歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

関ヶ原を歩く

2023-06-26 07:27:36 | 滋賀県
6月24日「ブラタモリ」(NHK)は、
「関ケ原の戦い〜天下の分け目は地形にあり!?〜」。


食事の片付けをしながらだったので、
きちんと観ていたわけではないけれど・・・
「関ヶ原は、また行きたいなぁ~~~」と、
夫婦二人が、しみじみするには十分だった。




岐阜県の関ヶ原。
番組でも1000年の由緒をもつ、旅館が紹介されていたが、
古くからの交通の要所だ。

東海道新幹線からも、関ヶ原の町が眺められる。
毎度、木曽三川を過ぎる頃から、窓にへばりつき、
関ヶ原の家並みを見落とさないように、息を詰めている。
いよいよ関ヶ原というときに、
反対側に別の車両が走ってきて、視界を塞がれると、泣きたくなる。




そんな関ヶ原への想い・・・
なかなかまとめられずにいたが、
この機会に、我が家の関ヶ原への歴タビを
まとめておきたい。



まずは、ざっくりと関ヶ原合戦について、まとめておく。

関ヶ原の合戦とは、太閤・豊臣秀吉亡き後、
天下統一を願う徳川家康の東軍と
幼い秀頼をもり立てようとする石田三成の西軍による、
「天下分け目の戦」。



慶長5(1600)年9月15日朝8時頃、
東軍(徳川家康)と西軍(石田三成)両軍15万人の兵が激突する。
小早川軍の離反もあり、西軍は午後3時には崩壊、
午後5時には、家康が敵将の首級の検分をしていたという・・・

一方の三成は、再起を誓い、伊吹山に逃れるも、捕縛され、
10月1日、京都で処刑された。


(石田三成陣跡)



関ヶ原を初めて訪ねたのは、大河ドラマ「真田丸」(2016年)の頃。

このときは、関ヶ原を、雑兵の如く歩き、
見た目よりも、ずっときつい傾斜にゼイゼイと息を切らした。



そして、石田三成の陣跡と島津義弘の陣跡が、
意外に近く、これなら石田三成が再三、島津の出陣を要請に
自ら馬を駆け下りることもできるなぁ、などと思ったものだ。

たぶん、そういうシーンを過去に観てきたのだろう。
「真田丸」の山本耕史さん演ずる石田三成だったか・・・




それから、大谷刑部(吉継)さまの陣跡へ出かけ、
正面に小早川軍の松尾山が見えれば・・・
「小早川軍の動きを監視なさる、おつもりだったのね」と、
刑部様の鋭さに感じ入った。

味方だったはずなのに、裏切った小早川軍を
3度も押し返しながらも、力尽きたというエピソードを想い、
涙したものだ。



また、刑部様と共に戦った平塚為広が
平塚らいてうの先祖にあたると知り、大興奮している。

(本記事で大谷・平塚両将の画像がアップできず、ごめんなさい)


これが、初めての「関ヶ原」歩きで印象に残ったこと。



(徳川家康 床机場)


ちょうど1年ほど前、関ヶ原を再び歩いた。

去年の5月末に、滋賀県を旅し、関ヶ原古戦場も訪ねた。
(関ヶ原は滋賀と岐阜の県境だもんね)



このときは、今回の「ブラタモリ」案内役、
小和田哲男・静岡大学名誉教授が館長を務める
岐阜関ヶ原古戦場記念館↑↓を、まず見学。



その後、前回は歩かなかったあたりを中心に
レンタカーでまわった。

第1回・関ヶ原歩きでは、車を駐車して歩き回れたのに、
第2回ではレンタカーを駆使・・・
(体力の衰えは甚だしく・・・時の流れは無情)



このとき、印象に残ったのは、「ブラタモリ」でも紹介された、
「島左近、撃たれる!」のあたりだった。

三成の重臣・島左近は、東軍・黒田長政軍の鉄砲隊に撃たれ、
戦局が動くきっかけのひとつになっている。



黒田長政の陣は、高台の丸山(146m)にある。
ここは見晴らしが利く、利く!
関ヶ原が一望できるのだ。

東軍の陣が、みな平地にあるなか、
長政だけが、見晴らしの利く、この高台に陣を敷いた。
これは関ヶ原城主・竹中重門の案内によるものだ。



黒田長政の父は「軍師・官兵衞」、重門の父は竹中半兵衛。

長政は、松寿丸と呼ばれた少年時代に、
父・官兵衞が織田信長から離反を疑われ、命を狙われる。
いちはやく、半兵衛は、自邸・竹中館に匿い、
長政(松寿丸)は、半兵衛の子・重門と共に過ごた。

この縁があってこそ、長政は、ここ丸山で
武功を挙げることができたのだ。




番組で、タモリさんは、島左近の陣めざし、きちんと歩いていたが、
わたしたちは、途中で断念。車に戻ったはず。
「関ヶ原断層」の手前の神社までは、曖昧な記憶だが
どうやら歩いたらしいのだが・・・




とにかく、山を降りたところに、島左近の陣。

実は、遠くから見ると、黒田長政の陣と石田三成の陣は
地続きに見えるくらい近いのだ。



「ブラタモリ」では、島左近に扮したスタッフさんの気づかぬうちに、
黒田長政・鉄砲隊に見立てたタモリさんが近づき、左近を銃撃・・・
平時でこそ見晴らしが利くけれど、戦場の大混乱のなか、
左近が不意を突かれたのもうなずける。



島左近の陣の背後は、西軍・大将、石田三成の陣だ↓。
以前は工事していたが、今はきちんと整備され、
ちょっとした見晴台もある。
ここも眺めが良いのは、黒田長政の丸山と、
ほぼ地続きなのだから当然のこと。



三成気分で、見渡せば・・・
いっこうに動かぬ島津、小早川に対し、
いらだったのも、よくわかる。


わたしの中で、石田三成は山本耕史さんなので・・・
切なすぎる・・・

この合戦、それぞれの武将に想いが強すぎて、
どちらにも肩入れしたくなってしまう。

結果として、小田原・北条家の「禄寿応穏」の治世を
受け継いだ、徳川家康が幕府を開き、
今、「パクストクガワーナ( Pax Tokugawana :徳川による平和)」
とまで言われる安寧の世を築けたことは、
良かったのだろうけれど・・・

伊吹山を見る度に、それこそ新幹線から見ても、
石田三成が想われ、胸が痛むのだ・・・



この正月明けに、(↑)木曽三川で「輪中めぐり」をしたときに、
大垣まで出かけ、関ヶ原も訪ねたかったのだが・・・
夫に却下されている。

時間的に無理なのは承知だっただけれど・・・
真っ白の伊吹山を見ながら、無念でならなかった。



そして、昨日は「どうする家康」の日曜日。

殿潤こと松本潤さんの徳川家康に対し、
これから登場の石田三成役は中村七之助丈とのこと・・・
プライベートでは仲の良い二人が、宿敵を演じるのかと
今からワクワク。


昨日の「築山に集え!」・・・

武田勝頼は才にあふれているだけに、あの道を選ぶのか・・・
(夫は「それと武田のプライド!」と一言)
穴山梅雪役も、これからのことを考えると、
優しげな田辺誠一さんだったのも納得。
西郷局(広瀬アリス)は、今、2代将軍・秀忠を身籠もっているのね・・・
などと、もろもろ。

でも、なんといっても、瀬名(有村架純)の「壮大な謀」だろう。
瀬名の夢が、後の「パクストクガワーナ( Pax Tokugawana)」へと
つながっていくということか・・・

予告で湖の畔にたたずむ瀬名が哀しくて・・・
築山殿は佐鳴湖で命を落としたとされる。
ああ、そういう所も細かに描いてと・・涙がにじむ。

何よりも、家康と築山殿の悲劇を、きちんと納得できるよう
描いていることが、うれしい・・・

空砲云々で戦うふりが続けられたのか、とか、
信長が気づかなかったのかとか・・・
そういう野暮な事は云わないのっ!w


関ヶ原は、またぜひ訪ねたいところ・・・
行く度に発見があるわけだし・・・
そのときは、ブラタモリで紹介された旅館に泊まりたいなぁ・・・
と願っている。

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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

以下の史料を参考に、本記事をまとめましたが、
間違いや勘違いもあることと存じます。
歴史の素人と言うことで、どうぞ、お許し下さいませ。

参考:
●小和田哲夫監修 草野道雄編 『陣跡が伝える関ヶ原の戦い』
 (資)垂井日之出印刷所出版事業部
●小和田道雄監修 草野道雄編 『関ヶ原合戦図屏風』 オフィス関ヶ原


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