ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

訴える瞳

2019-10-21 | 人間の愛

flowermeaning.com

 サンパギータの白い花は、聖なる希望、献身、純粋な愛、を意味する。

 

 

 

 

末娘の友人の一人は妊娠中に常位胎盤早期剥離の前兆があり、二か月入院していたが、そのうちに子癇前症を起こす可能性が非常に大きくなり、母体と胎児の命を守るために急遽分娩することになった。今年の二月のことである。たった1パウンド1オンス(481グラムほど)で生まれた小さな息子は、その時からずっと小児病院で暮らし、様々な処置と治療を重ねてきた。その子供は今月八日に、とうとう力尽きたかのように逝った。この八か月毎日毎時間毎分が、小さな息子への祈りだったろう若い両親を思うと、胸が締め付けられる。友人のひとりが設置したGofundme.comへ行くと、そのちいさな戦士の写真があり、その大きな瞳がこの世に生きる辛さを如実に訴えていて、落涙を禁じえない。


その大きな瞳でこの戦士は、愛する母親とやさしく話しかける父親をこの世にいる間見続けて、それを安息としていたのだろうと思うと、この親子三人をそのままハート型の額に入れ大切にして身近に置いておきたくなる。たった八か月でもこの世の空気を吸い、しっかり愛する両親の面影を瞼に焼き付けて旅立った幼い幼い命。ランドン、今泣き崩れている両親に再会する時には、あなたはもう二度と別れることはなく、欠陥のない体で、いつまでも一緒に居られる来世なのよ、と写真に話しかける私は、どんなに医学が発達しても妊娠・出産が、決してピクニックではないのを否が応でも認識している。そしてこれが試しの世であることを再認識する。


人生の中で、愛する人を失うほど耐え難いものはない。 そばの誰かが亡くなると、最初は空っぽに感じるかもしれない。


それでも、主は人を疑いの中に一人お残しにはなさらない。 主は知識と真実を提供してくださり、人は何故死が起こるのか、そしてどうやって死に立ち向かうのかをよりよく理解することができる。 愛する人の喪失を嘆くのは自然なことである。 救い主は、「彼らは嘆き悲しんでいます。彼らは慰められるのです」(マタイ5:4)とおっしゃった。 主は、人が信仰と希望の重要性、そして以下の真実を思い出すのを助けることによって、人の損失の痛みを和らげることができるのだ:


・死は神の計画の一部である。

・家族関係は死を超えて続くことができる。

・イエス・キリストを通して、すべてが復活する。


これらの真実についての証を得ることで、死が、つまり、永遠の命の前に短期的に離れるに過ぎないことを理解できるのである。


だから、ベイビーランドン、みな、いつか再びまみえる日を楽しみにしているのよ!

 

 

 

Illustrations by Meriel Hodgson Jones

 

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短い愛の物語と祈り

2019-07-20 | 人間の愛

shafferforjudge.com 

 

 

 

エリック・シーガルの小説から作られた1970年のアメリカ映画、Love Story(邦題:ある愛の詩)をご存知の方は多くいらっしゃるだろう。当時かなり世界的に話題になった映画であり、多くの観客は滂沱の落涙を経験したのがニュースになった。1970年封切り当時、私はまだほんの子供であったので、たとえ映画のレイティングが、PG*であっても、劇中に飛び交うジェニーの言葉の悪さに閉口した両親や姉たちの判断で鑑賞は先送りとなった。私が実際に観たのは、ずっと後、確か深夜の居間のロッキングチェアで新生児の長女を腕に抱いて寝かしつけながらHBOでも見ていた時だと思う。もちろん弾丸のように飛び交う悪態に終いにはうんざりしたが、1970年当時「純愛」物語として人気があったのは、一応うなづける。1970年はまだまだヴェトナム戦争が続いていて、アメリカの人々は荒れた気持ちを持ち、殺伐とした日常に現れたこの小説や映画に一息ついた気分だったのだろう。

PG*とは:米英での映画の格付けで、parental guidance suggested(保護者同伴が望まれる)という判断のひとつ。この映画がGの一般指定にならなかったのは、言葉遣いがカラフル(⁼悪い)であるのとラブ・シーンがあったため。)


どんな時代でも、純粋な愛は生きる意思や目的や意味や希望を持たせてくれ、それぞれの物語が生まれることであろう。最近読んだサイモン・ムワンギによるショート・ショートな愛の物語は、そんな愛の物語である。



*******

 

 

最初から、少女の家族は、彼女がこの男性とデートしていることに強く反対していたのは、彼の育った家族環境が好ましくない、というような理由だった。そしてそれによって彼女が彼と一緒になれば彼女は不幸になると思っていたのだった。


少女の家族のそんな圧力のために、当人二人は頻繁に口喧嘩をした。少女は彼を深く愛していて、いつも彼に尋ねた:「どのくらい深い愛を私に持っているの?」彼は口下手だったので、しばしば彼女を戸惑わさせた。それと家族の圧力とで、少女はよく怒りを吐き出した。彼はと言うと、それを黙って耐えていた。


数年後、その男はついに学校を卒業し、海外へ留学することを決心した。彼が去る前に、彼は彼女にプロポーズした。「口下手でスルスルと耳に心地よい言葉を言えません。でも、わかっているのはあなたを愛しているということです。あなたの家族についても、話し合うように最善を尽くします。あなたは私と結婚してくれますか?」


少女は同意し、二人の固い決意に、ついに彼女の家族は諦めて結婚を許すに至った。そして彼が去る前に、二人は婚約した。


少女は社会に出て働き始め、彼は海外で勉強を続けていた。二人はEメールや電話を通して愛を高めあった。それはたやすくはなかったが、二人とも決してあきらめようとは思わなかった。


ある日、少女が仕事に行く途中、制御の利かない車によってはねられた。彼女が目を覚ますと、両親が彼女の伏すベッドのそばにいるのを見て、自分がひどい怪我を負ったことに気付いた。母が泣いていて、彼女を慰めようと思った。しかし彼女の口から出るのは、ただのため息でしかなく、彼女は声を失ってしまっていた。


医師は事故による脳への影響が彼女の声を失わせる原因となったと述べた。彼女の両親の嘆きを耳にしても、彼女は一言も発せず、泣き崩れた。


入院中彼女は、沈黙のうちに泣くことがすべてであった。退院して帰宅すると、すべては何一つ変わっては見えなかった。 鳴る度に彼女の心に突き刺さるような電話の呼び出し音を除いて。 彼女は彼に知らせたくない。 そして、彼に負担をかけたくないと思い、彼女は、もう待つのを望まないと彼に手紙を書いた。 そして婚約指輪を彼に送り返した。 すると彼は、見た所、何百万にはなろうかという多くのメッセージと無数の電話を送ってきた。 彼女ができることは泣くことだけだった。 両親は、彼女がやがてすべてを忘れることができれば幸せになるだろうと願い、引っ越すことに決めた。


新しい環境で、彼女は手話を学び、新しい人生を歩き始めた。 彼女は彼を忘れなければ、と毎日自分に言い聞かせた。 ある日、友人が尋ねて来て彼が戻ってきたと言った。 彼女は自分に何が起こったのか彼に知らせないようにと友人に頼んだ。それ以来、もう彼についてのニュースはなかった。


一年が経ち、彼女の友人は彼の結婚式の招待状の入っている封筒を持ってきた。 彼女は粉々に崩れそうだった。 その封筒を開けて、招待状を取り出すと、そこに自分の名前を見た。


彼女が友人にどういう意味か尋ねようと顔を上げると、彼が目の前に立っていた。 彼は手話を使い、「私は手話を学ぶのに1年の時間を費やしました。私たちの約束を忘れていないことを知らせるためだけに。 愛しています。」そして彼は指輪を彼女の指にはめた。ようやく彼女は微笑んだ。


*******


ブロードウェイのヒットミュージカル、Les Misérables (ああ無情)の中で主人公のひとり、ジャン・ヴァルジャンが、コセットの愛するマリウスが無事に彼女の許に帰還することを祈る歌”Bring Him Home"を歌う。それが記事を書いていて脳裏に浮かんだ。これは今や、軍隊や伝道で奉仕する、あるいは家族から離れている愛する人たちへの個人的な祈りとして多くの人々がこの歌に思いをあてはめている。今日はその曲を再びThe Piano Guysのピアノとチェロ演奏で。

願わくば皆さまの愛する方々が御無事に皆さまの許へお帰りになりますように。








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偶然の一致?

2019-07-16 | 人間の愛

 ui-ex.com

 

 

 

 

 

1945年、強制収容所に14歳の少年がいました。彼は背が高く、細い体つきでしたが、明るい笑顔をしていました。毎日、フェンスの向こう側に若い女の子がやってきました。彼女はその少年に気付いて、彼がポーランド語を話せるかどうか尋ねると、彼は話せると言いました。彼女はこの少年が空腹そうに見えたと言い、彼はそうだと言いました。彼女は自分のポケットに手を入れてリンゴを取り出し、少年に渡しました。彼は彼女に感謝し、そして彼女は彼女のもと来た道に戻りました。翌日、彼女はまたリンゴを持ってきて、彼に渡しました。毎日、彼女は彼に会うことを望んでフェンスの外側を歩き、会えると、会話と引き換えに彼に喜んでリンゴを渡しました。

ある日、少年は、ここにもう来ないようにと彼女に言いました。彼は別の強制収容所に送られるのだ、と彼女に言いました。彼は頬に涙を流しつつ、そこを去り、あの女の子にいつまた会えるのだろうかと思いました。彼がフェンスを越えて見た唯一の親切な魂が彼女でした。

彼は強制収容所から出ることができ、その後アメリカに移住しました。 1957年に、彼の友人たちは彼にブラインド・デートを企てました。彼はその女性が誰なのか見当もつきませんでした。彼は彼女を迎えに行き、夕食をしている間にポーランドと強制収容所の話を始めました。彼女は当時ポーランドにいたと言いました。彼女は、ある少年と話をするのが常で、毎日彼にりんごを与えたものだ、と言いました。彼はその少年が背が高くて細かったかどうか、そして彼がそこから去るのでもう来てはいけないと彼女に言ったかどうか尋ねました。彼女はええ、と言いました。

毎日やってきてリンゴを少年にあげたのは彼女でした。 あれから12年後、戦争は終わり、そして別の国で…彼らは再び出会ったのでした。こんな確率あるのでしょうか? 彼はその夜彼女にプロポーズをして、二度と彼女を手放さないと彼女に言いました。彼らは今日もまだ幸せに結婚しています。

 

 inspire21.com

 

 

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たとえどんな障害が二人の間にあっても、当人たちが本当に結びつく運命にあるなら、二つの磁石が吸い寄せられるごとく、添い遂げるだろうと、私はそう息子たちや娘たちに話してきたし、今でも思う。だから東京で生まれた私はアリゾナで生まれた夫と結婚しているのだろう。そして子供たちもそうである。ある人がある人と結ばれるのは、意味されてきていると思うのだ。「赤い糸」というのは満更絵空事ではなく、本当に結びつく運命ならば、どんな障害や障壁があっても、いつか結びつくのではないだろうか。


おまけにChristina PerriのA Thousand YearsをThe Piano Guysのピアノとチェロで。




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