歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

家康公ゆかりの地・大樹寺~岡崎へ

2023-07-26 17:15:54 | 愛知県
憧れている歴史学者の先生とめぐる、

最初の観光ポイントは大樹寺。
徳川家・松平家の菩提寺だ。


まちがいなく「家康の頃にも存在」と、先生が太鼓判を押す、
大樹寺、多宝塔(国重要文化財)。



とても、一介の国衆レベルでは造れない、立派な建築物。
家康の祖父、松平第七代・清康が武力によって三河を統一し、
力を持っていた証。

家康が、今川に「人質」として出された時、
今川の都・駿河に連れて行かれたことからして既に別格の扱い。
将来、今川一門を担う、重要な存在として将来を
嘱望されていたからだろうとのこと。

だからこそ今川義元も重臣・関口家の瀬名姫(築山殿)と
娶せたのだもんね。

全ては、祖父・清康の存在があったからこその
家康への優遇なのだとか。


さて多宝塔の心柱には「世良田清康」と刻まれていたとのこと。
清康は松平ではなかったのか?

「世良田」姓は、あの新田の流れを汲む名門。
新田と言えば、足利と並ぶ源氏の一門だ。

どうやら、清康の先祖・松平家に「世良田」を名乗る人物がいたらしい。
こうして、祖父・清康の時代から「新田」の末裔と名乗ることで、
ライバル吉良家(末裔に吉良上野介も)との差別化をはかったのだろう。


では、いつから徳川になったのかというと、
近衛前久(コノエサキヒサ)の手紙に
「松平では任官できないから、徳川と名乗るよう」と
アドバイスがあったとのこと。

先生も、最近、初めてご覧になった貴重な史料と、おっしゃる。

そもそも、徳川というのは、
本来、将軍職を譲られた秀忠と、
晩年に誕生した二人の男児(溺愛♥)にしか許されない名字だった。
嫡男は自刃の時点では「松平信康」だ。
ここに、当時は歴然たる区別があったとのこと。



この寺には、松平徳川両家のお墓だけでなく、
お位牌も安置されている。(撮影不可)
家康公のお位牌は身長に合わせて作られたそうだ。
尾張名古屋の初代藩主・徳川義直公が望まれてのこと・・・

これにならって代々の将軍の位牌は等身大のサイズとされるが・・・
それは伝承ということらしい。
だいたい、ご遺体が、そのまま大樹寺に送られるとは考えられず、
お骨になってからだろうしね・・・



そして、大樹寺と言えば、わすれちゃならない、
「厭離穢土(オンリエド)欣求浄土(ゴングジョウド)」。

「土」に「点」がつくかどうかは大問題なのだそうだが、
ここでは先に進むw

これは家康公の旗印でもある。

桶狭間の合戦で、若き日の家康公が岡崎・大樹寺へ逃げ帰り、
先祖の墓前で自刃を図ろうとした。
そのとき大樹寺の住職である登誉上人が
この言葉を教え「戦国の世から、泰平の世を」と諭したとされる。

大河ドラマ「どうする家康」では、
杉野遥亮さんが演じる榊原康政に、
この役を持って行かれてしまったけれど・・・w

大樹寺は、家康公の人生の岐路となった、大事な寺なのだ。




そして、ここで、見るのを楽しみにしていたのがビスタライン。

ご覧になれるかな?(↑)(↓)



遠くに見えるのが岡崎城。
大樹寺から岡崎城までの約3㎞には、今も高い建物がないから
見ることができるのだ。

家康公の孫、三代将軍家光が、祖父の17回忌で
大樹寺の伽藍を造営するとき
「祖父生誕の地(岡崎城)を望めるように」と考えられ、伽藍を配置。

以来400年近く、その想いが受け継がれているとのこと。

さすが、岡崎!!



だが、さしもの大樹寺も、明治維新で、幕府からの財政支援を喪った。
その良い例が、境内の一角に
明治6(1873)年小学校(現・大樹寺小学校↑)が開校したことだろう。

前年の明治5(1872)年の学制頒布を受けているから
全国的に、明治6年開校という小学校は多いはず、
お近くにも、今年開校150周年という学校がおありでは?

とにかく、明治になって6年、
徳川の世が終わったとは言え、徳川の菩提寺が削られるわけで・・・
「神君・家康公、生誕の地」の誇り高き岡崎の民は
どんな想いだったのだろう?

当時、引き続きビスタラインが守られ、
今も、その伝統が生きていることこそ、答えのような気がする。


・・・ということで、備忘録のつもりで書いている、
家康公・人生の岐路をめぐる、バスツアー旅行記、第一弾、
これにて幕引きとあいなり候。

★岡崎市民の皆さま、勝手なことを書き連ねたこと、
どうぞ、お許しあれ。

*************************

おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

いただいたパンフレットやご説明を必死で記録したメモを
元に記事にしております。
間違いや勘違いもあるかと存じますが、
素人と言うことで、ご容赦を。


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2 コメント

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Unknown (syuu0829)
2023-07-29 14:31:55
詳しい解説ありがとうございます。

だいじゅうじ、地元ではそう呼びます。
テレビ番組でだいじゅじと「う」抜きで紹介されて、
正式にはそう呼ぶんだと初めて知ったと同時に、違和感も感じました。
岡崎の発音記事を前に書かれていましたが、「か」にアクセントが
あるのが標準語と知ったときも、かなりの違和感でした。
もっとも、今は岡崎を離れて50年以上経って、あまり気にならなくなりました。
ビスタラインを知ったのは数年前のテレビ番組ででした。やはり一度確認して
おきたいですね。
続き楽しみです。
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syuu0829さま (ぴあ野)
2023-07-30 07:48:17
syuuさん、コメントをどうもありがとうございます。

なんて嬉しいコメント!
ご出身のsyuuさんから、こんなお言葉をいただけると
何やらホッとして、励みになります。
どうぞ、これからもご意見などお聞かせいただければ都存じます。

ああ、やっぱり、アクセントには違和感がおありだったのですね。
小田原のシンポジウムでも、各先生方がアクセントを岡崎流に言い直していらっしゃいました。
「どうする家康」の流れになっているんでしょうね。
家康公の出身・三河に敬意を払って♫
「だいじゅうじ」の発音も、ありがとうございます。
地元ならではの発音ってありますよね、横浜の私ですらありますものね。
そういったお話が大好きです。

とはいえ、今やsyuuさんは、すっかり東京の素敵なおじさま、
松本にもお詳しい方でいらっしゃいますけれどね~~♫
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