(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十五章 お引っ越し 十三

2012-02-03 20:53:33 | 新転地はお化け屋敷
「場合に応じてってことかな。いいか悪いかのどっちかってことでもないんだろうし」
「ちなみにこの話の場合、客観的に考えられなかったらどうなってたと思う?」
「遠慮なしにひたすらべったりし続けてたと思うよ。それが問題だなんてこれっぽっちも思わないまま」
 これっぽっちってどれっぽっちよ、ということで、栞のお腹に当てていた手を持ち上げ、親指と人差し指の先端で狭い隙間を作ってみせました。すると栞、「やっぱり?」と言って笑いながら、その手に自分の手を重ねてお腹の上に押し戻すのでした。
 撫でるのは嫌がられましたが、触れているだけなら案外その逆だったりするようです。
「状況はすっかり変わっちゃったのに、私達自身は微妙だよね」
「まあ、正直ね。今だってこんなだし」
 言って、お腹に触れているだけだった手にやや力を込め、抱き寄せるような形に。すると栞は、「情けないねえ」なんて言いつつ笑いつつ、けれどそれに反して、これまで以上に僕の方へ体重を預けてきました。
 身長がほぼ同じ二人で、膝抱っこをしている状況。そこで体重を預けられたとなれば――なんて、いつものことではあるのですが――僕の顔の前には、栞の背中が来るわけです。
 しかし栞、今回は腰をずらして顔の位置をこちらに合わせてきました。そして、「でも」と。
「そういうことが共有できる人じゃなかったら、ここまでになるのは無理だったかも」
「清さんが言ってた話?」
「意味するところは殆ど同じかな。呆れるって言葉を使うんなら、相手にだけ呆れるんじゃなくて自分も含めて呆れるんだけど。――しかもそれに寄り掛かってるって考えたら、より一層情けなく思えてくるんだけどね」
 情けなさを共有し、だからこそここまでの関係になった。それは無理矢理に言い換えれば、他の人とは情けなさの共有なんかできない、ということになります。
 さて、ではその情けなさの共有とは、それができる相手になら何の抵抗もなくできてしまうものなのでしょうか? 意識もしないまま、気付いたらそうなっていたというようなものなのでしょうか?
 ……そんなことは、ないのでしょう。
「孝さん」
 僕と栞のこれまでのいろいろは、ならばそのための期間だったのでしょう。
「私は、孝さんが必要だよ。大好きだけど、愛してるけど、それだけじゃなくって」
「うん。分かってる、ちゃんと」
「結婚したのは、それに引っ越ししたのだって、だからなんだよ」
「うん」
 さっきも話した通り、一緒にいる時間だけを考えるなら、一緒に住もうと203号室と204号室に分かれて住んでいようと、大して変わりはないわけです。「大好きだから」や「愛しているから」、そういう点で考えれば。
 しかし「必要だから」となると、話は変わってきます。会いたいから会う、ではなく、ずっと一緒でなければならないのです。一緒であることを、必要としているのですから。
 もちろん、常に一緒にいられるわけではありません。働き始めたら、いや、本来なら大学に通うことだって、その間は別行動になるわけです。
 そしてその別行動をしている間すら、一緒でなければなりません。必要なのですから。
 住む家。
 名字。
 家族。
 結婚に際してそれらを同じくする理由は、そこにあるのでしょう。
 それら「同じくしたもの」を足掛かりに、一緒にいられない間ですら一緒であると、そう信じるためなのでしょう。
「……えへへ、ごめん。分かってもらえてるなんて、分かり切ってることなのにね」
「分かってて言ってるってことを分かってるから、問題ないよ」
 甘えてきた栞と、その通りに甘えさせた僕。これもきっと、呆れるべき点なのでしょう。
 幸せそうな笑みを浮かべる栞。それに誘われるようにして、僕は栞の頭を撫でました。
 見た目にも手触りにもその栗色の髪が好きである僕にとって、それは別に珍しい行動でもないわけですが、しかし今回は普段と違うところが一つ。寝る前でもなければずっと付けている赤いカチューシャが、そこにはなかったのです。
「あ、そっか。外したこと忘れてた」
 撫でられた感触で気付いたのでしょう、そう言って栞も自分の頭に手を触れさせました。
「あはは、意識の外だったってだけならともかく、忘れてたってのはちょっとねえ。一応、ちゃんとそれに意味を持たせて外してたのに」
 そう言って、自嘲の笑みを浮かべる栞。けれど僕は、栞が自分で頭に当てたその手へ、自分の手を重ねながら言いました。
「『家族からの贈り物』に拘るのもなあって話でしょ? だったらむしろ、忘れてた方がいいんじゃないかなあ。拘ってたことを忘れられてるってことなんだし」
 もちろんそれは、家族からの贈り物であること自体を忘れるという話ではなく。付けなくなったからといって、そのカチューシャが大事な物であることには変わりないわけですし。
 すると栞、くすくすと笑いながら「前向きだねえ」と。
「それ自体はいいんだけど……あんまり甘やかされたら私、駄目な方向に行っちゃうかもだよ?」
「そうなったらその時は然るべき処置を執らせてもらいます。まあそれ以前に、そんなことにはならないと思うけどね。栞なら」
「うーん、そうかなあ」
「なんてことを言って追い詰めておけば、頑張るしかなくなるだろうしね」
「あっ、それ酷い」
「ふっふっふ、それくらい躊躇う僕じゃないことはご存じの通りで」
「むー、そりゃあご存じだけどさ」
 ふくれっ面でそう言って、顔の高さを合わせるためにずらしていた腰をさらにずるずるとずらし始める栞。下がる頭は肩から胸、そして腹も通り過ぎ、最終的には殆ど膝枕のような位置関係になってしまいました。
「……本当に駄目になっちゃいそうになったら、その時はお願いね」
「うん」
 そんなことを頼んでくる頃にはもう、わざとらしいふくれっ面はなりを潜めていました。
 栞ならそんなことにはならない。それは追い詰めるために言った言葉だ、とたった今僕は言いましたし、そしてそれは嘘でも何でもないわけですが、しかし。
 栞ならそんなことにはならない。その言葉自体も、嘘ではありませんでした。
 栞が「駄目な方向に行ってしまう」とすれば、それはほぼ間違いなく自分が幽霊であることについてです。カチューシャの件だって、何故それを贈られたかというところまで遡ればやはり、生前の入院生活が関わってくるわけですし。
 ――ところで以前、栞は僕にこんな約束をしています。
 自分が幽霊であることについて、もう二度と謝らない。
 謝らない。それはつまり、「僕は栞が幽霊であること、そしてそれによる不利益についても重々承知のうえで付き合っているのだから、それについて今更謝るというのは逆におかしいのだろう」という考えから生じたものです。
 けれど、もう一つ。
 それは、それで済ませられないようなことが起こっても、栞は僕に泣き付けないということです。
 栞は約束というものを軽視する人ではなく、そして、そういう約束ができる人なのです。その約束がどれほど自分を縛ることになるかをしっかりと分かったうえで、自分だけでなく僕にまで、それを表明することができる人なのです。
 そんな人のことは、ならばもう信じさせられざるを得ないわけです。栞ならそんなことにはならない、と。
「あー、孝さん、これ駄目だ。駄目な方向にいっちゃいそう」
「ん?」
「暫くこうしてたら多分、寝ちゃう」
「あはは、そりゃまあ、お腹いっぱいで横になってりゃあねえ」
 逆にもし、そうなってしまったら。
 もし「それで済ませられないようなこと」が起こって、栞が本当に駄目になってしまいそうな状態に陥ったのなら、その時は全力でそこから救い上げるのみです。
 ええ、全力です。栞ですら駄目になってしまうような事態なんてものに、僕に手を抜いている余裕なんてあるわけがないのですから。
 栞はきっと、胸の傷跡に負の感情を押し込めていた頃のように、限界まで一人で耐えようとするでしょう。それでも耐え切れなくて初めて、僕に泣き付くのでしょう。それを見て「約束と違う、信用したのは間違いだった」なんて、そんな馬鹿なことを考えるつもりはありません。
 そもそも手を抜く余裕がないのと同様、そんなことを考えている余裕も、ありはしないでしょうけど。
「眠いんだったらベッド使えば? せっかく新品なんだし」
「んー、それは夜、ちゃんと寝る時までとっときたいんだよねえ」
「ってことは?」
「少しだけこのまま、膝をお借りしていても宜しいでしょうか?」
「少しだけで済めばいいんだけどね。――いいよ、いくらでも。おやすみ、栞」
「うん、おやすみなさい。ありがとう、孝さん」
 そうして栞が静かに目を閉じた後、僕はゆっくり部屋の中を見渡してみました。
 数時間前まで僕だけの部屋だったこの場所はしかし、栞の荷物が運び込まれ、僕だけのではなくなりました。
 あと、適当に運び込んだだけなのでどうにも纏まりがなく――いっそ散らかっていると言ってしまってもいいような装いですが、それはまあいいとしておきましょう。
 これからここで二人で暮らすんだなあ。たった今褒めちぎったばかりの、この人と。
 そんなふうに考えると、膝の上でその人が浮かべているものに負けないくらい、頬が緩んでしまうのでした。
『大好きだけど、愛してるけど、それだけじゃなくって』
 引っ越しをし、一緒に暮らし始めることについて、栞はそう言いました。
 僕もそれについてなんのかんのと言ってはいましたが、しかし今の気分から考えると、結局はこうなのかもしれません。
「それもあるけど、大好きだし、愛してるから」
 既に寝息を立てている彼女に、その言葉が届いた様子はありませんでした。
 ほっとしたような、ちょっと残念なような――いや、それはどちらでもいいのでしょう。
 今日から一緒に暮らすのです。言うにしたって隠すにしたって、これからいくらでも機会はあるのですから。


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