たくさん殻付きピーナツを積んだ薪のあちらこちらに置いてきた。また来年ね。

 

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笑顔を浮かべさせる

2021-10-05 | 家族

redbubble.com

 

 

 

 

2021年9月15日 ナレルさんはつぶやきました。

うちの子供たちは毎日わたしに笑顔を浮かべさせます


半年前、私は乳がんと診断されました。

幸いなことに、早期に発見されたので、私は健康を取り戻すでしょう。 今私は癌治療薬を一日一錠癌が戻らないために服用しなければならず、毎日ちょっと苦労していますが、今朝目が覚めたとき、私の子供たちは、わたしのピルボックスに小さな助けの手をかけてくれたのを見つけました。

これです。毎日の割り当て分に、錠剤の代わりにチョコレート片とM&Mがいれてあります。回復間違いなしです。

 

 

この子たちは毎日私の顔に笑顔を浮かべさせてくれます。

 

 

 

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