唐辛子パワーでブンブンブン!!!

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初チェサに参加

2006-08-05 | 韓国のあれこれ

猛暑が続く旦那サマ夏休みの三日目、とうとう恐れていた日がやってきました
それは初の ”チェサ”。。
チェサとは日本の法事にあたる行事。
アルクに詳しく説明してあったのでちょっと引用してみます。

 日本では、亡くなった人の法事を1周忌や3回忌以後は歳月を置いて数回しかしませんが、韓国の儒教では、毎年5代前の祖先まで、なんと年に10回も命日を祭ることになっています。儒教は、朝鮮王朝の建国理念・統治理念であったと同時に、冠婚葬祭をはじめとして、両班(ヤンバン=貴族)社会の生活方式と各種の儀式を定めた規範でした。現代では、儒教的な伝統行事はだいぶ減ってきましたが、社会的習慣としてしっかり残っているものの代表例が日本の法事にあたる祭祀(チェサ)です。

 韓国の儒教の中心となる「親に対する孝行」は、生存中は誠心誠意親の面倒を見ること、亡くなってからはチェサを通して祭ることをいいます。つまり、チェサとは親が生きている間にし尽くせなかった親孝行を補うという意味で、韓国人の精神文化を支える重大な行事なのです。チェサを通じて韓国人は自分のルーツを振り返り、あわせて祖先のめい福と一家の繁栄を願います。また、血縁を重要視する韓国人にとって、チェサは同じルーツを持つ親族を束ね、同族意識を高める役目もあるのです。

 チェサは、基本的にすべての子孫が長男の家に集まり、命日の始まり、つまり当日の午前零時、夜中に始めます。参加する者の次の日の予定などは関係無しですし、何人かのご先祖さまの分を1回にということも原則としてしません。チェサのための特別な食べ物を驚くほど大量に用意し、儀式が終わると親族や隣近所の人々と分け合って食べます。

 お供え物の準備のため、長男の嫁をはじめとして女性陣がとくに大忙しのチェサですが、参加資格は男性だけでした。そのため、女性は準備はしますが、参加はできません。祖先を敬う韓国で、生きている子孫より亡くなった祖先のほうが上というのは、むしろ当然のことですが、女性に参加資格すら与えないところに韓国社会の男尊女卑の伝統がうかがわれます。

 昔と比べればチェサもだいぶ形式的になり、女性の参加を許したり、遠くの親せきが参加できないため、お供え物の量もかつてほどは大量に用意しない家も増えているようです。ただ、長男の嫁である限り、このチェサのじゅ縛からは逃れられません。女の子を持つ親としては、できればこんな大変な行事が年中ある長男に娘をやりたくないのが正直な気持ちでしょう。チェサをしないキリスト教の信者が韓国で増えている理由が、このことと関係があるといわれたりするのも、それだけチェサの負担が大きいことの裏返しなのでしょう。

  「チェス」とその供え方 「チェス」とその供え方
 チェサのために特別に準備する食べ物を「チェス」といいます。普通の韓国料理と違って唐辛子やニンニクを使わないのが特徴です。飯西羮東(ご飯は西側、スープは東側)、魚東肉西(魚は東、肉類は西)、頭東尾西(魚の頭は東、しっぽは西)、紅東白西(赤い果物は東、白い果物は西)などの決まり事にそって供えます。なかなか難しそうですね。

なんか、読んだだけでも韓国のお嫁さんたちにとって末恐ろしい行事であることだけは理解できる・・・
韓国人の旦那サマをもつお友達に聞いても”ホント疲れるよう~”と散々脅かされてきたし。
できれば行きたくない・・・
シオモニ(義母)も”せっかくの夏休みなんだから、予定があるんだったら一緒に行かなくてもいいわよぉ” なんて言ってくれてるし・・・。
ダメ嫁な私は”じゃあ、お言葉に甘えて~”とホントどこかへ言ってしまいたかったんだけど、親孝行な旦那サマがチェサを差し置いて旅行に行くなんてことする訳もなく・・・行ってきましたよ、ぼっ~とするぐらい暑いなか、シオモニの故郷・全州へ

今回のチェサはシオモニのお母さん、なので旦那サマのおばあちゃんの命日です。
上では「何人かのご先祖さまの分を1回にということも原則としてしません。」って書いてあるけれど、シオモニのうちでは祖父のチェサもかねて一年に一回しかしないそうです。ちょっと安心

全州はソウルから車で2時間ぐらい南にいったところにあります。
全州といえばビビンバなど、とにかく食べ物がおいしいところで有名。全州出身っていえば”じゃあお料理上手でいいわねぇ”なんて言われるらしい。なんか、出身地だけで料理上手と言われるなんてお得だなぁなんて思ってしまう私。
とにかく、旦那サマは全州に行けばおいしいものがたくさん食べられるって思っているので、なんか行くのも楽しそうなんだけど・・・私はというとかなりブルー
どんなにおいしいものが食べられると言っても、私はおうちでカップラーメンすすっている方がよっぽどいいわぁなんて心の中で叫びながら、5時半起床で出発しました
朝早起きしたせいでめちゃくちゃ眠い。とにかく眠い。でも、旦那サマのご両親いる前でぐぅぐぅ寝るわけにもいかず・・・・っていいながら、結局は寝たんだけどね
旦那サマにまた笑い話のネタにされるわ

シオモニには男兄弟がいないので、集まるのはいつも2番目のお姉さんのおうち。
アルクに書いてあるのをみると、ホントありえないぐらい大量の食べ物を用意すると書いてあったので、着いたらすぐ料理かなぁなんて思っていたんだけど、意外にのんびりペース。みんなでちょっとおしゃべりした後は外にお昼ご飯食べに行って、帰ってきてからぼちぼち料理するって感じ。しかも、イモ(叔母さん)が前もってほとんど作っておいてくれたみたいで、私がしたことっていえばブッチンゲ(日本でいうチヂミみたいなもの)焼いたぐらいかな。まぁ、確かに私にとってはすごい量だったけど、シオモニに言わせればこんなの他のおうちに比べたら全然たいしたことないらしい。チェサの料理も伝統的に決まっているらしいんだけど、シオモニのうちは特にしきたりにとらわれずお祖父さんお祖母さんの好きだったものが中心に作られているみたい。これってすごくステキだなぁと思う。お祖父さんお祖母さんもあの世から戻ってきた時に自分の好きなものが並べられている方が絶対うれしいと思うし。

イモ(叔母さん)もイモの息子さん家族もみんなキリスト教信者(っていってもそんなに熱心ってほどじゃないみたいだけど)なので、このチェサもかなり略式化されてるって印象。熱心なキリスト教信者はチェサ自体しないみたいだし。しかも、時代とともにだんだん伝統的な風習がなくなってきているんだなぁって改めて実感。例えば、上に書かれているように本来であれば命日の午前0時に始めるものらしいけど、うちはみんなの楽な時間、ちょうど夜ご飯時の午後7時ぐらいから始めたし、参加する人も忙しい人は来なくてチェサだからって何があっても絶対参加!なんて雰囲気もなかったし、本来はお墓まで行くはずだったんだけど、この日はあまりの暑さに行かなかったし、上には「毎年5代前の祖先まで、なんと年に10回も命日を祭ることになっています。」と書かれているけれど、シオモニのおうちは一年に一回しかしないし・・・と、ぶっちゃけかなり適当 私にとってはありがたいお話だけど。こんな風に伝統的な風習がなくなっていくことがいいことなのか、悪いことなのかはどっちとも言えないけれど、時代の流れだなぁなんて思ったりします。

お料理ができたらお膳に並べて、いよいよチェサ本番。本来はクンジョリ(ひざまずきながらする韓国伝統のおじぎ)をするものなのかな?よく分からないけれど、うちはイモの息子さんの指揮にしたがってキリスト教式に聖書をよんだり、亡くなったお祖母さんのすきだった聖歌を歌ったりしました。一応、わたしもみんなに合わせて目つむったりお祈りしてるふうにしといたけど、ただ聖書とか読まれてもあんまり分からないので、どうしてよいのやらちょっと困ちゃった

その後は、みんなでお食事。イモが準備してくださったお料理がどれもおいしくてちょっと感動。ブッチンゲとかも今まで卵付けてやくだけだと思っていたんだけど、ちゃんと素材ひとつひとつに下味がされていて、しかもその下味が濃くもなく薄くもなくピタッと決まってるって感じ。おいしかったなぁ

お食事後は片づけして料理のおすそわけを頂いてから、8時半ごろ解散。ソウルに戻ってきました。思ったよりも恐ろしい行事でないことが分かってかなり安心 ヘトヘトに疲れるほど重労働でもなく、でも逆にみんな働いているのに気を使われて”何もしなくていいのよぉ~”なんて言われると、それはそれで気疲れするしね。ほどほどに自分ができることはちゃんとお手伝いできたので、よかったです。特に自分の家以外で寝ることがあまり好きではない私にとって泊りがけでないことはホントありがたい限り。これはシオモニ(義母)が私と同じでだれかの家に泊まったりするのがあんまり好きじゃないからなんだって。ホントステキだわ、この辺私と考え方が似てて。とにかく、大きな問題もなく無事初チェサが終わって一安心でしたぁ

(写真・・・韓国の昔の町並み)