歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

若き独歩の面影(後編)~大分・佐伯

2023-11-12 13:47:12 | 大分県
先週出かけた、大分への旅。
本日は、前記事に続き、「若き独歩の面影」後編を。

佐伯では、登城の夫と別行動で、
私は、国木田独歩館へ。
かつては上級武士の住まいが並んでいた、
白壁の続く「歴史と文学の道」の一画だ。



1894(明治26)年、21歳の国木田独歩(哲夫)は、
国語と英語の教師として、開校間もない鶴谷学館の
教師として赴任する。

寂しがり屋の独歩は、7歳下の弟・収二を伴い、
校長の坂本永年邸の2階に間借りをする。

それが現在の国木田独歩館だ。
今も、当時の面影を遺すよう修復したという邸内。
他に見学者もなく、ゆっくり見て回ることができた。



以下、館内の案内とスタッフさんのお話を元にまとめる。

独歩と収二は、実に仲の良い兄弟だった。
(「愛弟通信」にもうかがえる)
たいていは、日当たりのよい、独歩の広い部屋で過ごしていた。



たまにドスドスと大きな足音がして、収二が部屋に戻るのは
二人が兄弟ゲンカをしたときのこと。

といっても、時事論やら文学論やらをたたかわせるうちに
喧嘩となってしまうのだから、仲の良いインテリ兄弟なのだ。
収二も後に新聞記者となり、ジャーナリズムの道を歩んでいる。


(独歩の部屋から奧にある収二の部屋を見る)


独歩の部屋からは、かつて元越山が見えた。

今でも、佐伯の小学生が登る山で、独歩も登山を楽しんでいる。
独歩は実はアウトドア好きの活発な青年だったようだ。
自分の登った元越山の見える景色を、朝な夕なに楽しんだにちがいない。



一方で、窓の外を眺め不快な思いをしたことも、ままあった。

朝、起きると、庭に、独歩を非難する投げ文を見つけるだけでなく、
学生らが門口でシュプレヒコールを上げ、排斥を叫ぶのも見ている。
東京から破格の待遇で迎えられた若い教師・独歩を厭う者は
同僚だけでなく、生徒の中にもいたというのは、辛かっただろう。
(夏目漱石も、熊本の五校で苦労しているよね・・・)


もちろん、独歩を慕うものも多かった。

たとえは「春の鳥」の知的障害のある少年は、実在し
独歩に親しんでいる。
申し添えると、少年は寺男として人生を全うできた。
(ほっとする)

この少年だけでなく、子どもに対し、独歩は優しかった。
お菓子や、当時珍しかった雑誌のカラーページの切り抜きを
子ども達にあげるなど、可愛がっていた。
その子達とさして年齢の変わらぬ弟・収二を連れて
赴任したくらいだ。子どもは根っから好きだっただろう。


結局、独歩は、着任した翌年(明治26/1894)の夏、
佐伯を去る。
前年の秋に赴任してきたのだから、1年足らずの佐伯滞在だった。

このとき、生徒達の中には別れを惜しむあまり、
帰郷する独歩と共に数人が東京へついてきている。

排斥運動の一方で、独歩が慕われてもいた証だろう。



さて「春の鳥」といえば、
作中で少年と独歩が出会うことになるのが佐伯城のある城山だ。
旧幕時代の毛利家の佐伯城は、坂本邸のすぐ裏手にある。

ちなみに、この毛利家は長州藩の毛利家の血統ではなく、
森姓だった藩祖・高政が毛利輝元から気に入られ、
音の似ている「毛利」と名乗るよう言われ、改名したそうだ。

ご近所の方のお話では、昭和の頃までは、
城山から鹿のなく声が聞こえ、なんとも、もの悲しかったそうだ。
「春の鳥」の描写と通じるではないか!

とにかく、実際の独歩も小説同様に、城山へ登り、
ワーズワースなどを読みふけっていた。
(本当にアウトドア青年!)
独歩にとって、坂本邸は、好立地だったことだろう。



では、現在の坂本邸はといえば・・・

全体に元・海辺にあった藩主の別荘らしく、開放的な住まいだ。
その建築としての面白を味わいながら、
独歩を思うことができる。



さらに母屋から続く先に、蔵がある。
ここには独歩関連の資料が展示され、
2階には、独歩関連の本が並んだ読書スペースもある。



なんて落ち着くインテリア!
カフェにしてほしいくらいだ♫

残念ながらコーヒーはなくも、
ここで久しぶりに「春の鳥」を広げた瞬間、
スマホが鳴った。

夫が城から戻り、これから迎えに来るという連絡。

ああ・・・(もう少し、ゆっくりしていればいいのに!)
佐伯での独歩を想う時間は、これにて幕引きを迎えた。



最後に、もうひとつ、
朝霧カフカ / 春河35『文豪ストレイドッグス
〈角川コミックス・エース〉つながりの話を。

作中にも登場する中原中也(↓)の詩が、
戦禍の続くウクライナで反響を呼んでいるのだとか。



「ゆあーんゆよーん ゆあゆよーん」(「サーカス))や
「汚れちまった悲しみに」である。

「文豪ストレイドッグス」をきっかけに、
中原中也の研究を始めた、24歳のウクライナ女性。
日本に避難し、仲間と立ち上げた出版社の最初の刊行物として
中也の詩を翻訳したのだという。

(→「読売新聞」)

ウクライナを想うと胸が痛むが・・・
「文豪ストレイドッグス」、偉大なり・・・

****************************

おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
勘違いや読み間違いもあるかと存じますが、
個人のブログゆえ、お許しを。

参考:
「城下町佐伯 国木田独歩館」パンフレット
国木田独歩『武蔵野・牛肉と馬鈴薯 特製版』旺文社文庫

📷 「文豪ストレイドッグス」の画像は、公式HPよりお借りしました。


この記事についてブログを書く
« 若き独歩の面影(前編)~大... | トップ | 「若き血」今昔 »
最新の画像もっと見る

大分県」カテゴリの最新記事