歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

築山殿の面影~岡崎市

2023-07-30 16:19:59 | 愛知県
憧れの歴史学者の先生と出かけたバスツアー、
前記事の大樹寺のあとは、お昼をはさみ、観光スポットへ。


「家康公の人生の岐路」でも、
もっとも悲劇的な事件は「築山事件」だろう。

築山事件は、正室と嫡男が、長年の敵・武田氏と内通の疑いから
二人が命を落とした事件。

嫡男・信康は浜松の北、二俣城自刃ながら
正室・築山殿(瀬名)は殺害されたとみられている。
(ドラマでは自刃)



かつては、築山殿といえば悪女の典型のように言われていた。

けれども、今回の「どうする家康」では、
後の「パクストクガワーナへ」とつながるかのような
築山殿(瀬名)の夢が呼んだ悲劇として描かれた。

ドラマの放送から数週間。
正室・瀬名(有村架純)や嫡男・信康(細田佳央太)を喪った
家康(松本潤)の熱演への興奮冷めやらぬ時期だから
私を含め、参加者の「築山事件」への関心は高い。

その気持ちをくみ取っていただいたのか
「築山事件」ゆかりの地がコースに組み込まれている。

(以下、塚など石塔をお参りしたが、撮影は遠慮。)



ドラマで描かれる瀬名の住まい・築山は、
いつも花が咲き乱れ、さながら桃源郷のよう。
実際に岡崎市に「築山」という地名があると知って、驚いた。

瀬名が、人質交換で、駿河の今川氏から岡崎に迎えられ、
住み始めた土地が「築山」。
その名をとって「築山殿」と呼ばれるようになったとか。

現在の、現在の築山稲荷や総持尼寺があるあたりが、
瀬名の住まいだそう。

とはいえ、それは、残念ながら車窓観光のみ・・・
一瞬のことゆえ、バスからの撮影は無理だった。
(↓)右手の籠田公園?らしきものしか撮れていない・・・



でも、実際に車で走ると、画像の向かって右側は緩やかな丘だとわかる。
「ドラマでも瀬名の住まいは、高台になっていたでしょ?」
と、先生は、ちょこっと得意げw(先生は時代考証をご担当♫)



次に、祐傳寺(ゆうでんじ)。

(冒頭画像の山門もこちらのお寺、
画像真ん中についてしまったの汚れが悔しい)

車窓観光の予定だったが、お寺のご厚意で、
思いがけず下車し拝観できた。

築山殿の首塚が、ここにある。

築山殿は、浜名湖の畔、小薮村で(ドラマでは自刃だが)
殺害され、まずは織田信長の首実検を受け、
その後・徳川家の重臣・石川数正(松重豊)が、御首を持ち帰り
この寺に葬ったと言われている。


「瀬名姫(築山殿)・徳川信康ゆかりの地MAP」より


築山にあった住まいから、わずか1kmほどの寺を選んだのは、
数正の忠義による発案か、家康から命じられたことなのか・・・



五輪塔が築山殿の首塚、
その脇に控えるかのように、小さな2塔もあった。
侍女ではないかと先生。

瀬名姫は、侍女に慕われているから、お一人ではないのだなと、
しんみりしつつも、ほっとする。



余談ながら、このお寺の山門は、岡崎空襲で焼けたそうで、
今も黒く焦げていた。
長い長い、お寺の歴史を感じる。



続いて、若宮八幡宮。

嫡男・信康は、岡崎城主ながら、母とほぼ同じ時期に自刃。
21才の若さだった。

城主を喪った岡崎では、石川数正が城代を務めるが、
城内で怪異が続き・・・
境内に、信康を供養するために首塚を建て、
神社に合祀したのだそう。

今、祭神は「仁徳天皇と岡崎三郎信康公」とのこと。


岡崎に怪異が続いたというのは・・・

信康は、いわば祟り神とみなされ、城内が脅えたからかな。
ならば、徳川の人びとが心咎めたということか・・・
じゃ、信康は無実?


う~ん、
ドラマの影響で、ついつい瀬名・信康に肩入れしたくなるけれど・・・


平山先生のお話によると・・・

一番古い史料(タイトル失念)に、信康が謀反を起こそうとした、
と書かれていた。

中世は悪事の噂が立ったらおしまい。
噂だからと許されず、罪に問われる社会なのだそう。
たとえ、無実であっても。


現在、ほぼ確定といえることが
「信康と家臣との折り合いは悪かった」
「妻・五徳との夫婦仲も悪かった」ことだとか。

先生の御著書(『徳川家康と武田勝頼』)では、
粗暴ゆえに家臣から疎まれ、
もともとは円満だった夫婦仲も、女子の誕生が二人続いたことから
悪化したと書かれていた。


では・・・家康と築山殿との仲は?

皆さんの関心も、ここ!
どの歴史家の先生も、夫婦仲は悪いとおっしゃるけれど・・・
一縷の望みをかけたい気持ち。


先生は「破綻はしていないでしょう」と、まず一言。
家康は、築山殿に、正室として家中の奥向きを任せている・・・
「築山殿を信頼していなかったら、させないでしょう?」
と、おっしゃる。

通説では、浜松で、於万の方が家康の子を身籠もったとき、
築山殿がお万を折檻したとされている。

(ドラマでは於万(松井玲奈)自ら折檻を申し出ているけれど、
それはないよねw)

このときの子ども、後の結城秀康は長く家康から認知されていない。
それは正室が、側室と認めていない女性から誕生したので
仕方がないとのこと。

後年、父・家康が、この子と全く会おうとしないので、
嫡男・信康が、秀康を哀れみ、父との対面の場を設けたそうな。

つまり、それだけ正室である築山殿を立てていたということ・・・
と、先生はおっしゃる。

ただし、一言「夫婦仲は別にしてね」と付け加えられた。

あ゛~~、やっぱりね~~~



また、バスは大岡弥四郎に関わる土地も通っている。
かつての根石原(ねじはら)は、広い原っぱで、
首謀者・大岡の妻子が処刑され、さらされた土地だという。

大岡は「築山事件」のプロローグとも言うべき
「大岡弥四郎事件」の首謀者だ。

信康の家臣だった大岡弥四郎(毎熊克哉)が、主人を殺害し、
武田勝頼軍を岡崎城に引き入れようと計画・・・
その成功寸前、同士の一人が密告し、事なきをえた。

当時は悪事を働いても、あとからお家の役に立てば
「返り忠(ちゅう)」として許されるのだそうだ。
この同士は咎めを受けず、長らえている。

もちろん、大岡は残忍に処刑された・・・

この事件も信康と家臣が不仲だったゆえかもしれない。



先生と岡崎・語り部(ガイド)さんが、
ご一緒のツアーなればこそ、次から次へと興味深い話を伺え、
はるばる出かけた甲斐があったというもの・・・

本日の第2幕も幕引きとあいなり候。

***************************

おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

必死でとったメモや、いただいたパンフレット、
現地の案内板をもとにまとめましたが、
間違いや勘違いもあることと存じます。
素人のことと、どうぞ、おゆるしくださいませ。


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4 コメント

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築山 (syuu)
2023-08-02 08:50:40
またまた詳しい解説ありがとうございます。

築山御前の首塚のある祐傳寺というのも初めて知りました。
消防署の向かいにお寺があったのですね。
実家からは徒歩で10分程度の近さです。
若宮八幡は事前にネットで調べていたのですが、
ここも少し離れますが、徒歩圏です。

記事で「現在の築山稲荷や総持尼寺があるあたりが、瀬名の住まいだそう。」
とありますが、これもネットで事前に調べていたのですが、
瀬名が住んでいたのは、総持尼寺でそこを築山と呼んでいたようです。
それで、総持尼寺は築山のあった場所から、現在の場所に移転しているようです。
ということで、元々築山のあった場所は現在の総持尼寺のある場所ではないようです。
で、元々の築山の場所はというと、籠田公園の近くにある郵便局とNTTのある場所のようです。

以前ぴあ野さんが岡崎に行かれた時に、岡崎信用金庫資料館に
寄られたと思いますが、郵便局・NTTはそのすぐそばです。
おそらく前を通っていると思います。

右が籠田公園?という写真は道路の感じから、籠田公園ではないと思います。
籠田公園は伝馬通りという東西を走る岡崎のメイン通りに面しています。
観光ルートからすると、籠田公園前を通って、郵便局前を通ったと思いますが、
写真は違うように思います。
現在の総持尼寺は中町というところにあります。
祐傳寺からさほど遠くはありませんが、祐傳寺より
東北に位置します。
先に郵便局前ではなく、現在の総持尼寺前を通って
祐傳寺に向かったということも考えられますが・・・
写真から住所がわかるかと建物の看板などを見てみましたが、わかりませんでした。
ご主人の記憶も辿っていただくと正解が出るかもしれません。

と、ちょっと私も探偵宜しく楽しませていただきました。
返信する
syuuさま (ぴあ野)
2023-08-03 16:17:48
syuuさん、長文のコメントをどうもありがとうございます。
お返事が遅くなり失礼しました。

祐傳寺は、観光寺ではなく、観光協会のご担当も、
語り部さんも拝観させていただけたことに
驚かれていました。
先生によると、歴史書にもまず書かれていない寺田そうなので
地元の方もご存じないのもやむを得ないかと存じます。

わたしの書き方が悪く、申し訳ないのですが・・・
ツアーでいただいた記事中の地図に
「康生郵便局あたりが築山稲荷、NTTビルのあるあたりが総持尼寺だたといわている」、
住所は「岡崎市康生通り南2丁目」とありました。
わたしは、いただいた地図を撮影したあと加工して、
地図部分だけをアップしてしまいましたが・・・
syuuさんのおっしゃることと、ほぼ同じだと思います。

また、ご指摘の通り、籠田公園ではないな、と
今、地図を見ていて、わかりました。

バスのルートは、食事の後(大正庵)、石材店の並ぶ道路をまっすぐ走ると
「本町通1丁目」という交差点に出て、
そこから築山殿の住まいの近く、祐傳寺へ着きました。
その後、若宮八幡宮へと向かっています。
車窓から必死でスマホ撮影をしていたのですが、
なんせ走り去るバスで、あとから見ても、何が何やらわかりませんでした。
そのあたり、わたしの勘違いや記憶違いも多々あると思います。
(夫は築山殿にさして興味がないので全く当てにならない)
これも当てにならないのですが、最後、岡崎城に向かうとき、
岡崎信用金庫資料館を通った気がしています。

バスツアーだと、止めて戻るわけにも行かず、
そのあたりがもどかしいですね。
まぁ、雰囲気だけでも、良かったかなと、思っておりますが・・・
このあと、血洗池、小豆坂、山中八幡宮の近くを走り、法蔵寺へと向かいました。

いろいろとご指摘いただきありがとうございました。
おかげで旅の復習をして楽しめました♫

岡崎の旅、まだ続けるつもりなので、どうぞおつきあいくださいませ。
返信する
近い! (syuu)
2023-08-04 07:03:37
築山の場所はご存知だったのですね。
載せておられる地図に築山の位置の記載があったのを
見落としていました。
私の探偵ごっこにお付き合いさせて長いご返事を書かせてしまって大変失礼しました。

少し前に築山の場所に興味がわいてネットで調べたのですが、
ずいぶんお城から近いのにびっくりしました。
場所は乙川のつくった河岸段丘の坂の途中にあって、山などないところです。
庭に山を作ってあったということのようです。

続きも楽しませていただきます。
今度は注意して読んで、探偵ごっこに付き合わせないようにします。
返信する
syuuさま (ぴあ野)
2023-08-05 07:36:11
syuuさん、ご丁寧にどうもありがとうございます。

何をおっしゃる、syuuさんのせいではありません。
きちんと書かない、こちらの問題ですから
お気になさらずに。
「探偵ごっこ」は楽しいですよね、わかります!

最近、築山殿の肖像が、近代のものと知り、衝撃でした。
確かに古いものではないのは、よく見ればわかるのに・・・
肖像画すらない築山殿、住まいの跡も、なかなか・・・ですよね。
でも、お城にとても近いということは、家康公の正室としての配慮でしょうか、
愛情もあったと思いたいですが・・・

どうぞ、まだしばらくおつきあいください。
暑くてなかなかPCに向かう気になれず、遅れ気味ですが、
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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