歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

若き独歩の面影(前編)~大分・佐伯

2023-11-10 14:41:57 | 大分県
先週出かけた大分への旅、
こちらでは「歴旅」歴史をめぐる旅編です。
(本家ブログでは「色づく秋の旅~大分へ」他、旅全般をアップしています)


まずは、大分県佐伯(さいき)市。
夫婦旅ながら、ここでは夫と別行動をとる。



夫は佐伯城へ登城。(↑)
わたしは国木田独歩館へ。



独歩館は、かつて国木田独歩が住んだ家で、
↑「歴史と文学の道」の中にある。
白壁の続く道は、かつての上級武士の住んだ地域を通る。。

今、国木田独歩は、
朝霧カフカ / 春河35『文豪ストレイドッグス』
〈角川コミックス・エース〉の影響もあり、なかなかの人気者。
(アニメは未見。コミックは長すぎて、挫折)


(↑↓「文豪ストレイドッグス」の画像は公式HPよりお借りしました)


独歩館には、コミックやアニメでファンとなった若い人や
外国人も訪ねてくるそうだ。
入口はどうあれ、明治の文人に興味を持ってもらえるというのは
近代文学好きとしては、嬉しい限り❤


(↑独歩、かっこよすぎる!w)


私が、この独歩館を訪ねたのは、独歩ファンだからというよりも
独歩の小説「春の鳥」「源叔父」が、ここ佐伯を舞台にしていたと
知ったからだ。

「春の鳥」「源叔父」ともに、忘れられない。
かつて、敬愛してやまない恩師が、熱く両作を語り、
心震わせながらノートをとった。
あのときのノートは今も手元にあるほどだ。

その遠い昔の記憶に、かすかに残る「佐伯」という土地。
・・・そうだった、そうだった・・・

なつかしくてたまらなくなり、
帰宅後さっそく、この二作を久しぶりに読み返した。

良いなぁ・・・

どちらも、描写が美しい。
さすが、独歩がワーズワースに傾倒していた頃の作品だ。
とくに文語体で書かれた「源叔父」は、格調高い。

そして、ともに涙なくしては読めない。
若い頃は「春の鳥」に惹かれたが、
年齢を重ねたせいか、今は「源叔父」に軍配を上げようか。
源叔父の孤独な姿と最期に胸が痛んでならない。



執筆した頃の独歩は、まだ20代のはじめ・・・
こんな風に人間の機微を早々に描くことができてしまったから、
独歩は早世してしまったのではないかしら。
享年37歳は、いくら明治の人とは言え、早すぎる。

余談ながら、俳優の中島歩氏は、独歩の玄孫。
朝ドラ「花子とアン」で柳原白蓮の夫・宮崎龍介を
モデルにした役を演じていた。
雰囲気のある俳優さんだなぁと思っていたら、ほらね♫
(って、なに!?w)



・・・話を先に進めねば・・・。

国木田独歩(1871-1908)
まずは、この頃までの独歩の略歴を年譜から拾う。
1891(明治24)年、二十歳の国木田独歩は、
早稲田大学で鳩山和夫校長に対するストライキ運動を起こし、
結果、中退する。
このせいだろう、やがて裁判官を務めていた父も免職となった。

家族の生活は、独歩の双肩にかかり、
困り果てた独歩は、明治を代表するジャーナリスト・徳富蘇峰を頼る。
彼の創刊した、大新聞「國民新聞」へ、既に自作を掲載しており、
知遇を得ていたからだ。
独歩は、新聞社で働くことを希望していたが、
蘇峰からは地方に移ることを勧められてしまう。

こうして蘇峰を通し、佐伯の矢野龍渓の推薦を受け、
同地の鶴谷(つるや)学館の教師として赴任する。
1893(明治26)年10月のことだった。

矢野龍渓は慶應義塾に学び、ジャーナリスト、実業家となった、
今も佐伯を代表する偉人のひとりだ。

鶴谷学館は、夜学だったと聞いている。
(情報ソースを忘れてしまったので、ただいま確認中)

まだ開校したばかりで、ちょうど国語と英語の教師を探している
ところだった。
そこに月給25円で独歩が迎えられたわけだ。



独歩館のスタッフさんによると・・・

この月給は、物価を考慮すると、
今の50万円に相当するのでは、とのこと。
この図抜けた高給が、同僚教師達との軋轢を生んだようだとも伺った。
また、何かにつけて東京風を吹かす、と、反感も買ったらしい。
独歩が受洗していたことも、当時の地方都市では排斥の対象だったという。

それが理由となったかはわからないものの、
結局、独歩は秋に赴任し、夏には佐伯を後にする。
わずか1年足らずの佐伯暮らしだった。


この1年弱を、独歩は学館の館長だった坂本永年邸に住む。
寂しがり屋だったという独歩は、佐伯に七つ下の弟・収二を連れ、
坂本邸の2階に間借りした。

今、独歩館のある建物が坂本永年邸(↑)だ。

かつては、藩主の別邸として海沿いに建てられた屋敷を譲り受け、
この地に移したのだという。
そのため、海辺の別荘独特の造りとなっている。
床の高いことが、1番の特徴だろうか。

当時、坂本家は、両隣も所有する大きな屋敷だったという。
この後、地元の方とのおしゃべりで、「この辺りで1番大きかった」
ともうかがった。
残念ながら、昭和の頃に、坂本家はここを離れ、
今の所有者は別の方になっているそうだ。

それでも、この家は、修復こそしているものの、
基本は、独歩の時代の面影を遺すようにしているという。

この日、他に見学者はなく、スタッフさんから丁寧な説明を受け、
館内をゆっくり見て回れたのは幸いだった。



・・・ということで、
独歩館・見学記は、いずれまた。
各部屋の画像をアップしながら、まとめたいと思う。

📢 本家ブログでは、独歩館のお向かい「佐伯市城下町観光交流館」を
アップしました。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
また、どうぞ、お立ち寄り下さいませ。

◆参考
「城下町佐伯 国木田独歩館」パンフレット
「年譜」『村氏の・牛肉と馬鈴薯他4編 特性版』(旺文社文庫)


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